某団体の会報へ寄稿した書評。いつ頃だったか覚えてない...2012年か13年頃?
桐野夏生の小説はそこそこインドネシア語にも翻訳されているが(ただし英語からの重訳が基本)、本作はどうだろうか。2017年12月末時点では確認できてないが、林芙美子が海外でも知名度があるかと言えばかなり心もとなく、多分外国語には翻訳されていないような気がする。
その昔、インドネシア語版の『OUT』を書店で手に取り読み始めたら止まらなくなりほぼ二晩くらいで読了、その後作品の毒気に当てられたのか体調崩して寝込んだことがあった。以後、桐野作品を読むときは体調に万全を期すようになりました。
ぶくぶくニンジャ
『ナニカアル』 桐野夏生 新潮社 2010年2月 1700円+税
本書は昭和初期から戦後にかけて大衆的な人気を集めた女流作家・林芙美子を主人公に、「大東亜戦争」中の南方地域、主にインドネシアを舞台とした恋愛小説である。評者は三つの理由から本書に強い関心を寄せてきた。
第一に著者が桐野夏生であること。出世作の『OUT』インドネシア語版を読了後に作品の毒気に当てられて体調を崩して以降、評者は桐野作品に強く魅了されてきた。読んだ後に疲労を感じる、陰惨で暗い話が少なくないにも関わらず、抗し難い魅力を桐野作品は備えており本書も例外ではない。
第二に主人公が日本映画黄金期の傑作のひとつ『浮雲』原作者の林芙美子であること。評者は原作を未読だが、昔見た映画の方は、煮え切らない男女が互いの愚痴を言い合うだけの冴えない話、くらいの感想だった。しかし今思い返してみればあの作品以上の大人の恋愛映画というのはそうあるものではない。そして本書は芙美子自身が主人公の『浮雲』でもある。
第三に、本書の舞台が「大東亜戦争」中の独立前のインドネシアであること。芙美子だけでなく多くの作家・文化人が軍の宣伝のため日本軍占領地域を視察あるいは文化工作に従事している。しかし、敗戦後彼らの多くは「侵略戦争」に加担したという後ろめたさからか、その体験を積極的に語り、創作化することは少なかった。本書は小説という形ながら、戦争とジャーナリズム、戦争と文化人の関係について示唆を与えてくれるだけでなく、一般にほとんど知られていない、開戦前から現地に住んでいた邦人がどのような運命を辿ったかについても教えてくれる。
本書は芙美子が生前に残した未発表原稿という体裁で物語が進んでいくが、これは『残虐記』と同様の趣向であり、物語の早い段階で彼女が不倫相手の子供を妊娠していることが明かされる。彼女の伝記的事実を知っている者にとって以後の展開の予想はさほど難しくないが、納得できないことには誰にでも啖呵をきる性格の芙美子を一人称として物語が進行するので、読者はかなり感情移入しやすい。しかし評者がもっとも印象に残ったのは中盤から登場する従卒の野口という人物だった。架空の人物である彼は芙美子を見張る軍人であり、おそらく憲兵なのだが、人懐っこいかと思えばねっとりとした観察眼をもち、終始底の見えない人物として描かれている。真綿で首をしめるような雰囲気、戦時下の息苦しさが野口という人物に凝縮されているようだ。
「日支事変」で戦場ルポを書いた林芙美子を戦争協力作家と捉えることは間違いではない。しかし、彼女の南方体験がなければ、『浮雲』という傑作が生まれなかったことも確かである。誤解を恐れずに言うと、本書のコピーに倣えば「女は本当に罪深い」のかもしれない。
なお、日本大学の山下聖美准教授が芙美子の南方従軍について現地調査をされているので、関心のある方は以下のサイトを参照していただきたい。
http://www.yamashita-kiyomi.net/archives/cat28/cat27/index.html
作中では軍の要請で各地を訪問したように書かれているが、他の女流作家と比較してその行動範囲は飛びぬけて広い。本当は、彼女自身が「南方放浪記」を書きたかったから、あるいは本作のように恋人との密会を画策していたから、というのは穿ちすぎだろうか。
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2017.12.28 ラベル追加
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2017年12月27日水曜日
書評『皇軍兵士とインドネシア独立戦争 ある残留日本人の生涯』 林英一著
某団体の会報に寄稿。いつの号だったか、時期を忘れてしまった...
著者の林英一さんには2回お会いしたことがある。掛け値なしのイケメン研究者で将来が非常に楽しみな方です。あ、もちろんインドネシア研究の方ですよ。
師匠の倉沢愛子さんのように質量ともに優れた一般書をどんどん書いていただきたいものです。
我ながら野次馬はいつも身勝手...
ぶくぶくニンジャ
『皇軍兵士とインドネシア独立戦争 ある残留日本人の生涯』 林英一著 吉川弘文館 2011年12月20日発行 2200円(税抜き)
出版社HP http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b94774.html
本書は2007年出版の処女作『残留日本兵の真実』で注目を集めた新進気鋭の研究者・林英一氏の5冊目の著作である。脚註が多い『残留日本兵の真実』や続編の『東部ジャワの日本人部隊』とは少々異なり、かなり一般書に近いスタイルで書かれているため、読者にとって敷居の低い、読みやすい本になっている。
本書の主人公は、前2作で焦点が当てられたラフマット・小野盛ではなく、残留日本兵の中ではおそらく最も日本のメディアに取り上げられることが多かった故フセン・藤山秀雄である。私自身は彼のライフストーリーを本書によって初めて知ったのだが、確かにメディアが好みそうな、ある意味典型的な残留日本兵の物語と彼の人生を要約することは容易だろう。ただし、著者の問題意識は残留日本兵の戦後史に留まらず、彼らの子孫が「祖国」日本への移民労働者となっている現状まで捉えている。その結果、右派が唱える「大東亜戦争によるアジア解放史観」の論拠としてのみ残留日本兵を取り上げてきた、特に90年代以降に出版された多くの類書やTV番組などとは本書は一線を画していることを強調しておきたい。
いささか大上段に構えてしまったが、評者にとって本書の読みどころは藤山が戦中戦後に経験してきたエピソードの数々だった。例えば、独立革命戦争時にオランダ軍と戦ったのは正規軍だけでなくイスラム系民兵などもあり非常に混沌とした状況だったことはある程度知られているが、ジャカルタの闇組織が母体の民衆軍Laskarが国軍と激しい対立関係にあり、やがて民衆軍の系譜につらなるバンテンの竹槍部隊に残留日本兵数名が合流して国軍と対決した事実は本書の記述によって初めて知った。本書では触れられていないが、残留日本兵がインドネシア独立後にダルル・イスラーム軍に合流することを中央政府が恐れ、彼らを強制帰国させようとした事実もある。現在は日本人によって「美談」として語られがちな残留日本兵の存在が、当時の中央政府や国軍にとっては必ずしも好ましくない、ある意味疎ましい存在だったことはもっと広く知られるべきだろう。
欲を言えば、1974年の田中角栄首相ジャカルタ訪問時に発生した反日・反政府暴動(マラリ事件)に藤山ら元残留日本兵たちが何を感じ、どう反応したか、藤山が住居を構えていたタンジュン・プリオクで84年に発生した当局によるムスリム住民虐殺事件を彼がどのように捉えていたか、日本で移民労働者として今も働く藤山の子孫たちが自身の自己同一性をどう考え、日本とインドネシアの社会をどう見ているのか、そうした点を著者にはもっと掘り下げてもらいたかったと思う。
なお、前2作の小野も本書の藤山も、非常に貴重な史料である当時の日記や備忘録を若干20歳だった著者に気軽に渡している。もちろん彼らに語りたい物語があったからだろうが、著者のひたむきな姿勢が元日本兵たちの心を動かした側面もあったと思われる。インドネシア語で書かれた4冊目の著作「Mereka yang terlupakan ; Memoar Rachmat Shigeru Ono」には、現在はパピと呼ばれている小野の顔写真が多数掲載されており、著者に対する小野の信頼の深さを垣間見ることができる。同様に、2007年6月に85歳で逝去した藤山の霊も本書の出来に満足しているのではないだろうか。著者の次作が楽しみである。(敬称略)
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2017.12.28 ラベル追加
著者の林英一さんには2回お会いしたことがある。掛け値なしのイケメン研究者で将来が非常に楽しみな方です。あ、もちろんインドネシア研究の方ですよ。
師匠の倉沢愛子さんのように質量ともに優れた一般書をどんどん書いていただきたいものです。
我ながら野次馬はいつも身勝手...
ぶくぶくニンジャ
『皇軍兵士とインドネシア独立戦争 ある残留日本人の生涯』 林英一著 吉川弘文館 2011年12月20日発行 2200円(税抜き)
出版社HP http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b94774.html
本書は2007年出版の処女作『残留日本兵の真実』で注目を集めた新進気鋭の研究者・林英一氏の5冊目の著作である。脚註が多い『残留日本兵の真実』や続編の『東部ジャワの日本人部隊』とは少々異なり、かなり一般書に近いスタイルで書かれているため、読者にとって敷居の低い、読みやすい本になっている。
本書の主人公は、前2作で焦点が当てられたラフマット・小野盛ではなく、残留日本兵の中ではおそらく最も日本のメディアに取り上げられることが多かった故フセン・藤山秀雄である。私自身は彼のライフストーリーを本書によって初めて知ったのだが、確かにメディアが好みそうな、ある意味典型的な残留日本兵の物語と彼の人生を要約することは容易だろう。ただし、著者の問題意識は残留日本兵の戦後史に留まらず、彼らの子孫が「祖国」日本への移民労働者となっている現状まで捉えている。その結果、右派が唱える「大東亜戦争によるアジア解放史観」の論拠としてのみ残留日本兵を取り上げてきた、特に90年代以降に出版された多くの類書やTV番組などとは本書は一線を画していることを強調しておきたい。
いささか大上段に構えてしまったが、評者にとって本書の読みどころは藤山が戦中戦後に経験してきたエピソードの数々だった。例えば、独立革命戦争時にオランダ軍と戦ったのは正規軍だけでなくイスラム系民兵などもあり非常に混沌とした状況だったことはある程度知られているが、ジャカルタの闇組織が母体の民衆軍Laskarが国軍と激しい対立関係にあり、やがて民衆軍の系譜につらなるバンテンの竹槍部隊に残留日本兵数名が合流して国軍と対決した事実は本書の記述によって初めて知った。本書では触れられていないが、残留日本兵がインドネシア独立後にダルル・イスラーム軍に合流することを中央政府が恐れ、彼らを強制帰国させようとした事実もある。現在は日本人によって「美談」として語られがちな残留日本兵の存在が、当時の中央政府や国軍にとっては必ずしも好ましくない、ある意味疎ましい存在だったことはもっと広く知られるべきだろう。
欲を言えば、1974年の田中角栄首相ジャカルタ訪問時に発生した反日・反政府暴動(マラリ事件)に藤山ら元残留日本兵たちが何を感じ、どう反応したか、藤山が住居を構えていたタンジュン・プリオクで84年に発生した当局によるムスリム住民虐殺事件を彼がどのように捉えていたか、日本で移民労働者として今も働く藤山の子孫たちが自身の自己同一性をどう考え、日本とインドネシアの社会をどう見ているのか、そうした点を著者にはもっと掘り下げてもらいたかったと思う。
なお、前2作の小野も本書の藤山も、非常に貴重な史料である当時の日記や備忘録を若干20歳だった著者に気軽に渡している。もちろん彼らに語りたい物語があったからだろうが、著者のひたむきな姿勢が元日本兵たちの心を動かした側面もあったと思われる。インドネシア語で書かれた4冊目の著作「Mereka yang terlupakan ; Memoar Rachmat Shigeru Ono」には、現在はパピと呼ばれている小野の顔写真が多数掲載されており、著者に対する小野の信頼の深さを垣間見ることができる。同様に、2007年6月に85歳で逝去した藤山の霊も本書の出来に満足しているのではないだろうか。著者の次作が楽しみである。(敬称略)
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