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2018年11月30日金曜日

映画メモ 『 Suzzanna: Bernapas dalam Kubur 』


 先日近所のCinemaxx でLuna Maya 主演の怪奇映画Suzzanna; Bernapas dalam Kubur を観てきた。タイトルを聞いて、「怪奇映画の女王」と呼ばれたスザンナ姐さんの伝記映画か!?と早とちり。実際は至極まっとうな怪奇映画だったのだが、ある意味時代錯誤と言うのか、非常に変わったスタイル、言うなればかつてブルース・リー没後に雨後の筍の如く作られた「ブルース・リーそっくりさん映画」みたいなテイスト満載。思っていたより楽しめたのは私がスザンナ姐さんファンだからか?

映画のあらすじやスタッフキャストについてはこちら。
http://filmindonesia.or.id/movie/title/lf-s026-18-453523_suzzanna-bernapas-dalam-kubur#.W_93ejj7TZ4

本作の監督はここ20年では最大の観客動員を記録した『Warkop DKI Reborn: Jangkrik Boss! part 1』のAnggy Umbara。今回初めて彼の作品を見たが、娯楽映画の王道を行くスタイルと感じた。奇をてらわず、観客の期待を裏切らない堅実な演出。ジャンル映画においては必須の要素だろう。他の作品を見てないので明言できないが、職人肌の監督なのかもしれない。

十中八九、日本ではまず上映されないタイプの映画だが、それだけにちゃんと作品評を書いておくべきかもしれない。まあ気が向いたらということで。

妖花スザンナを日本に紹介した四方田犬彦さんが本作を見たら、どう評されるだろうか?

<更新履歴>2018年11月30日WIB19時 誤字修正ほか

2018年3月4日日曜日

「怪奇映画の女王」スザンナがスクリーンに蘇る時


私がインドネシアについて知っている二、三の事柄
6回 「怪奇映画の女王」スザンナがスクリーンに蘇る時

前回は昨年大ヒットした怪奇映画『悪魔の奴隷』(原題Pengabdi Setan)について語りました。反イスラーム的な内容の古風なスタイルのオバケ話が何故今のインドネシアで観客動員数が400万人を越えるほど大ヒットするのか、私なりに考えた仮説を提示してみましたが、実のところよくわからないなあというのが正直なところです。ただ、私にとってはこの「わからなさ」がインドネシアに長年住んでいて面白いと感じる部分でもあります。そんなわけで、前回参考文献として挙げた『怪奇映画天国アジア』を今回も参照して、インドネシアにおける怪奇映画の概略と、その際には必ず言及される女優スザンナ(1942年~2008年)について、今回は語ってみたいと思います。


表紙はタイ映画『幽霊の家』ポスター

インドネシアの地で劇映画が初めて製作上映されたのは1926年の無声映画『ルトゥン・カサルン』Lutung Kasarung 、西ジャワの民話の映画化でした。当時はまだオランダ植民地時代だったので、監督はオランダ人ヒューヘルドルプ、撮影はドイツ人クルーゲル、主演はバンドゥン県知事の子供。その後、既にアジアで映画先進国だった中国大陸からの映画人たちが到来し、中国の物語を映画化、その中には西遊記の猪八戒が主人公のものや、日本でも有名な白蛇伝がありました。これらは怪奇映画と呼べる内容ではないものの、現実の人間社会を活写したのではないファンタジーを扱っているため、そのさきがけと見なすことも可能なようです。

インドネシア独立後、映画産業は活況を呈しますが、幽霊を扱った作品はいくつかあったもののその多くは喜劇がほとんどだったらしく、本格的な怪奇映画の登場は映画産業が再び活性化する70年代を待たねばなりませんでした。1971年に至り、本格的怪奇映画『墓場での出産』が公開されます。主演は当時29歳のスザンナ。原作は70年代インドネシアで大ヒットしたアクション漫画『幽霊洞窟の盲目剣士』 Si buta dari gua hantu の作者ガネス・TH による漫画。脚本は後に大監督となるシュマンジャヤ。(ガネス・TH とシュマンジャヤについてはいずれ別項で論じる予定)映画全体の雰囲気としてはエドガー・アラン・ポーのゴシック小説を連想させる内容となっています。


映画『墓場での出産』Beranak dalam kubur ポスター

 この映画以降、スザンナは恋愛ドラマにも出演するものの、主に怪奇映画においては欠かせない女優として、文字通り怪奇映画の女王の座へと上っていきます。代表作としては『スンデル・ボロン』Sundel Bolong, 『黒魔術の女王』Ratu Ilmu Hitam, 『ニ・ブロロン』Nyi Blorong, 『サンテット』Santet など。



1963年、21歳当時のスザンナ
 
スザンナがどのようにして怪奇映画の女王と呼ばれるようになったのか、その背景と人気の秘密についてじっくり語ることは、数本の映画しか見ていない私にはやや荷が重いのですが、いくつか気づいた点を指摘しておきたいと思います。

まず第一に、彼女の出自が本名のSuzzanna Martha Frederika van Oschから分かるとおり、混血であったこと。両親共に混血だったので、彼女はオランダ、ドイツ、ジャワ、マナドの血を引いていました。先述したようにインドネシア映画史とはその黎明期から様々な民族や出自を持った人たちが作り上げてきた歴史であり、内容を含めて混血性こそがインドネシア映画の核ではないかと私は思っています。怪奇映画はその通俗性からインテリや外国人からは蔑まれ、まともに論じられてこなかったのですが、混血性をキーワードとして再検討するならば、スザンナこそはインドネシア映画のまごうことなき本流をゆく女優と位置づけることも可能でしょう。彼女が全盛期の映画でたびたび見せる、相手を射抜くような神秘的な眼差しが印象的です。

第二に、彼女の名声が怪奇映画の女王として定着したのは既に40歳を超えた80年代だったこと。子役として「インドネシア映画の父」ウスマル・イスマイルの『血と祈り』で映画デビューし、60年代には数本の映画で主演女優を務め、歌手としてアルバムを出したりもしましたが、それほどの人気は得られませんでした。遅咲きの大スターだったということです。

第三に、彼女が主演した怪奇映画のほとんどがモダンな都市ではなく伝統的な農村部や地方を舞台としていたこと。おどろおどろしい呪術やイスラーム到来以前の神話や民話が生きる伝統的な共同体において、彼女は幽霊や南海の女神の娘などを繰り返し演じてきました。

第四に、彼女がスクリーンで見せる妖艶さが実生活でも同様であると観客には信じられたこと。具体的には、彼女がいくつかの映画の中で見せる呪術的行為を実生活でも実践しているので、40代を過ぎても美しさを保っていると噂されたことです。映画内世界と現実の出来事が渾然一体となることで俳優の人気が上がることは珍しくありませんが、実際に呪術が存在し広く信じられているインドネシアにおいては単なるスキャンダルを超えた次元のように思えます。 

第五に、強権的な軍事独裁スハルト政権全盛期に彼女が出演した怪奇映画の妖花が咲き乱れたこと。前掲書『怪奇映画天国アジア』著者の四方田犬彦さんは、共産主義国家とイスラーム世界には怪奇映画はジャンルとして存在しない、それは世界を統一する原理がある地域や国においては幽霊や妖怪などという魑魅魍魎(ちみもうりょう)は存在が許されないためであると繰り返し述べています。ただしインドネシアは重要な例外で、なぜこの国でこれほど怪奇映画が製作されるかと言えば、外来宗教であるイスラーム到来以前の原始宗教や精霊信仰が根強く残っていることが背景にあると解説しています。

 そして、ここからは私の解釈となりますが、強権的で検閲も厳しかったスハルト政権下で何故怪奇映画のような荒唐無稽で非合理的な物語が許されしかも人気があったのか、それは最終的には秩序回復のハッピーエンドだったからと私は考えています。恐ろしい幽霊や怪物となったスザンナが自分を殺した男たちに復讐し、さらに暴れようとするも、イスラーム導師や自分よりも力の強い術者によって説伏され、混乱していた共同体は秩序は取り戻す。彼女が主演した怪奇映画の要約とはこのようなものです。

 これは旧体制と後に呼ばれたスカルノ政権時代の政治的経済的混乱を収拾し、その原因とされた共産主義を徹底的に弾圧し、秩序維持を第一としたスハルト政権のあり方と相似しています。混乱は必ず収まり、秩序は回復される、これがスハルト政権時代の怪奇ものに限らないインドネシア映画の基調でした。

 よって、スハルト政権崩壊後の今に続く改革時代の怪奇映画においては、共同体の混乱は解決されずハッピーエンドとならないことが常態となりました。もしスザンナが今も存命であれば、80年代に製作された怪奇映画以上の荒唐無稽ぶりをスクリーンで見せていたのではないかと想像されます。

最後に、彼女の代表作『スンデル・ボロン』 Sundel Bolong の有名な場面を以下に引用しておきます。日本の怪談を連想させる、恐怖と笑いが渾然となった名場面ではないかと思いますが、如何でしょうか?



サテ200串(!)を一気食いするスザンナ、その正体は...
 

 次回はオバケ話の続きか、あるいは荒唐無稽なジャンルとして繋がりのあるシラット小説やその映画化について語ってみたいと思います。それではまた来月!

<参考文献及びウェッブサイト>
四方田犬彦 『怪奇映画天国アジア』 白水社 2009
国際交流基金アジアセンター発行『カラフル!インドネシア2』パンフレット 2017
filmindonesia.co.id   ( インドネシア映画データベースサイト)          

2017年12月26日火曜日

書評『怪奇映画天国アジア』四方田犬彦著

某団体の会報に5年前に書いた書評。

私が何かを書く時考える時、いつも影響を受けているのが四方田犬彦さん。書物を通しての師匠というものが私にいるとすれば、間違いなく彼だと思う。

昨年はついにインドネシア怪奇映画の妖花スザンナについて東京で講演をおこなっているが、怪奇映画の妖しい花々は今も東南アジアの各地で、最近は怪奇映画が不在の中近東でも咲き始めている。本書の記述は更にアップデートされる必要があり、関係者各位の奮起を期待しています。


ぶくぶくニンジャ 

怪奇映画天国アジア 四方田犬彦著 白水社 2009年発行 2900円(税抜き)





 本書はインドネシアをはじめとする東南アジア各国の怪奇映画について論じた、極めてユニークな書物である。怪奇映画という言葉はいささか古めかしいかもしれないが、幽霊や怪物や妖怪が出てくる映画という括りとして考えるならば、本書の文脈においてはホラー映画という名称よりもよりふさわしいといえる。しかも「天国」!どれだけ多くの怪奇映画が製作上映されてきたか、普通の日本人は、いやアジアに詳しい日本人ですら、そうした事実に無頓着だったのではないだろうか。知られざる各国のローカル映画、しかも現地のインテリからも外国人批評家からも明らかに貶められてきた怪奇映画というジャンルを本格的に論じた書物はおそらく本邦初であろう。

 とは言え、怪奇映画、ホラーというだけで敬遠する方もいると思う。しかし怪奇映画における幽霊や怪物が何を表象しているのか、「なぜ幽霊は女性であり、弱者であり、犠牲者なのか?」(本書帯より)考察してみることは国際映画祭で受賞した「芸術映画」を論じること以上に重要ではないだろうか?なぜならタイやインドネシアで最も観客を集めるジャンルとは怪奇映画に他ならない。これらの作品を読み解くことは東南アジア社会を理解するひとつの手がかりになるはずである。

 それでも反論する人はいるだろう。「怪奇映画は下劣で低俗で非論理的で論ずるに値しない」と。なるほど、今もインドネシアで量産される怪奇映画のほとんどが低予算で製作された、観客の下世話な興味をあおるだけの、その場限りの娯楽なのかもしれない。しかし怪奇映画という枠組みを広く捉えた場合、そこにはある種の政治性が浮かび上がってくる。70年代から80年代にかけて一時代を築いた妖花スザンナ主演の怪奇映画は基本的に通過儀礼と秩序回復の物語であり、それは当時のスハルト体制のあり方に対応している。そして当時の教育の場で強制的に毎年上映された悪名高いプロパガンダ映画「インドネシア共産党九月三十日の裏切り」(原題Pengkhianatan G-30-S PKI)は「観客を妖怪めいたものにする」真の怪奇映画ではなかったか。さらにこれは評者の仮説だが、伝統的な幽霊や怪物を登場させる怪奇映画が現在も量産されるのは、猛烈な勢いで進むグローバライゼーションに対する現地社会からの反撃の一形態ではないだろうか。

 本書の構成は、第一章が怪奇映画についての理論的な考察と日欧米の怪奇映画の系譜について、第二章以降は東南アジア諸地域における各論、インドネシア製怪奇映画については第二章と第四章で個別の作品が論じられている。いささか取っつきにくいと考えている方は第一章と第七章、おまけの英語の抄訳から読んでいただきたい。怪奇映画に対する偏見が和らぐこと間違いなしである。

 本書の欠点を指摘するとすれば、著者が地域専門家でないため細かい事実関係の間違いが散見されること、インドネシア同様お化け話が大好きなフィリピンやミャンマーの映画を全く取り上げていない点だろう。この点は著者も自覚的で、本書はあくまで2009年時点での暫定的な結論に過ぎないと述べている。後続の研究者たちには是非とも本書の続編を書いてほしいと思う。なお、日本でも「呪歌」(原題Kuntilanak)や「呪いのフェイスブック」(Setan Facebook)という題名でインドネシア製怪奇映画がDVD発売されているので、関心のある方は探してみていただきたい。

 さて、それでも幽霊が苦手で本書へ手を伸ばすことに躊躇する方へ。大丈夫、これは本なので某映画のように顔が見えないほど長髪の女性が出てきて呪い殺されることは絶対にありません。安心して最後までお読みください。

<更新履歴>
2017.12.28  ラベル追加