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2018年11月30日金曜日

映画メモ 『 Suzzanna: Bernapas dalam Kubur 』


 先日近所のCinemaxx でLuna Maya 主演の怪奇映画Suzzanna; Bernapas dalam Kubur を観てきた。タイトルを聞いて、「怪奇映画の女王」と呼ばれたスザンナ姐さんの伝記映画か!?と早とちり。実際は至極まっとうな怪奇映画だったのだが、ある意味時代錯誤と言うのか、非常に変わったスタイル、言うなればかつてブルース・リー没後に雨後の筍の如く作られた「ブルース・リーそっくりさん映画」みたいなテイスト満載。思っていたより楽しめたのは私がスザンナ姐さんファンだからか?

映画のあらすじやスタッフキャストについてはこちら。
http://filmindonesia.or.id/movie/title/lf-s026-18-453523_suzzanna-bernapas-dalam-kubur#.W_93ejj7TZ4

本作の監督はここ20年では最大の観客動員を記録した『Warkop DKI Reborn: Jangkrik Boss! part 1』のAnggy Umbara。今回初めて彼の作品を見たが、娯楽映画の王道を行くスタイルと感じた。奇をてらわず、観客の期待を裏切らない堅実な演出。ジャンル映画においては必須の要素だろう。他の作品を見てないので明言できないが、職人肌の監督なのかもしれない。

十中八九、日本ではまず上映されないタイプの映画だが、それだけにちゃんと作品評を書いておくべきかもしれない。まあ気が向いたらということで。

妖花スザンナを日本に紹介した四方田犬彦さんが本作を見たら、どう評されるだろうか?

<更新履歴>2018年11月30日WIB19時 誤字修正ほか

2018年5月5日土曜日

境界を越える女妖怪、クンティラナック

某メルマガに掲載予定の原稿。
 
私がインドネシアについて知っている二、三の事柄
7回 境界を越える女妖怪、クンティラナック

 
前回はインドネシア怪奇映画の女王スザンナについて語り、最後は彼女の代表作Sundel Bolong の有名な場面を紹介しました。読者の方々はこの動画を見てゲラゲラ笑ったでしょうか?それともサテ屋の二人組のように、恐怖のあまり逃げ出したでしょうか?あるいはあまりの荒唐無稽さに馬鹿ばかしさに唖然(あぜん)とされたでしょうか?

深夜のサテ屋でスザンナはサテ200串を注文して一気食い、その正体は...


 さて、今回も前回に続きオバケの話ですが、特定の映画からは少し離れ、オバケや妖怪という魑魅魍魎(ちみもうりょう)が東南アジアにおいてどのように生まれ、発展し、さらに今後継承されていくのか、最近のニュースなども参考にしながら考察してみたいと思います。

 去る3月ボゴール交通警察は女妖怪「クンティラナック」Kuntilanakを広報動画に起用、こうした面白いネタに敏感なインドネシアのネット界では少し話題になりました。ヘルメット未着用のクンティラナックが交通警官に違反切符を切られ泣いて後悔するという内容です。





 妖怪にも交通ルールを遵守させようとする警察官、一方彼を偽紙幣で買収しようとするも逆に違反切符を切られるクンティラナック、この対比が可笑しいのですが、クンティラナックが誰でも知っているメジャーな妖怪であることもこの動画の面白さに寄与していると思います。
 
 ここで改めてクンティラナックという女妖怪について説明しておきましょう。クンティラナックは別名ポンティアナックpontianak とも呼ばれ、インドネシアだけでなくマレーシアでもきわめて知名度の高い妖怪です。西カリマンタンの州都はまさにそのポンティアナックという名前であり、その由来はスルタン(イスラームを奉じる王様)が王宮を造るさいにその地にいた女妖怪ポンティアナックを追払ったことにあると伝えられています。クンティラナックの特徴としては、①元は妊娠中あるいは出産直後に亡くなった女性、②青白い顔に長い黒髪を持ち白い衣服を着ている、③うなじ又は背中に穴があり釘や刃物でそこを塞がれると動けなくなる、④樹木の上に住み鳥のように空を浮遊する、などです。
 
 マレーシアではこの女妖怪はポンティアナックと呼ばれるのが一般的で、これはマレー語の perempuan mati beranak(出産時に死亡した女性)を短くしたものとの説があります。同様の女妖怪はバングラデシュやインドなどの南アジアにおいてはチュレルChurelと呼ばれ、日本の産女あるいは姑獲鳥(うぶめ)、タイのメー・ナーク・プラカノンとも親しい類縁関係にある妖怪と言えるでしょう。
 
 シンガポール繁栄の礎を築いた英国人ラッフルズの書記を務めたマレー人のアブドゥッラーはマレー半島で信じられている悪霊や妖怪について、自伝の中で以下のように書き記しています。マラッカに宣教師として赴任していたミルン氏の奥方とのやりとりです。

 彼女は一人の中国人の女性を雇っていて、彼女の服や子供たちの服を繕わせていた。ある日のこと、この中国人の女性がミルン夫人のところへやってきて言った。
「昨日、私の子供は家でプンティアナクとポロンに魅入られて死ぬところでした」
 ミルン夫人は、プンティアナクとポロンという言葉がわからなかった。中国人の女性は手振りや言葉でいろいろと説明しようとしたが、夫人は理解できない。そこで二人は、私が書きものをしている部屋にやって来て言った。
「プンティアナクやポロンというのは、どういう意味なの?」
 私は笑った。そしてミルン氏に、中国人やマレー人が信じている、愚にもつかない、役にも立たない、ありとあらゆる悪霊の名を、はっきりと説明した。それは我々の先祖の時代から受け継がれ、今日に至るまで続いているのである。私はそれらがおよそ幾つぐらいあるのか、その数をあげることも、また、その意味をはっきりさせることも出来ない。(後略)

アブドゥッラー著、中原道子訳『アブドゥッラー物語 あるマレー人の自伝』 平凡社東洋文庫 pp.108-109

 
プンティアナクとはポンティアナックを指し、訳注では「吸血鬼。産褥にある婦人とか子供を餌食にする悪霊」と解説されています。またポロンは使いの精で、遠隔地にいる誰かに取り憑く悪霊と言われます。この後アブドゥッラーは二十五にも及ぶ悪霊の種類や名前を挙げ、それらに対処するための悪魔祓いや魔術についても語っています。

 また、前世紀初頭にウォルター・スキートが著した『マレー魔術』には、死産した女性が化けたのがランスィールlangsuirであり、ふくろうの姿をして空中を浮遊するとの説明があります。そして彼女の子供がポンティアナックなのですが、年月を経るうちに両者は混同されるようになり、現在ではポンティアナックの方が子供を死産した女妖怪と認識されているようです。

首から下は内臓だけの女妖怪ペナンガランpenanggalanとランスィールlangsuirランスィールの長い爪が鳥を連想させる。
『マレー魔術』より

 このようにクンティラナック(ポンティアナック)はインドネシアやマレーシアという国家が誕生するよりも遥か昔から東南アジアに存在する伝統的なオバケなのですが、日本の妖怪の姿形が漫画家水木しげるの手によって明確なビジュアル化を施され多くの人々の共通認識となったように、クンティラナックもその姿形がはっきり定まったのは視覚メディアである映画を通してでした。マレーシアでのポンティアナック映画は1957年にキャセイ・クリス社によって製作された第一作を嚆矢(こうし)としてこれまでに15本以上が製作されており、一方インドネシアにおけるクンティラナック映画は1962年に喜劇色の強い第一作が公開、その後長い空白の期間を挟んで、2000年代にはほぼ毎年クンティラナックという名前を冠した作品が公開され人気を博しました。これらの中には怪奇ものというよりはコメディに分類すべき作品も含まれていますが、両者を合わせると30本前後の映画がこれまで作られてきました。

 なお、マレーシア初のポンティアナック映画主演女優はマリア・メナードといい、彼女はオランダ植民地時代に北スラウェシのマナドで生まれ、ジャカルタを経て戦後のマレー半島やシンガポールでモデルをしていたところ映画女優としてスカウトされたという経歴を持ちます。当時東南アジアで一番の美女と呼ばれた彼女が世にも恐ろしく醜い怪物ポンティアナックに変貌する場面が大いに観客に受け、映画は大ヒットを飛ばしシリーズ化されました。しかし残念なことに、彼女がパハン州のスルタンと結婚し引退した後、スルタンが彼女主演のオバケ映画の封印を望んだために、キャセイ・クリス社長のホー・アロクはフィルムを破棄、現在フィルムは完全な形では残っていないそうです。元々目に見えない霊的存在だったポンティアナックが彼女主演の映画によって視覚的存在として多くの人に認知されたのも束の間、フィルムが失われたことでポンティアナックは幻の存在に再び戻ったと言えるのかもしれません。

女優時代のマリア・メナード。現在86歳、スルタン妃として存命。
シリーズ第3作『ポンティアナックの呪い』(吸血人妖)中国語広告。右から読みます。
 これらの映画の粗筋紹介は割愛しますが、5060年代に製作された作品は当時の怪奇映画の常として、女妖怪が伝統的村落共同体を危機に陥れるものの、最終的にオバケは退治され共同体の秩序は回復される(ただしいつか怪物が復活することも暗示される)物語とまとめることが可能でしょう。一方、70年代から90年代にかけての急速な近代化と都市化の進展は怪奇映画にも影響を与え、かつての物語の型が観客には受容されなくなりました。具体的には、フェミニズムやメタ物語的な批評的視点が加わり、あるいはクンティラナックという超自然的存在を通して女性の自己同一性が問われる作品の出現です。夜な夜な男性たちを襲う恐ろしい女妖怪は一方で我が子を盲目的に愛する母親でもあり、怪奇映画というジャンルを通して母娘のメロドラマが語られていたのが旧作群であるとすれば、今世紀以降に製作された作品のメッセージは様々ながら、物語の女性たちが主体的に行動し、時に女妖怪に化けるように見えて実は多重人格の持ち主かもしれないと観客に錯覚を起こさせる、あるいは「信用できない語り手」によって観客を宙吊りの状態にする、一筋縄ではいかない作品が多い傾向が見られます。妊娠した女性に限らず全ての女性はクンティラナックという妖怪になる可能性があり、その怒りを完全に抑えることはイスラム導師を含め誰にもできない、そして女性と女妖怪は時として互換性を持ち、人間と異形のものという境界そのものを無効にしてしまう。これこそ怪奇映画のもっとも新しい主題であり、クンティラナックという女妖怪の最新モードと言えるでしょう。
 
奇しくも先日の米アカデミー賞で主要4部門を制したのは鬼才ギレルモ・デル・トロ監督の『シェイプ・オブ・ウォーター』でした。モチーフは『美女と野獣』のように見えて、実のところオリジナルは1954年ハリウッド製怪奇映画『大アマゾンの半魚人』。技術系部門の賞を除けばモンスターものやSF作品には極めて冷淡だったアカデミー賞の歴史において、『シェイプ・オブ・ウォーター』の受賞は画期的でした。映画内で女性主人公は文字通り境界を越え半魚人と一体化するのですが、実はこうした人間と異形のものの差異を無効化する視点は、インドネシアに限らず日本を含めたアジアの伝統的な物語の中にも見出されるものです。壁を築き境界を高くしようとする政治的動きは今世界各地で散見されますが、それに対する文化的カウンターもあちこちで聞こえてきます。いずれクンティラナックを主人公とした映画が権威ある映画祭の場で顕彰される日はそう遠くないのではないでしょうか。
  
  さて、最後は20172月に地元紙で話題になった以下の記事でこの稿をしめたいと思います。

 先述した西カリマンタンの州都ポンティアナックに女妖怪の巨大な彫像を建てる構想が観光局長の口から語られたとの内容です。マレーシアの都市クチンに猫の像が、シンガポールにマーライオンの像が、それぞれ存在することがヒントになったようで、街のシンボル及び観光名所としてカプアス河とランダック河が合流する地点に高さ100m(!)のポンティアナック像建設を考えているとのこと。あまりの荒唐無稽さに住民からは反対の声も出ているそうで、実現させるには多くのハードルが予想されますが、巨大オバケ像を使った町おこしというのはかなりユニークであることは間違いありません。はじめに紹介したクンティラナックに交通違反切符をきる警察官同様、恐ろしい妖怪ですらこうして手なずけて馴化させてしまうインドネシア人の想像力には脱帽です。

 さて、これまで三回続いたオバケの話は一応ここまでとし、次回からは先ごろ発売された大部の論文集『東南アジアのポピュラーカルチャー』を元本に、さらにディープな大衆文化を紹介していきたいと思います。それではまた次回!

<参考文献>
四方田犬彦 『怪奇映画天国アジア』 白水社 2009
 Walter William Skeat, Malay Magic  Being an introduction to the folklore and popular religion of the Malay Peninsula, 1900
アブドゥッラー著 中原道子訳『アブドゥッラー物語 あるマレー人の自伝』平凡社東洋文庫 1980




2018年3月4日日曜日

「怪奇映画の女王」スザンナがスクリーンに蘇る時


私がインドネシアについて知っている二、三の事柄
6回 「怪奇映画の女王」スザンナがスクリーンに蘇る時

前回は昨年大ヒットした怪奇映画『悪魔の奴隷』(原題Pengabdi Setan)について語りました。反イスラーム的な内容の古風なスタイルのオバケ話が何故今のインドネシアで観客動員数が400万人を越えるほど大ヒットするのか、私なりに考えた仮説を提示してみましたが、実のところよくわからないなあというのが正直なところです。ただ、私にとってはこの「わからなさ」がインドネシアに長年住んでいて面白いと感じる部分でもあります。そんなわけで、前回参考文献として挙げた『怪奇映画天国アジア』を今回も参照して、インドネシアにおける怪奇映画の概略と、その際には必ず言及される女優スザンナ(1942年~2008年)について、今回は語ってみたいと思います。


表紙はタイ映画『幽霊の家』ポスター

インドネシアの地で劇映画が初めて製作上映されたのは1926年の無声映画『ルトゥン・カサルン』Lutung Kasarung 、西ジャワの民話の映画化でした。当時はまだオランダ植民地時代だったので、監督はオランダ人ヒューヘルドルプ、撮影はドイツ人クルーゲル、主演はバンドゥン県知事の子供。その後、既にアジアで映画先進国だった中国大陸からの映画人たちが到来し、中国の物語を映画化、その中には西遊記の猪八戒が主人公のものや、日本でも有名な白蛇伝がありました。これらは怪奇映画と呼べる内容ではないものの、現実の人間社会を活写したのではないファンタジーを扱っているため、そのさきがけと見なすことも可能なようです。

インドネシア独立後、映画産業は活況を呈しますが、幽霊を扱った作品はいくつかあったもののその多くは喜劇がほとんどだったらしく、本格的な怪奇映画の登場は映画産業が再び活性化する70年代を待たねばなりませんでした。1971年に至り、本格的怪奇映画『墓場での出産』が公開されます。主演は当時29歳のスザンナ。原作は70年代インドネシアで大ヒットしたアクション漫画『幽霊洞窟の盲目剣士』 Si buta dari gua hantu の作者ガネス・TH による漫画。脚本は後に大監督となるシュマンジャヤ。(ガネス・TH とシュマンジャヤについてはいずれ別項で論じる予定)映画全体の雰囲気としてはエドガー・アラン・ポーのゴシック小説を連想させる内容となっています。


映画『墓場での出産』Beranak dalam kubur ポスター

 この映画以降、スザンナは恋愛ドラマにも出演するものの、主に怪奇映画においては欠かせない女優として、文字通り怪奇映画の女王の座へと上っていきます。代表作としては『スンデル・ボロン』Sundel Bolong, 『黒魔術の女王』Ratu Ilmu Hitam, 『ニ・ブロロン』Nyi Blorong, 『サンテット』Santet など。



1963年、21歳当時のスザンナ
 
スザンナがどのようにして怪奇映画の女王と呼ばれるようになったのか、その背景と人気の秘密についてじっくり語ることは、数本の映画しか見ていない私にはやや荷が重いのですが、いくつか気づいた点を指摘しておきたいと思います。

まず第一に、彼女の出自が本名のSuzzanna Martha Frederika van Oschから分かるとおり、混血であったこと。両親共に混血だったので、彼女はオランダ、ドイツ、ジャワ、マナドの血を引いていました。先述したようにインドネシア映画史とはその黎明期から様々な民族や出自を持った人たちが作り上げてきた歴史であり、内容を含めて混血性こそがインドネシア映画の核ではないかと私は思っています。怪奇映画はその通俗性からインテリや外国人からは蔑まれ、まともに論じられてこなかったのですが、混血性をキーワードとして再検討するならば、スザンナこそはインドネシア映画のまごうことなき本流をゆく女優と位置づけることも可能でしょう。彼女が全盛期の映画でたびたび見せる、相手を射抜くような神秘的な眼差しが印象的です。

第二に、彼女の名声が怪奇映画の女王として定着したのは既に40歳を超えた80年代だったこと。子役として「インドネシア映画の父」ウスマル・イスマイルの『血と祈り』で映画デビューし、60年代には数本の映画で主演女優を務め、歌手としてアルバムを出したりもしましたが、それほどの人気は得られませんでした。遅咲きの大スターだったということです。

第三に、彼女が主演した怪奇映画のほとんどがモダンな都市ではなく伝統的な農村部や地方を舞台としていたこと。おどろおどろしい呪術やイスラーム到来以前の神話や民話が生きる伝統的な共同体において、彼女は幽霊や南海の女神の娘などを繰り返し演じてきました。

第四に、彼女がスクリーンで見せる妖艶さが実生活でも同様であると観客には信じられたこと。具体的には、彼女がいくつかの映画の中で見せる呪術的行為を実生活でも実践しているので、40代を過ぎても美しさを保っていると噂されたことです。映画内世界と現実の出来事が渾然一体となることで俳優の人気が上がることは珍しくありませんが、実際に呪術が存在し広く信じられているインドネシアにおいては単なるスキャンダルを超えた次元のように思えます。 

第五に、強権的な軍事独裁スハルト政権全盛期に彼女が出演した怪奇映画の妖花が咲き乱れたこと。前掲書『怪奇映画天国アジア』著者の四方田犬彦さんは、共産主義国家とイスラーム世界には怪奇映画はジャンルとして存在しない、それは世界を統一する原理がある地域や国においては幽霊や妖怪などという魑魅魍魎(ちみもうりょう)は存在が許されないためであると繰り返し述べています。ただしインドネシアは重要な例外で、なぜこの国でこれほど怪奇映画が製作されるかと言えば、外来宗教であるイスラーム到来以前の原始宗教や精霊信仰が根強く残っていることが背景にあると解説しています。

 そして、ここからは私の解釈となりますが、強権的で検閲も厳しかったスハルト政権下で何故怪奇映画のような荒唐無稽で非合理的な物語が許されしかも人気があったのか、それは最終的には秩序回復のハッピーエンドだったからと私は考えています。恐ろしい幽霊や怪物となったスザンナが自分を殺した男たちに復讐し、さらに暴れようとするも、イスラーム導師や自分よりも力の強い術者によって説伏され、混乱していた共同体は秩序は取り戻す。彼女が主演した怪奇映画の要約とはこのようなものです。

 これは旧体制と後に呼ばれたスカルノ政権時代の政治的経済的混乱を収拾し、その原因とされた共産主義を徹底的に弾圧し、秩序維持を第一としたスハルト政権のあり方と相似しています。混乱は必ず収まり、秩序は回復される、これがスハルト政権時代の怪奇ものに限らないインドネシア映画の基調でした。

 よって、スハルト政権崩壊後の今に続く改革時代の怪奇映画においては、共同体の混乱は解決されずハッピーエンドとならないことが常態となりました。もしスザンナが今も存命であれば、80年代に製作された怪奇映画以上の荒唐無稽ぶりをスクリーンで見せていたのではないかと想像されます。

最後に、彼女の代表作『スンデル・ボロン』 Sundel Bolong の有名な場面を以下に引用しておきます。日本の怪談を連想させる、恐怖と笑いが渾然となった名場面ではないかと思いますが、如何でしょうか?



サテ200串(!)を一気食いするスザンナ、その正体は...
 

 次回はオバケ話の続きか、あるいは荒唐無稽なジャンルとして繋がりのあるシラット小説やその映画化について語ってみたいと思います。それではまた来月!

<参考文献及びウェッブサイト>
四方田犬彦 『怪奇映画天国アジア』 白水社 2009
国際交流基金アジアセンター発行『カラフル!インドネシア2』パンフレット 2017
filmindonesia.co.id   ( インドネシア映画データベースサイト)          

2018年2月4日日曜日

映画『悪魔の奴隷』が描く恐怖とは何か?

2月の某メルマガ連載原稿。2017年版はもう一回見直したいなあ。iTUNE配信はいつからだろう。


私がインドネシアについて知っている二、三の事柄
第5回 『悪魔の奴隷』が描く恐怖とは何か?

 前回まではインドネシアの国家英雄であるチュッ・ニャ・ディン、カルティニ、タン・マラカについて映画や書籍を通して語ってきました。今回からはややお堅い国家英雄の話からは離れ、もう少し俗な話題を取り上げていきたいと思います。まずはインドネシア人が大好きなオバケに関連した話から。オバケと聞いて眉をひそめる方もいるかもしれませんが、オバケが分かればインドネシアのことも分かるはず!と信じてつらつら書いてみようと思います。

 ここ数年のインドネシア映画界が産業としても好調なことは、チカランやジャカルタの映画館へ最近行かれた方は肌で感じていると思います。年々増加するスクリーン数と映画鑑賞人口には海外投資家も注目し始めており、わずか15年前は古い映画館の閉鎖が続き、街中に海賊版DVDやVCDの露天商が溢れていたことが嘘のようです。多くのインドネシア人観客を集めている作品はティーン向けロマンス、あるいはイスラーム教風味のロマンス、またはコメディだったりするのですが、ジャンルとして強固に観客から支持されているものの一つとしてホラーものがあります。(以後、「怪奇映画」というやや古臭いながらもおどろどろしさを感じさせる用語を用います)

 驚くべきことに昨年2017年のインドネシア国産映画観客動員数ベスト10のうち5本が怪奇映画なのです。そして堂々観客動員数第一位となったのは、今回紹介する映画『悪魔の奴隷』(Pengabdi Setan) でした。100万人突破すればヒット作品と言われるインドネシア映画界でなんと420万人超の観客を集め、しかもここ10年間の中でも歴代第4位、怪奇映画としては空前の大ヒット作となりました。マレーシアやフィリピンなど近隣国でも上映されて好評を博し、マレーシアでは近年のインドネシア映画の中では最大のヒット作になったと報じられました。

Pengabdi Setan (2017) オリジナルポスター


Pengabdi Setan ( 2017) official trailer


 実は本作『悪魔の奴隷』は1980年に製作公開された同名作品のリメイクです。 80年代を代表する怪奇映画の名作と言われ、監督は怪奇映画の女王と呼ばれた女優スザンナと後に多くの作品でコンビを組んだシスウォロ・ガウタマ。日本では80年代のビデオブーム時代にB級ホラー作品として『夜霧のジョキジョキモンスター』の邦題でリリースされました。知る人ぞ知る映画と言ったところでしょうか。

Pengabdi Setan ( 1980 ) オリジナルチラシ

 ストーリーは新旧ともにそれほど複雑ではありません。タイトルとポスターが示しているように、死者の蘇りという脅威に対してある一家がどうたち向かうか、というものです。怪奇映画の定石として、観客をドキッとさせる思わせぶりな演出が何回も繰り返され、そしてクライマックスでは真の恐怖を観客に体験させる趣向がなされています。
 
 1980年の旧版を今見直してみると、特殊メイクが現在の水準からは古臭く、失笑してしまう観客も今日ではおそらく少なくないでしょう。いや、そもそもインドネシアにおいて怪奇映画がこれほど人気を呼ぶのは、「恐怖」と「笑い」を映画館で同時に体験したいという観客の欲望があるのかもしれません。
 
 一方、2017年の新版は観客に恐怖やショックを与える場面は何回もあるものの、描写そのものはやや控えめで、スプラッター映画のような血まみれ演出はほとんど皆無、肝心の死者も主役?「悪魔の奴隷」も最後まで直接姿を見せません。ライティングや衣装や小道具や音楽など画面全体に漂う古風な雰囲気でじわじわと怖がらせる手法は、特殊効果とCG全盛の現在では珍しいもので、それが逆に若い観客層には新鮮でウケたことが記録的な大ヒットに繋がったと私は捉えています。

 実のところ私自身はホラーも怪奇映画も今まで積極的に観てきたわけではないのですが、本作については劇場に駆けつけました。B級映画好きで小津安二郎のようなA級古典作品は苦手だとかつて監督のジョコ・アンワルがインタビューで答えていたことが非常に印象に残っていたからです。専門学校で映画演出や技術を学んだ経歴を持たず、B級作品が好きであると公言する彼こそ「インドネシアのクエンティン・タランティーノ」と呼ぶのが相応しいと常々思ってました。果たして、リメイク『悪魔の奴隷』はB級どころか堂々たるA級作品で良い意味で裏切られました。あえて設定を旧版と同じ1980年に設定し、衣装・小道具・ロケーション・音楽等には徹底的に凝り、俳優たちにはリアルな演技を要求、結果として完成したのは古典的なスタイルの怪奇映画でした。これまで批評家にはウケが良く、日本はじめ海外での上映も少なくなかったジョコ・アンワル作品ですが、国内興行成績は決して良くはなかっただけに、今回の大ヒットは彼自身にとって僥倖(ぎょうこう)であり、製作に関与した韓国CJグループも次の作品に繋がるとして歓迎していることでしょう。
 
 新版『悪魔の奴隷』がこれほどの大成功を収めた作品としての魅力は先述のとおりですが、指摘しなくてはならない点がもうひとつあります。深読みしすぎと一笑にふされることは承知の上で、旧版と新版の重要な相違を書き出し、新版の大ヒットが意味することを考えてみます。

 新旧両方を見比べた人であれば誰でも気づくこと、それは作品内におけるイスラーム教の位置づけです。新旧どちらでも主人公一家たちは明らかに世俗化された一家で、日々礼拝する様子は出てこず、礼拝しようとすると悪霊の邪魔が入る描写は共通しています。新版では3回にわたり葬式や埋葬がおこなわれますが、埋葬直後の集団祈祷において父親がなんとも居心地の悪そうな顔をしているのが印象的です。新版では主人公たちの近所にはウラマー(イスラーム導師)がいて、時折様子を見に来るものの、危機においては全く役に立たず、文字通り画面から消えてしまいます。しかし、旧版ではウラマーが全ての問題を解決してジ・エンドとなります。

 つまり端的に言って、旧版は「イスラーム宣教映画」であり、新版は「反イスラーム映画」なわけです。ここで旧新版が製作公開された時代背景を比較してみましょう。
 
 旧版が製作された80年はスハルト政権が磐石となった時期であり、政治的なイスラーム勢力は無力化されていった一方、反共主義の一環として宗教的敬虔さは推奨され始めた頃と重なります。ラストにおいて主人公一家がモスクから出てきて安心立命を得るのは政権イデオロギーとも重なるわけです。子供二人というのも家族計画を強力に推進していた当時の政策に則った設定かもしれません。しかし新版は1980年という設定ながら、子供は4人に増えており、なによりもウラマーは主人公一家と雑談するくらいで全く活躍しないのです。人知を超えた悪魔の所業にイスラームは無力であるというのが新版の結論で、これは旧版とは真逆の結末に他なりません。

 スハルト政権崩壊後のインドネシア社会における政治的イスラーム勢力の拡大と、主に新興中間層にイスラーム復興現象が顕著なことはつとに研究者によって指摘されるますが、新版の大ヒットをこうした文脈ではどう解釈すればいいのでしょうか?所詮荒唐無稽なオバケ話と多くの観客に思われているのか、敬虔なイスラーム信者たちはそもそも怪奇映画を見に行かないのか、あるいは社会に横たわっている目に見えない反イスラーム的な感情や欲求不満が大ヒットという形で視覚化されたのか。

 映画を政治的文脈からのみ批評することを私は好みませんが、ジョコ・アンワル監督が昨年のジャカルタ州知事選挙で元ジャカルタ州知事アホックを支持していたこと、彼自身がゲイであることを公言、そしてアホックが保守イスラーム勢力の推すアニス・バスウェダンに選挙で大敗し宗教侮辱罪で有罪となった事実と照らし合わせると、監督自身のモヤモヤをこの作品の中に込めたのではないかと解釈することは、あながち牽強付会とも言えないと思うのですが、如何でしょうか?

 ただし付記しておくと、スハルト政権時代に製作された映画はどんなジャンルでもある意味「宗教は最終的に勝つ」「混乱は収拾され秩序は回復される」物語であり、その反転した形がスハルト政権崩壊以降のインドネシア怪奇映画のパターンでもあります。宗教指導者の権威は失墜し、物語世界の混乱はなんら回収されず終わるという結末は必ずしも珍しくありません。私の深読みは的外れで、ジョコ・アンワル監督は定石にただ従っただけなのかもしれません。
 
 いずれにせよ、新版が描いた恐怖とは、世界を統べる原理がもはや権威を失い存在しえないという指摘に他なりません。折りよく本作は日本でも「未体験ゾーンの映画たち2018」の一本として、ヒューマントラストシネマ渋谷やシネ・リーブル梅田で間もなく上映されます。昨年見逃した方はこの機会にぜひどうぞ。そのスタイリッシュな画面構成と色彩、そして音響に五感を集中して、じわっとくる恐怖を感じていただきたいと思います。 



 次回はオバケ話の続きということで、80年代に一世を風靡した怪奇映画の女王スザンナと彼女の作品について語ってみたいと思います。それではまた来月!

<参考文献及びウェッブサイト>
四方田犬彦 『怪奇映画天国アジア』 白水社 2009年
filmindonesia.co.id   ( インドネシア映画データベースサイト)
https://www.cnnindonesia.com/hiburan/20170928023545-220-244507/ulasan-film-pengabdi-setan 
https://en.wikipedia.org/wiki/Pengabdi_Setan_(2017_film)

2017年12月26日火曜日

書評『怪奇映画天国アジア』四方田犬彦著

某団体の会報に5年前に書いた書評。

私が何かを書く時考える時、いつも影響を受けているのが四方田犬彦さん。書物を通しての師匠というものが私にいるとすれば、間違いなく彼だと思う。

昨年はついにインドネシア怪奇映画の妖花スザンナについて東京で講演をおこなっているが、怪奇映画の妖しい花々は今も東南アジアの各地で、最近は怪奇映画が不在の中近東でも咲き始めている。本書の記述は更にアップデートされる必要があり、関係者各位の奮起を期待しています。


ぶくぶくニンジャ 

怪奇映画天国アジア 四方田犬彦著 白水社 2009年発行 2900円(税抜き)





 本書はインドネシアをはじめとする東南アジア各国の怪奇映画について論じた、極めてユニークな書物である。怪奇映画という言葉はいささか古めかしいかもしれないが、幽霊や怪物や妖怪が出てくる映画という括りとして考えるならば、本書の文脈においてはホラー映画という名称よりもよりふさわしいといえる。しかも「天国」!どれだけ多くの怪奇映画が製作上映されてきたか、普通の日本人は、いやアジアに詳しい日本人ですら、そうした事実に無頓着だったのではないだろうか。知られざる各国のローカル映画、しかも現地のインテリからも外国人批評家からも明らかに貶められてきた怪奇映画というジャンルを本格的に論じた書物はおそらく本邦初であろう。

 とは言え、怪奇映画、ホラーというだけで敬遠する方もいると思う。しかし怪奇映画における幽霊や怪物が何を表象しているのか、「なぜ幽霊は女性であり、弱者であり、犠牲者なのか?」(本書帯より)考察してみることは国際映画祭で受賞した「芸術映画」を論じること以上に重要ではないだろうか?なぜならタイやインドネシアで最も観客を集めるジャンルとは怪奇映画に他ならない。これらの作品を読み解くことは東南アジア社会を理解するひとつの手がかりになるはずである。

 それでも反論する人はいるだろう。「怪奇映画は下劣で低俗で非論理的で論ずるに値しない」と。なるほど、今もインドネシアで量産される怪奇映画のほとんどが低予算で製作された、観客の下世話な興味をあおるだけの、その場限りの娯楽なのかもしれない。しかし怪奇映画という枠組みを広く捉えた場合、そこにはある種の政治性が浮かび上がってくる。70年代から80年代にかけて一時代を築いた妖花スザンナ主演の怪奇映画は基本的に通過儀礼と秩序回復の物語であり、それは当時のスハルト体制のあり方に対応している。そして当時の教育の場で強制的に毎年上映された悪名高いプロパガンダ映画「インドネシア共産党九月三十日の裏切り」(原題Pengkhianatan G-30-S PKI)は「観客を妖怪めいたものにする」真の怪奇映画ではなかったか。さらにこれは評者の仮説だが、伝統的な幽霊や怪物を登場させる怪奇映画が現在も量産されるのは、猛烈な勢いで進むグローバライゼーションに対する現地社会からの反撃の一形態ではないだろうか。

 本書の構成は、第一章が怪奇映画についての理論的な考察と日欧米の怪奇映画の系譜について、第二章以降は東南アジア諸地域における各論、インドネシア製怪奇映画については第二章と第四章で個別の作品が論じられている。いささか取っつきにくいと考えている方は第一章と第七章、おまけの英語の抄訳から読んでいただきたい。怪奇映画に対する偏見が和らぐこと間違いなしである。

 本書の欠点を指摘するとすれば、著者が地域専門家でないため細かい事実関係の間違いが散見されること、インドネシア同様お化け話が大好きなフィリピンやミャンマーの映画を全く取り上げていない点だろう。この点は著者も自覚的で、本書はあくまで2009年時点での暫定的な結論に過ぎないと述べている。後続の研究者たちには是非とも本書の続編を書いてほしいと思う。なお、日本でも「呪歌」(原題Kuntilanak)や「呪いのフェイスブック」(Setan Facebook)という題名でインドネシア製怪奇映画がDVD発売されているので、関心のある方は探してみていただきたい。

 さて、それでも幽霊が苦手で本書へ手を伸ばすことに躊躇する方へ。大丈夫、これは本なので某映画のように顔が見えないほど長髪の女性が出てきて呪い殺されることは絶対にありません。安心して最後までお読みください。

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2017.12.28  ラベル追加