本作の監督はここ20年では最大の観客動員を記録した『Warkop DKI Reborn: Jangkrik Boss! part 1』のAnggy Umbara。今回初めて彼の作品を見たが、娯楽映画の王道を行くスタイルと感じた。奇をてらわず、観客の期待を裏切らない堅実な演出。ジャンル映画においては必須の要素だろう。他の作品を見てないので明言できないが、職人肌の監督なのかもしれない。
マレーシアではこの女妖怪はポンティアナックと呼ばれるのが一般的で、これはマレー語の perempuan mati beranak(出産時に死亡した女性)を短くしたものとの説があります。同様の女妖怪はバングラデシュやインドなどの南アジアにおいてはチュレルChurelと呼ばれ、日本の産女あるいは姑獲鳥(うぶめ)、タイのメー・ナーク・プラカノンとも親しい類縁関係にある妖怪と言えるでしょう。
インドネシア独立後、映画産業は活況を呈しますが、幽霊を扱った作品はいくつかあったもののその多くは喜劇がほとんどだったらしく、本格的な怪奇映画の登場は映画産業が再び活性化する70年代を待たねばなりませんでした。1971年に至り、本格的怪奇映画『墓場での出産』が公開されます。主演は当時29歳のスザンナ。原作は70年代インドネシアで大ヒットしたアクション漫画『幽霊洞窟の盲目剣士』 Si buta dari gua hantuの作者ガネス・TH による漫画。脚本は後に大監督となるシュマンジャヤ。(ガネス・TH とシュマンジャヤについてはいずれ別項で論じる予定)映画全体の雰囲気としてはエドガー・アラン・ポーのゴシック小説を連想させる内容となっています。
映画『墓場での出産』Beranak dalam kubur ポスター
この映画以降、スザンナは恋愛ドラマにも出演するものの、主に怪奇映画においては欠かせない女優として、文字通り怪奇映画の女王の座へと上っていきます。代表作としては『スンデル・ボロン』Sundel
Bolong, 『黒魔術の女王』Ratu Ilmu Hitam, 『ニ・ブロロン』Nyi Blorong, 『サンテット』Santetなど。
まず第一に、彼女の出自が本名のSuzzanna Martha Frederika van Oschから分かるとおり、混血であったこと。両親共に混血だったので、彼女はオランダ、ドイツ、ジャワ、マナドの血を引いていました。先述したようにインドネシア映画史とはその黎明期から様々な民族や出自を持った人たちが作り上げてきた歴史であり、内容を含めて混血性こそがインドネシア映画の核ではないかと私は思っています。怪奇映画はその通俗性からインテリや外国人からは蔑まれ、まともに論じられてこなかったのですが、混血性をキーワードとして再検討するならば、スザンナこそはインドネシア映画のまごうことなき本流をゆく女優と位置づけることも可能でしょう。彼女が全盛期の映画でたびたび見せる、相手を射抜くような神秘的な眼差しが印象的です。