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2017年12月26日火曜日

書評『怪奇映画天国アジア』四方田犬彦著

某団体の会報に5年前に書いた書評。

私が何かを書く時考える時、いつも影響を受けているのが四方田犬彦さん。書物を通しての師匠というものが私にいるとすれば、間違いなく彼だと思う。

昨年はついにインドネシア怪奇映画の妖花スザンナについて東京で講演をおこなっているが、怪奇映画の妖しい花々は今も東南アジアの各地で、最近は怪奇映画が不在の中近東でも咲き始めている。本書の記述は更にアップデートされる必要があり、関係者各位の奮起を期待しています。


ぶくぶくニンジャ 

怪奇映画天国アジア 四方田犬彦著 白水社 2009年発行 2900円(税抜き)





 本書はインドネシアをはじめとする東南アジア各国の怪奇映画について論じた、極めてユニークな書物である。怪奇映画という言葉はいささか古めかしいかもしれないが、幽霊や怪物や妖怪が出てくる映画という括りとして考えるならば、本書の文脈においてはホラー映画という名称よりもよりふさわしいといえる。しかも「天国」!どれだけ多くの怪奇映画が製作上映されてきたか、普通の日本人は、いやアジアに詳しい日本人ですら、そうした事実に無頓着だったのではないだろうか。知られざる各国のローカル映画、しかも現地のインテリからも外国人批評家からも明らかに貶められてきた怪奇映画というジャンルを本格的に論じた書物はおそらく本邦初であろう。

 とは言え、怪奇映画、ホラーというだけで敬遠する方もいると思う。しかし怪奇映画における幽霊や怪物が何を表象しているのか、「なぜ幽霊は女性であり、弱者であり、犠牲者なのか?」(本書帯より)考察してみることは国際映画祭で受賞した「芸術映画」を論じること以上に重要ではないだろうか?なぜならタイやインドネシアで最も観客を集めるジャンルとは怪奇映画に他ならない。これらの作品を読み解くことは東南アジア社会を理解するひとつの手がかりになるはずである。

 それでも反論する人はいるだろう。「怪奇映画は下劣で低俗で非論理的で論ずるに値しない」と。なるほど、今もインドネシアで量産される怪奇映画のほとんどが低予算で製作された、観客の下世話な興味をあおるだけの、その場限りの娯楽なのかもしれない。しかし怪奇映画という枠組みを広く捉えた場合、そこにはある種の政治性が浮かび上がってくる。70年代から80年代にかけて一時代を築いた妖花スザンナ主演の怪奇映画は基本的に通過儀礼と秩序回復の物語であり、それは当時のスハルト体制のあり方に対応している。そして当時の教育の場で強制的に毎年上映された悪名高いプロパガンダ映画「インドネシア共産党九月三十日の裏切り」(原題Pengkhianatan G-30-S PKI)は「観客を妖怪めいたものにする」真の怪奇映画ではなかったか。さらにこれは評者の仮説だが、伝統的な幽霊や怪物を登場させる怪奇映画が現在も量産されるのは、猛烈な勢いで進むグローバライゼーションに対する現地社会からの反撃の一形態ではないだろうか。

 本書の構成は、第一章が怪奇映画についての理論的な考察と日欧米の怪奇映画の系譜について、第二章以降は東南アジア諸地域における各論、インドネシア製怪奇映画については第二章と第四章で個別の作品が論じられている。いささか取っつきにくいと考えている方は第一章と第七章、おまけの英語の抄訳から読んでいただきたい。怪奇映画に対する偏見が和らぐこと間違いなしである。

 本書の欠点を指摘するとすれば、著者が地域専門家でないため細かい事実関係の間違いが散見されること、インドネシア同様お化け話が大好きなフィリピンやミャンマーの映画を全く取り上げていない点だろう。この点は著者も自覚的で、本書はあくまで2009年時点での暫定的な結論に過ぎないと述べている。後続の研究者たちには是非とも本書の続編を書いてほしいと思う。なお、日本でも「呪歌」(原題Kuntilanak)や「呪いのフェイスブック」(Setan Facebook)という題名でインドネシア製怪奇映画がDVD発売されているので、関心のある方は探してみていただきたい。

 さて、それでも幽霊が苦手で本書へ手を伸ばすことに躊躇する方へ。大丈夫、これは本なので某映画のように顔が見えないほど長髪の女性が出てきて呪い殺されることは絶対にありません。安心して最後までお読みください。

<更新履歴>
2017.12.28  ラベル追加

2 件のコメント:

  1. だいぶ前になりますが、読みました。怪談や怪奇映画が、社会的弱者からの異議申し立ての面を強く持っている、という見方には、目を開かされました。
    それにもまして、東南アジアの国々に、日本にも残っている呪術が、まだ生々しく息づいている、という事実が、大変刺激的でした。
    また序文の、教室に死んでいる生徒が現れて、席に座っている。他の生徒たちが恐れ騒ぐなか、じっと座っている、という映画の1シーンの記述が、恐ろしくて、悲しくて、頭にこびりついてしまいました。
    この本を読んだことは、とても興奮する出来事だったので、随分前に投稿されたと思いますが、ついコメントしたくなりました。

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    1. コメントありがとうございます。最近すっかり更新をサボっておりますが、インドネシアにおける怪奇映画の発展は近年目覚ましいものがあり、是非アップデート版が必要との想いを強くしているところでした。別のトピックも読んでいただければ幸いです。

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