Translate

2017年9月20日水曜日

映画評『チュッ・ニャ・ディン』

チカラン日本人会のメールマガジンに連載(予定)の原稿です。掲載日は未定。


私がインドネシアについて知っている二、三の事柄
第1回 インドネシア映画『チュッ・ニャ・ディン』


(ビデオCDジャケット、旧綴りのTjoet Nja' Dhien)

チカラン日本人会メルマガ編集責任者の宮島さんの要請で、今回からインドネシアを知るための本や映画についての連載をすることになりました、チカラン在住の轟英明(とどろき・ひであき)と申します。インドネシアには2002年から定住、チカランには2008年末から住んでます。私はインドネシアの専門家(インドネシアニスト)ではないので、後日その筋の方から非難されるのではないかと内心ビクビクしてますが、清水の舞台から飛び降りつもりで、私が今まで読んできた本や観てきた映画などについて、未読未見の方にも分かりやすいように紹介してみたいと思います。いつまで続くか分からないこの連載を読まれた読者の中で、インドネシアについてもっと知りたい調べたいという方が出てきていただければ望外の喜びです。

さて、記念すべき第1回は私にとって非常に思い入れのあるインドネシア映画『チュッ・ニャ・ディン』について。簡単に言えば、私の人生を変えてしまった映画です。この映画を見ていなかったら、多分私は今インドネシアに住むことはなかったかもしれません。この映画の何が私を惹きつけたのか、それについてお話します。

映画の舞台は19世紀末から20世紀初頭のスマトラ島西北端のアチェ。多くの日本人にとっては、13年前のインド洋巨大津波で甚大な被害を蒙った土地として記憶されていると思います。インドネシアという国家が誕生するよりも数十年も前、赤道直下の群島の各地では植民地化を目論むオランダに対する闘争が繰り広げられてましたが、その中でも最大最長の規模となったのがアチェ戦争でした。戦争開始から終結まで実に40年もの長きにわたり、この映画の主人公であるチュッ・ニャ・ディンCut Nyak Dhienは有力なウレーバラン(貴族)出身の女性で、アチェ戦争(アチェ側から見ればオランダ戦争!)が膠着状態に入って以降、オランダ軍をゲリラ戦で悩ました、傑出した女性指導者でした。よって、この映画はジャンルとしては「戦争映画」「民族主義映画」もっと言えば「愛国映画」に分類されうるでしょう。映画では彼女が二番目の夫トゥク・ウマルと共にオランダに叛旗を翻し勇猛果敢に戦うも、幾多の裏切りに合い、最終的にはオランダ軍に囚われの身となるまでを描いてます。

(左 主人公チュッ・ニャ・ディンを演ずるトップ女優のクリスティン・ハキム。製作公開当時32歳)

しかし、実際に映画を見てもらえれば分かるのですが、この映画は非常に地味な作りでおよそ派手さがありません。典型的な「アートハウス映画」「芸術映画」とも言えます。ストーリーがシリアスなだけではなく色調も暗く、しかも終盤に近づくにつれてますます観客の気分を暗くさせるような展開。多くの観客を純粋に楽しませるのではなく、内省に向わせる作品なので、派手な戦闘シーンを期待して見ると肩透かしをくらうでしょう。

...ここまで私の文章を読んで、この作品に興味をなくした方もきっといるとは思います。なんだ、暗くて重い映画なのかと。ただ、私がこの映画を初めて見た時に感じたのはそうした重さすら吹き飛ばす、ある種の衝撃でした。誇張ではなく、異文化との遭遇。日本で劇場公開された時に岩波ホールで見たのは四半世紀以上も前で、若くて無知だったせいもあるだろうとは思いますが、当時の私は何に衝撃を受けたのか?

物語が終盤へ進むに連れて、主人公は白内障で目が見えなくなり、オランダ軍に対しても劣勢となります。彼女の副官で右腕のパン・ラオッはオランダ軍に投降して自分が慕うリーダーの保護を要請、あえて裏切り者の汚名を着ようとします。もはや逃げられないと悟った主人公は、雨の止まないジャングルの中で、一人の孤児と共にオランダ軍を待ちます。指導者としての威厳を失わず、ただクルアーンを読み続ける老女に圧倒されるオランダ軍将校。彼女の身体が心配なパン・ラオッは涙声で彼女を説得しようとしますが、その時。

「去れ!!!」

アチェの短剣レンチョンでかつての部下を刺すチュッ・ニャ・ディン

「お前はこれほど長い期間私と一緒に闘ってきたのに、この闘いを全然理解してなかった。それこそが私の敗北だ...」

囚われた彼女は西ジャワのスメダンへ流刑され、その地で亡くなったことを伝える字幕でこの叙事詩的映画は幕を閉じます。

今こうして映画のラストシーンを書き起こしてみてやはり感じるのは、およそ日本の時代劇映画あるいは戦争映画とは全く異なるヒロイズムのあり方です。もちろんこの場合は史実に基づいているとはいえ、おそらく日本でこのような物語が作られるとすれば、主人公は自害切腹するなり、或いは精一杯の物理的抵抗をするか、又は部下の心情を思いやって泣く泣く投降、といった展開になるでしょう。しかし、この映画の主人公はイスラーム信仰を元に異教徒と戦い(そもそも日本にはこうしたジハード型の話があまりない)、敵に決して屈さないだけでなく、自分の身を案じた腹心の部下ですら決して許さない峻厳さを観客に見せるのです。

Pergilah(去れ)!!! という言葉が発された時、私は強烈な衝撃を受けたのでした。一体、何なんだ、この厳しさは?神への信仰?自尊心?民族の誇り?

なにより、クルアーンの章句をただ唱えながら、オランダ人の言葉に決して耳を貸さない主人公の姿は、誤解を恐れずに言えば、ほとんど狂信者に近いものがあり、畏怖の念を私に抱かせました。と同時に口当たりの良い甘い砂糖菓子のような異国趣味ではない、簡単な咀嚼を許さない「異文化」を当時の私はこの映画から確かに感じ取りました。

安易な感動などではない、かと言って全く理解不能というでもなく、映画鑑賞後もまるで「異物」を飲み込んだような気分はその後も続き、インドネシアについて、アチェについて、イスラームについて、そして何よりチュッ・ニャ・ディンという「国家英雄」について、もっと知りたい調べたいという気持ちが強まり、映画鑑賞から5年も後でしたが、バンダアチェにあるチュッ・ニャ・ディン博物館を訪問したのでした。またそれから更に数年後には、主演女優のクリスティン・ハキムさんにもお会いして御礼を直接述べることができました。

その後いろいろ紆余曲折があって、今はこうしてチカランに住んでいるわけですが、もしこの映画を観ていなかったら、おそらく私はインドネシアにこれほどのめり込むことはなかっただろうなと強く確信しています。そうした意味で、この作品は間違いなく私がインドネシアに関わるきっかけを作り、そして人生を変えた映画となりました。



 (中央 泣き崩れるチュッ・ニャ・ディン本人。オランダ軍に囚われた後の写真。純粋なる敗者の映像。)

次回はフリーペーパー「+62」No11 (2017年8月号)に掲載された「私の好きなインドネシアの本」の続きを予定してます。それでは、また来月!

<YOUTUBE>
https://www.youtube.com/watch?v=BwHVTg7s4IM
https://www.youtube.com/watch?v=SAwotI6iGnA

<映画データ>
原題 ; Tjoet Nya' Dhien
日本語題 ;チュッ・ニャ・ディン
製作公開年; 1988年
製作国;インドネシア
言語;アチェ語、インドネシア語
日本公開日;1990年8月25日
上映劇場;岩波ホール
スタッフ;製作 アルウィン・アリフィン
     監督及び脚本 エロス・ジャロット
     撮影 ジョージ・カマルッラ・プナタ
     音楽 イドリス・サルディ
キャスト;クリスティン・ハキム、スラメット・ラハルジョ、ペトラジャヤ・ブルナマ、
     イブラヒム・カディル