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2018年11月30日金曜日

映画メモ 『 Suzzanna: Bernapas dalam Kubur 』


 先日近所のCinemaxx でLuna Maya 主演の怪奇映画Suzzanna; Bernapas dalam Kubur を観てきた。タイトルを聞いて、「怪奇映画の女王」と呼ばれたスザンナ姐さんの伝記映画か!?と早とちり。実際は至極まっとうな怪奇映画だったのだが、ある意味時代錯誤と言うのか、非常に変わったスタイル、言うなればかつてブルース・リー没後に雨後の筍の如く作られた「ブルース・リーそっくりさん映画」みたいなテイスト満載。思っていたより楽しめたのは私がスザンナ姐さんファンだからか?

映画のあらすじやスタッフキャストについてはこちら。
http://filmindonesia.or.id/movie/title/lf-s026-18-453523_suzzanna-bernapas-dalam-kubur#.W_93ejj7TZ4

本作の監督はここ20年では最大の観客動員を記録した『Warkop DKI Reborn: Jangkrik Boss! part 1』のAnggy Umbara。今回初めて彼の作品を見たが、娯楽映画の王道を行くスタイルと感じた。奇をてらわず、観客の期待を裏切らない堅実な演出。ジャンル映画においては必須の要素だろう。他の作品を見てないので明言できないが、職人肌の監督なのかもしれない。

十中八九、日本ではまず上映されないタイプの映画だが、それだけにちゃんと作品評を書いておくべきかもしれない。まあ気が向いたらということで。

妖花スザンナを日本に紹介した四方田犬彦さんが本作を見たら、どう評されるだろうか?

<更新履歴>2018年11月30日WIB19時 誤字修正ほか

2018年11月27日火曜日

アジア大会で金メダル独占!伝統的護身術プンチャック・シラットの奥義に迫る!!インタビュー後半

後日某メルマガに掲載予定。


私がインドネシアについて知っている二、三の事柄
12回 アジア大会で金メダル独占! 伝統的護身術プンチャック・シラットの奥義に迫る ~日本プンチャック・シラット協会会長 早田恭子さんインタビュー後半

 前回に続き、日本プンチャック・シラット協会会長にして、日本人として只一人の国際審判員ライセンス保持者である早田恭子さんへのインタビュー後半をお届けします。今回は動画を多数紹介しますので、読者の皆様には是非クリックしていただき、シラットの魅力の一端にふれていただければ幸いです。

インタビューに入る前に、早田さんお勧めのシラットの動画をまずはご覧ください。これはジャカルタでのイベントで、飛び跳ねたりする派手さはありませんが、達人の熟練した動きが実に魅力的です。




私がお勧めしたいのは今年ベルギーでおこなわれたオープン・トーナメントでのインドネシアチームの演武です。


では、インタビュー本編後半をどうぞ!ジャーン!!!



<インドネシア国内におけるプンチャック・シラットの現状について>

インドネシアでプンチャック・シラットの全国組織インドネシア・プンチャック・シラット協会(IPSI が結成されたのが1948年、その後国際プンチャック・シラット連盟(PERSILAT)が設立されたのが1980年、伝統的護身術から近代スポーツへの脱皮に時間がかかっている印象を受けます。既にスポーツとして各国に普及している他の護身術、例えば空手やテコンドー、武術太極拳と比較した場合、シラットには際立つ特徴がありますか?

 伝統的護身術としてそれを実践・伝承してきた地域と、近代スポーツとしてのそれを開発・主導した地域の一致する範囲が狭いのがシラットだと思います。
ちなみに、1950年代のPONでシラットが競技として実施されているそうです。つまり、近代スポーツとして普及発展を目指す勢力あるいは思考は、インドネシアで意外と長い歴史を持っていることになります。そして50年代と形態が違うにしても、PERSILAT設立時には競技シラットとしての土台が多国間で共有されました。通信手段など現在とは異なる社会インフラを考えれば、30年ほどで伝統的護身術を母体とする近代スポーツとして認知されているのは、早い方ではないかと思います。

注1)PON = Pekan Olahraga Nasional , 州対抗のスポーツ競技大会。日本の国民体育大会に相当する。 

なるほど、仰るとおり社会インフラの違いを考慮すれば、近代スポーツとして着実に発展してきているというのが実態に近いのですね。訂正いたします。
 それでは、どの地域に伝統が色濃く残り、或いはどの地域が近代スポーツとして盛んなのでしょうか?地域だけでなく、階層によっても伝統の継承やスポーツ化の面で違いは見られるのでしょうか?

 前述の「地域」はインドネシアを全てとした場合の地域ではなく、マレー文化圏を想定しています。私自身で調査研究をしたわけではありませんから、あくまで印象論ですが、マレー語の通じる、あるいは語彙を共有するエリアは基本的に伝統護身術として実践伝承してきた「地域」だと思います。一方、近代スポーツとしてのそれを開発・主導した「地域」はかなり狭く、ジャワ島を中心とした表層部分と言えるのではないでしょうか。ただし近代スポーツとしての起こりは小さな点でも、SEAゲームズという東南アジア全体が競う舞台でいくばくなりとも強い足場を築いたがために、伝統護身術として実践伝承してきた地域外、つまりはベトナムやラオスといった国において、近代スポーツとしての発展に力が入れられているように感じます。
少し狭い範囲、インドネシアに絞って話をすると、地域・階層で継承・スポーツ化に違いは見られません。同じ地域に継承する集団、スポーツに注力する集団が混在しますし、アクターが重複することもあります。階層によっての違いも顕著ではありません。高学歴富裕層がスポーツにのみ興味があるというわけでもないですし、社会的地位が低い経済困窮層がスポーツに参戦できないわけでもありません。

-例えば、アジア大会での金メダリストの多くが西ジャワ州の出身でした。これはやはり同地がシラットが盛んであることと関係があると捉えてよいのでしょうか?

 演武部門は西ジャワ州出身の選手が多かったのは事実です。また、西ジャワはシラットの故地の一つであるとも自負しているため、伝統を継承する集団が多いのも確かです。ただ個人的に、スポーツで好成績を修めるには広い裾野(多くの競技人口)と整った設備(効率的な練習)が大きな役割を果たすと思っています。盛んでなければ得るのが困難な要素ではありますが、西ジャワで盛んな“シラット”が“競技”と同義ではない以上、関係があると明言はできません。

-現在製薬会社のCMで人気のウェウェイ・ウィタさんはアジア大会50-55kg級の金メダリストですが、父親はシンガポール出身の中国系です。シラットとイスラーム信仰の結びつきは必ずしも必須ではないと考えて差し支えないのか、あるいは流派によるということなのでしょうか?

 ウェウェイ・ウィタさんはイスラーム教徒です。信仰という点からみれば、実はこの質問自体が成立しません。しかし、マレーシアで「スポーツにおけるシラットの技術は信仰・民族に関わらず教えるが、伝統武術としてのシラットはムスリムにしか伝えない」と言われたことがあります。シラットはイスラーム信仰と結びつけてイメージされることも多く、プサントレンでの鍛錬に採用されていたりします。それでも、結びつきが必須かどうかは流派(もしくは師範)によります。イスラーム信仰と不可分の流派から、ムスリムではなくても技を授ける流派、さらにはキリスト信仰と結びついている流派まで様々です。

(参考)人気トークショーに出演するウェウェイさんと両親



(参考)ウェウェイさん出演のテレビCM

  

ウェウェイさんが非イスラーム教徒と思ったのは私の早とちりでした。失礼しました。
ところで、伝統的なプンチャック・シラットには護身術としての面だけでなく、舞踊としての面も色濃くあります。

(参考) 結婚式におけるプンチャック・シラットの演武



 また、バンテン州におけるジャワラ(jawara)は武芸者、シラット使いを指すと同時に呪術も司っていると言われます。早田さんが所属されている流派はこうした潮流との交流はあるのでしょうか、それとも全くの没交渉なのでしょうか?
(参考) 昨年のジャカルタポスト記事 


 私が「結婚式でのシラット」として想起するのはSilat Pengantinと呼ばれるもので、シンガポールやマレーシアで見られるものです。

 
 ご紹介いただいている動画はHajatanのシラットかと思います。SilatPengantinは参列者が新婚夫婦に祝いを述べるもので、Hajatanのシラットは披露宴(宴会)の余興と言えるでしょう。

 イスラーム教徒であった私の師匠はムスリムでなくとも技を伝える人でしたが、核の部分を知ることはムスリムでなければできない、としていました。私自身はガイブ(幽玄)はあるものと認識していますが、呪術やバンテンのシラットに多くみられるDebusについては、ご縁がなく詳しくはわかりません。

注2Debus = 鋭利な刃物や針等を身体に刺して強靭さを誇示するパフォーマンス


<国外におけるプンチャック・シラット普及の課題について>

- インドネシア人の中にはシラットと言うと、こうした護身術以外の側面を思い浮かべる人も少なからずいるようですね。こうした側面はスポーツ化や海外への普及を目指すうえで時として障害にもなりうると思うのですが、伝統の継承とスポーツ化による普及のバランスは現状どのようになっているのでしょうか?

 国や地域によって状況が異なります。大まかには、スポーツとしてのシラットがシンプルに独立して扱われている場合と、伝統の継承や文化の学習と不可分のものとして扱われている場合に分けられます。前者の場合は護身術としての側面以外が置き去りになり、後者の場合はスポーツとしての普及が足踏みする傾向があるように感じます。ちなみに日本の場合は後者です。

- 日本の場合、シラットの普及が足踏みしている理由は色々あると思いますが、一番大きな理由は何だと思われますか?

 まずは日本の生活が忙しいことです。忙しさを前提に出来上がってる生活リズムに、変わったマイナーなスポーツあるいは武術が定期的な割り当てを受けるには、相当な好事家を呼び込むしかありません。次に、習える場と教える人が限定されていること。スポーツより伝統武術としてのシラットに需要があるとしても、潜在的にやってみたい人はそれなりにいるはずです。単発でも体験してもらう機会が増えることで、次のステップに行けるのだと思いますが、なかなかそういった機会を作ることができていません。

- アジア太平洋戦争中には多くの日本人が軍人民間人問わずインドネシアへ渡り、敗戦後に帰国しているので、当時のインドネシアで伝統的シラットに触れた日本人は少なからずいたと思いますが、それが日本へ紹介されることはなかったのでしょうか?日本軍政の関係者が対連合軍との戦いに向けてシラットの使い手を利用する動きはあったとしても不思議ではないと思うのですが、寡聞にして聞いたことがありません。

 どうも剣舞・舞踊として認識されていたようです。武術家が武術としての紹介はしていないのではないでしょうか。また、使い手を利用する動きはあったかもしれませんが、それはシラットを戦いの手段として使わせるのではなく、使い手たちがすでに集団として存在しているので、それを運用するというものだったのではないかと思います。

- 日本人とシラットの初めての出会いというのは興味深いテーマなので、機会があれば調べてみたいですね。意外と江戸時代初期、鎖国前の朱印船交易の時期に日本で失業した侍たちがシラットと出会っていたかもしれません。
ところで、欧州におけるシラット競技人口は日本よりも多いように見えますが、これはスポーツとして扱われている面が強いからでしょうか?欧州でのシラット普及の端緒はオランダ人から始まったのではないかと想像しますが、現状はインドネシア人主導なのか、それとも既にヨーロッパ人の師範はかなりいるのでしょうか?

 スポーツとして扱われている面が強いのが一因ではありますし、格闘技というものに対する姿勢の違いもあると思います。日本は一人一武芸、あるいは一道場一武芸という傾向があるように感じますが、欧米では一人の師範が格闘技というくくりでマルチに教えている印象です。基盤となるなんらかの武術はあれど、一つの道場でテコンドーと空手とシラットとグラップリングを教えていても奇異な感じはしません。また、シラットがその地に存在する歴史の長さも関係していると思います。

 欧州におけるシラットの普及の端緒はオランダからです。これはインドネシア生まれで戦後に強制帰国させられた植民地政府支配者層関係者だったり、インドネシアからの移民であったりです。つまり、遺伝的な意味でのヨーロッパ人師範は、新しい存在ではありません。インドネシアにルーツを持つシラットが、伝統武術としてオランダ経由で欧米に持ち込まれて半世紀が経っています。その土台があるところにスポーツが紹介されています。伝統武術のプラスアルファとしてスポーツを、あるいは、単純にスポーツとして、どちらの方向からもシラットに人が参加してきているようです。間口が広ければ、競技人口も多くなります。

 また、欧州におけるシラットの主導がインドネシア人なのか、ヨーロッパ人なのか、という話に関しては、どちらかに偏るものではない、と言えるでしょう。また、インドネシア人だけではなく、マレーシアやシンガポールにルーツを持つシラット関係者も、欧州におけるシラット発展に寄与、努力しています。 

- 欧州におけるシラットの普及の歴史は日本のそれとはだいぶ違うわけですね。一方で、近年普及しつつある中央アジアや南アジアでは他の格闘技からの転向組が目立つ印象があります。私の偏見かもしれませんが、試合部門ではシラットらしくない動きや反則が見られたり、また演武ではややキレを欠いている印象です。彼の地での普及における一番の課題は何でしょうか?

 この問題を解決するにはクダクダやパサン(シラットにおける基本的な立ち方や構え)を身につけ、ルールを知ることです。しかし、競技人口の拡大を優先しすぎて、知るべき必要最低限のハードルが下がっているのかもしれません。ここは身につけて欲しい/知って欲しい、という内容があまりにも多いと競技人口は増えません。しかし、要は殴って蹴ればいいのでしょう?と必要最低限を引き下げ過ぎれば、競技人口を多くカウントはできますが、シラットらしさが見えづらくなります。このバランスが難しいです。

<プンチャック・シラットと民族主義の関係について>

- 伝統的護身術とナショナリズムは親和性があり相性が良いのは中国や日本の例を見ても明らかですが、プンチャック・シラットの場合はどうでしょうか?インドネシアで民族主義が勃興し始めたオランダ植民地時代にプンチャック・シラットが盛んになったりしたのでしょうか?

 インドネシアで民族主義と相性がいいのは否めません。さらにイスラーム信仰と結びついている集団も多いため、少なからぬ知り合いが212に参加している写真をフェイスブックに挙げていました。民族主義、独立運動が勃興した時期にプンチャック・シラットが盛んになったかどうかは、残念ながら知りません。しかし、その時期に明文組織化された集団は多いように思います。

注3) 212 = 2016122日に発生した、ジャカルタ州知事(当時)アホックへの大規模な抗議行動。スハルト政権崩壊後では最大規模の群集がジャカルタ中心部に金曜日の合同祈祷という名目で集結した。

- 現職のジョコウィ大統領と来年再び大統領選挙を戦うことになった野党のプラボゥオ・ゲリンドラ党代表は現在のプンチャック・シラット協会会長でもあります。彼が会長職に就いて15年経ちますが、選手や団体が政治的に動員される機会はかなりあるのでしょうか?

 政治的に動員されているかどうか、現地在住ではないのでわかりません。ただ、友人たちの写真を見る限りでは動員されているというよりは、会長に対する親近感から自然と支持を表明しているように感じます。そのため、大会に沢山の人が集まれば、結果として政治的に動員したのとあまり変わりのない光景が繰り広げられるのではないでしょうか。

(参考)プラボゥオ会長の名前を冠した大会開催の横断幕とポスター







- 先日のアジア大会において、男子試合部門55-60kgで金メダルを獲得したハニファン選手が、ジョコウィとプラボゥオを同時に抱擁した写真はTVニュースやSNS で広く拡散されました。大統領選が正式に始まる直前だったので、両陣営が政治的に加熱しそうだった雰囲気を和らげ、また彼の行為は国民統合を両者に促すようでもあり、多くの国民の賞賛を受けました。当日あの会場にいた早田さん、そして周囲のシラット関係者の反応は如何でしたか?

 あの時、審判控室に居ましたが、インドネシア人審判やスタッフはひと際、盛り上がっていました。金メダルラッシュの2日目、負けの可能性もあった試合を制し、会場のインドネシア人は総じて相当なアドレナリンが出ていたはずです。そこで起きたあの出来事で、盛り上がらないわけがありません。とはいえ、それはインドネシア側の話。大会でのインドネシア無双ぶりに他国からの参加者が、賞賛を通り越して蚊帳の外に近い気分になっていたのは否めません。そのため、今大会の象徴的なシーンの一つとなり、シラットの存在を改めてインドネシア全土に知らしめたこの抱擁は、インドネシア人以外の関係者にとっては格別な熱狂とともに記憶に残るようなものではないでしょう。

(参考)ジョコウィとプラボゥオを同時に抱擁するハニファン選手

  
- プンチャック・シラットの過去と現在をどう読み解き、未来をどう構想するか、早田さんをはじめとする関係者各位の努力と奮闘に敬意を表します。長時間のインタビューにお付き合いいただき有難うございました!次回また機会があれば、プンチャック・シラットと映画の関係についてもお聞きしたいと思います。

<参照サイト>
早田恭子さんのアジア大会についてのブログ http://cizma.noor.jp/j/2018AG.html#1
一般社団法人 日本プンチャック・シラット協会のホームページhttps://japsainfo.wordpress.com/

2018年11月24日土曜日

映画評『錦衣衛』

今後Mixi日記に過去掲載した記事をこちらのブログに随時転載します。
初出は2007年2月23日。最近本当に映画見なくなったなあ。



日曜日にカルフールで買い物をしていたら、VCDコーナーでショウブラザーズ映画の安売りをやっていました。39000ルピア(520円)の正規価格が約13000ルピア(約170円)、6割以上の割引となれば買わないわけにはいかないのですが、なかなか面白そうなのがない。題名も監督も俳優も知らない人ばっかり。だから売れ残るのか?

そんな中で見つけたのが、コレ。
http://global.yesasia.com/b5/PrdDept.aspx/aid-11466/section-videos/code-c/version-all/pid-1002869813/


「錦衣衛」と来たら、もうアクションしかないでしょう。主演は70年代後半から80年代前半のクンフー映画で人気があった梁家仁(レオン・カーヤン)。武侠映画の巨匠である胡金銓作品に心酔する私としては、「錦衣衛」と「東廠」(泣く子もだまる明朝の秘密警察)の文字には反応せざるを得ません。駄作でもまあいいやと思って、即購入。

ショウブラ映画については、アジア映画ファンには今さら説明する必要もないかもしれませんが、念のため概略を。

もともとはマレー半島の華僑であったショウ兄弟による巡回映写が中華名門映画会社の始まり。太平洋戦争で日本軍が東南アジアに侵攻した折にはすでに配給網が出来つつあり、戦後はシンガポールに巨大な撮影所を建設してマレー語映画(この時期のP.ラムリー映画は今見ても面白い!)の製作・配給を始め、また香港では巨大な資本力を背景に弱小の広東語映画会社を圧倒する北京語映画を製作・配給。社長のランラン・ショウは「ラッパ」と呼ばれた大映の永田社長と仲が良く、両者は合作などで協力してます。(溝口健二の「楊貴妃」、豊田四郎の「白夫人の妖恋」(李香蘭=山口淑子!)など)また、日本からは後にブルース・リー映画を撮ることになる撮影監督の西本正や松竹の職人監督井上梅次らを招聘して、映画技術の向上に努めました。こうして60年代から70年代にかけてショウブラは興行収入でトップの地位を保持、TV局や俳優養成所の開設などにも事業を広げます。が、徐々に新興のゴールデンハーベストやシネマシティに企画力で劣るようになり、80年代半ばには撮影所での製作を停止。90年代後半から再び製作を復活させ、現在に至っています。

一時期ショウブラは旧作映画の上映やビデオ化に消極的だったのですが、映像ライブラリーを別会社に売却した4年前からデジタル・リマスターDVDの販売が始まりました。特典付きの日本版もキングレコードから発売されています。幻のタイトルが目白押しなので、研究者をはじめ、欧米のクンフー映画ファンや黄梅調(華南風ミュージカル)を好むレトロファンからは嬉しい悲鳴が聞こえてきそうです。

私が所有しているのは①胡金銓の新潮派武侠片「大酔侠」②胡金銓の抗日戦争片「大地兒女」③レズビアンとミステリーと復讐が一体となった変格武侠片「愛奴」④井上梅次監督の明朗快活な現代ミュージカル「香港ノクターン」⑤黄梅調の最高峰「梁山伯與祝英台」⑥そして購入したばかりの「錦衣衛」、です。資金不足からクンフー映画や怪獣映画(特撮で日本人スタッフが協力した「北京原人の逆襲」!)にはまだ手が届いていません。

で、肝心の「錦衣衛」、まあまあの出来でした。プログラムピクチャーなので、胡金銓映画の完成度を求めるのは無理ですが、スピーディな展開で観客を飽きさせません。まあ、80年代以降の香港映画は早ければいいという風潮が強すぎたりもして反発も覚えるのですが。以下粗筋。

時は明朝、暗愚で有名な英宗の御世。錦衣衛とは皇帝直属の親衛隊、いわばトップエリートの集まりですが、実際に実権を握るのは皇帝お気に入りの悪宦官、王振(劉永)。彼は気に入らない人物を次々と暗殺するよう錦衣衛に命令を下しますが、剛直な隊長の趙不凡(梁家仁)は命令に従ったふりをしてこっそり彼らを逃がします。事実を知って怒った王振は錦衣衛長官でもある趙の父に息子を処刑するよう命じます。拒否すれば一族郎党末代まで皆殺しにすると脅された父は息子に追っ手を差し向けますが、幼子と妻を連れた趙不凡は無事逃げ切れるのか?

王振は実在の宦官ですが、映画ではその容貌は誇張した描写となってます。胡金銓が「龍門客桟」において、強力な武術の使い手で白髪の異様な太監(宦官の長官)を登場させて以降、香港映画ではそれが宦官像のスタンダードになったらしく、この映画でも敵役の王振は白粉をつけてマニキュアと口紅の手入れを欠かさないという、実に怪しいヘンなキャラです。いっそのこと、東方不敗みたいに女性に演じさせればもっと「キレイ」だったのに。

実際の宦官はあんなことしなかった思うのですが(笑)、大体宦官と言ってもいろいろ、お金儲けがしたくて成人してからわざわざ去勢するのもいれば(王振はこのタイプ)、幼い時に強制的にさせられる場合(史上最高の海軍提督鄭和はこのタイプ)もあります。当然、人格も朝廷への忠誠度もいろいろですが、どうも悪い例の方がステレオタイプとして流通してしまうみたいです。もし、中国でまだ王朝が続いていて宦官も存在したら、きっと抗議の手紙が映画会社に殺到すること間違いなしでしょう。私としては鄭和とか蔡倫(紙の発明者!)を主人公としたドラマも観てみたいのですが、「宦官=悪者」という図式から抜け出すのはなかなか難しいのでしょうか。

さて、映画では宦官の容貌については誇張されてますが、それ以外のところは結構史実に沿っているとも言えます。王振が部下に自らのことを「九千歳」と呼ばせたり、気に入らない人物を失脚させるなど、その専横ぶりは正史に記録されています。一族郎党末代まで皆殺しというのも、あながち誇張ではありあません。女子供はもちろん係累や弟子筋まで殺しまくる行為を明の太祖洪武帝や永楽帝、宦官魏忠賢は実際におこなっています。いやはや。

ところで、どうして「九千歳」かというと、「万歳」では皇帝陛下に対して不遜だからという馬鹿馬鹿しい理由。ただし、これは明朝を代表するもう一人の悪宦官、魏忠賢のエピソードから取ったようです。史実では、王振はモンゴルに対して無茶苦茶な戦略で皇帝親征を実行した「土木の変」で、モンゴル軍に壊滅的な敗北を喫し乱戦の中で死にました。そして、英宗は野戦において捕虜となった、中華史上ただ一人の皇帝となりました。映画では「土木の変」とは関係なく、王振は無残な最期を迎えるのですが、まあ似たようなものでしょう。

そして、「土木の変」の後に瀬戸際の明朝を救ったのは徹底抗戦の構えを取った兵部尚書の干謙でしたが、人質だった英宗が復位後、彼は謀反の罪(もちろん無実)で処刑されてしまいます。そして、胡金銓の「龍門客桟」は彼の処刑場面から始まるのでした。

本当、中国史ってこういうことの繰り返しで時々ウンザリします。ただ、明の時代は官吏の腐敗とスパイの暗躍が半端ではなかった一方、民間の活力(含む海賊)にも目覚しいものがあったので、物語の素材には困らないようです。

しまった、映画について書くつもりが史実のことばかり書いてしまった...

2018年11月11日日曜日

第53回インドネシア語技能検定試験の結果

今回は前回よりは内容が聞き取れたし、ちゃんと答えられたので、多分ギリギリ合格ではないかと思っていたのですが、見事不合格...あと11点足りなかった...


全5問中、減点になったのははっきりしていて、まず一番最後の自分の考えを述べる質問。回答が2分を超えてしまったのは我ながらアホ過ぎる。1分を超えたら十分なのに!
もうひとつは数字の問題。問題文に出てきた数字か、それとも減算した数字か、迷ったものの問題文の数字をそのまま回答。あー、もったいない。
あと、音読が76点というのも情けない。発音や息継ぎが下手なんだろうか...

ともあれ、来年1月の試験で4度目の挑戦です。もっと真面目に勉強しないと子供たちに笑われるなあ。

アジア大会で金メダル独占!伝統的護身術プンチャック・シラットの奥義に迫る!!インタビュー前半

某メルマガに転載予定。

私がインドネシアについて知っている二、三の事柄
第11回 アジア大会で金メダル独占!  伝統的護身術プンチャック・シラットの奥義に迫る ~日本プンチャック・シラット協会会長 早田恭子さんインタビュー前半

しばらく諸事情により休載致しましたことを、遅ればせながらお詫びいたします。

前回はインドネシアのポピュラーカルチャー、特にポピュラー音楽について、研究者の金悠進(キム・ユジン)さんにインタビューしました。音楽そのものよりも、その周辺との関係性について紙面を割いてしまったのは私の関心が反映された結果なのですが、ポピュラー音楽そのものの面白さについて別の機会にまたレポートしたいと思います。

さて、今回も『東南アジアのポピュラーカルチャー』を元にインドネシア現代文化の知られざる一面を書くつもりでしたが、先日閉幕した第18回アジア大会(Asian Games) でのインドネシア大躍進を記念して、伝統的護身術「プンチャック・シラット」(又はシラット)について語りたいと思います。といっても、私自身はシラットが出てくる映画を喜んで観る程度で、自分でシラットを習ったこともないので、前回同様、その道の 専門家にインタビューして、読者の方にその魅力をお伝えできればと思います。

8月18日から9月2日までジャカルタ及びパレンバンで行われたアジア大会はオリンピックに準ずる規模だったので、日本人選手の応援で観戦に行かれた方も多かったと思います。2年後の東京オリンピックを控えた日本は中国に次ぐ総合メダル獲得数で2位、そして開催国のインドネシアは事前の予想を上回る好成績を収め、合計98個の堂々4位でした。内訳は金31個、銀24個、銅43個でしたが、これら金メダルのうち半数近くの14個がプンチャック・シラット部門で獲得、しかも同部門16種目のうちの14種目での金メダルですから、これはもう「無双」と呼ぶしかない快挙だったと言えるでしょう。

アジア大会インドネシア獲得メダル数 https://en.asiangames2018.id/medals/noc/INA

競技最終日には現職ジョコウィ大統領とライバルのプラボウォ大統領候補がそろって観戦したこともあり、メディアもこぞってこの快挙を報じる、まさに「シラット旋風」が吹き荒れたのでした。



金メダルを獲得し感極まってジョコウィ大統領とプラボゥオ大統領候補に抱きつくハニファン・ユダニ選手(背中のみ)  Liputan6.com より引用

 歓喜の声に溢れる当日の会場で、観客ではなく審判として参加されていた、ただ一人の日本人、早田恭子さんとは以前からの友人でしたので、改めてプンチャック・シラットとは何か、インタビューさせていただきました。長くなりましたので、2回に分けて掲載いたします。

-    アジア大会プンチャック・シラット部門での審判員としてのご参加、大変ご苦労様でした。今大会では主催国のインドネシアは16種目のうち14種目の金メダルを獲得、また 日本からも麻生大輔さんが演武部門に代表選手として出場したため、メディアに取り上げられる機会も多かったと思いますが、プンチャック・シラットに馴染みがない日本人もまだ多いので、改めてプンチャック・シラットとは何か、他の伝統的護身術とは何が違うのか、その魅力についてお聞きしたいと思います。
 早田さんはプンチャック・シラットに入門されて20年とお聞きしますが、きっかけは何だったのでしょうか?


 最初の動機はダイエットです。大学を卒業し社会人になったことで運動量が減ったのか、夏のセールの試着室で危機感を抱きました。一人で黙々とジムで運動するのは性に合わないと思い、当時、大学同期が参加していた東京インドネシア学校(目黒)のシラット教室を見学に行きました。そこに入会して、現在に至ります。

- プンチャック・シラットは「稲穂の教え」と他のメディアでのインタビューでも答えられてますが、これはどの流派においても共通することなのでしょうか? 日本でも知られている代表的な流派にパンリプール(Panlipur)、プリサイ・ディリ(Perisai Diri)、ムルパティ・プティ(Merpati  Putih)などがありますが、これら流派の共通点とは何でしょうか?
(参考)日本プンチャック・シラット協会 各流派の解説https://japsainfo.wordpress.com/about/


「稲穂の教え」という言い方はしていないかもしれませんが、基本的にはどの流派においても、この教え、つまり、「おごらず謙虚たるべし」が基底にあると感じています。国を問わず全てのシラットに共通するのが「稲穂の教え」だと思います。例に挙げられた流派の共通点を、ということであれば、基盤をインドネシアに置いていることでしょうか。

- それでは逆に各流派の相違点とは何でしょうか?

 インドネシアに基盤を置くいくつかの流派を見聞きした中で判断するならば、相違点は創始者に還元されると思います。創始者が最も得意とした、あるいは習熟した技法や身体訓練が、各流派を特徴づけているように感じます。

- インドネシア文化の根底には古代インドや中国の影響が色濃く残ってますが、プンチャック・シラットの源流もインドや中国の護身術なのでしょうか?

 明確な史料がなく、古い部分は口伝に頼るため、はっきりとしたことはわかりません。しかし、さまざまなインドネシア文化に古代インドや中国が残した影響を考えれば、古代インドや中国の身体技法が古い時代だけではなく近現代に至るまで、インドネシアに住まう人々の武術、シラットに影響を与えたことは否定できません。ただ、人間が定住・集住していく過程で、何らかの対象に対し護身あるいは武力行使を行う、という事態は地域を問わず発生しうることだと私は思います。そのため、インド・中国の護身術の亜種としてゼロ状態からシラットが発生したのではなく、地元インドネシアの身体技法がインド・中国の護身術も時には取り入れながら改良・洗練されていき、シラットと呼ばれるようになっていったのではないか、と考えています。もちろん、これは「インドネシアがゼロ状態であったはずがない、あってほしくない」というインドネシア贔屓(びいき)がもたらす考えだとも言えます。

- 今回のアジア大会でのインドネシアの金メダル独占には率直に言ってかなり驚きました。というのは、シラット協会自身がメダル目標数を金5から7と設定していたはずで、実際近年の東南アジア競技大会(SEA GAMES)や世界大会でインドネシアがメダル独占することは絶えてなかったからです。強豪のベトナムやマレーシアもトップアスリートを派遣するわけで、地の利があるにしても目標達成は容易ではないだろうと私は予想してました。結果は嬉しいことに大ハズレ! 審判の目から見て、今回のインドネシア人選手のパフォーマンスをどのように評価されますか? 今回彼らが抜群の成績を残せた理由は何でしょうか?

 メダルに値するパフォーマンスを見せた選手がメダルを獲得しています。拮抗する場面もありましたが、心技体で技と体が拮抗していれば、最後の一押しをするのは「心」です。インドネシア人選手は自国開催で国技とされるシラットにかける気持ちが、他国選手よりひと際強かったのでしょう。当然、会場の熱気も後押しになったと思われます。また、インドネシアはアジア大会の自国開催が決まった時点から、かなりの長期間、ここを目標に調整してきました。ベトナムやマレーシアは2017年のSEA GAMESを山の頂としアジア大会をその次の山としていたように思えるのに比べ、インドネシアはSEA GAMESをアジア大会山頂に至る途中に据えていたように見受けられます。この辺りでも違いが生まれたのかもしれません。

- 日本からも麻生大輔さんがただ一人の代表選手としてソロの演武部門に出場、私も会場で声援を送らせていただきましたが、残念ながら予選突破はなりませんでした。素人目には素晴らしい演武だったと思うのですが、他の選手がより素晴らしかったということなのでしょうか。
(参考) 麻生さんへのインタビュー動画




 端的にいえば、おっしゃる通り、他の選手の方が優れていた、素晴らしかったということです。麻生選手は素晴らしい演武と言っていただけるレベルにまで、短期間でよく仕上げてきたとは思います。しかし、彼の出場した予選A組の中で、恐らく彼が一番、総練習時間が少なかったはずです。これはひとえに、練習環境の問題だと思います。彼は最大限に自分の時間を練習に充てていましたが、日本と東南アジア諸国では”充てられる時間”の総量が全く違います。質の悪い練習をたくさん沢山積んでも仕方ありませんが、質が良い練習であれば総練習時間が多い方が演武の向上につながります。練習時間が少ないのであれば、効率や内容でカバーするなど方法はありますが、そういったフォローを協会として指導できなかったのは反省点です。

- 演武部門のポイントは型の正確さとスピード、表現力、規定時間内に終わらせることなどではないかと思いますが、他に注目すべきポイントなどはありますか?
(参考) 女子演武ダブルス部門  



 注目ポイントをあげるなら、得点につながる部分ではありませんが、ソロ種目(トゥンガル)とダブルス種目(ガンダ)の衣装です。自分が一番映える色や衣装を選んでいるので華やかですし、予選と決勝で変えてくる選手もいます。さらに、大人数のチームだと応援を効果音のように計算ずくで入れてくるので、選手の動きがより力強く感じられます。選手とチームの一体感が感じられ、共有した練習時間を思い起こさせます。

- 演武部門とは対照的なのが試合部門、こちらはかなり白熱する試合がある一方、試合によっては力量差が大きすぎたり、頻繁に試合が止まりすぎて観客として何が起きているのかわかりにくいことがありました。試合部門は選手負傷の可能性も高く、審判としてもかなり緊張するのではないかと思いますが、もっとも難しく苦労されることは何でしょうか?
(参考)競技シラットについて (試合部門ルール説明あり) https://japsainfo.wordpress.com/about/sportssilat/


 今大会ではワシット(Wasit:レフェリーのこと、主審)は拝命していませんが、経験上、レフェリーに必要なのは選手やチームからの信頼だと思います。“甘い主審”と判断されれば、試合のコントロールが難しくなり、違反・反則への選手の心理的ハードルが下がります。結果として負傷する場面が発生したり、違反・反則を指導するため試合を止める頻度が上がります。世代交代は常にありますが、それでも高レベルの国際大会ではコーチ、選手、審判がそれなりに顔見知りです。そこで信頼を得て技量や経験に疑いの目を向けられない主審となるには、多くの大会に参加し自分を知ってもらうしかありません。一朝一夕にいくことではないのが難しいところです。
 ジュリ(Juri:採点員のこと、採点審判)として求められるのは、集中力と強いハートです。得点に結びつく攻撃を見落とさず、主審に合議を求められた際に判断ができるように違反・反則事項を見逃さないためには集中を欠かすことはできません。また、採点が機械化されて以降、観客も含めて会場の全員がリアルタイムでスコアを確認できます。採点に値する、力強く正しく入った攻撃と、観客やコーチが点数が入ったと感じる攻撃は、必ずしも一致するものではありません。結果、採点が正しくされていない(入るべき点が入っていない)と思われることも多く、ヤジが飛びます。このプレッシャーに耐えるだけの強いハートが、採点審判には必須です。

(次回に続く)

<参照サイト>
早田恭子さんのアジア大会についてのブログ http://cizma.noor.jp/j/2018AG.html#1
一般社団法人 日本プンチャック・シラット協会のホームページhttps://japsainfo.wordpress.com/