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2017年12月26日火曜日

書評『美は傷』エカ・クルニアワン著 太田りべか訳

以下の書評は10年前に某団体ニュースレターに寄稿したもの。

インドネシア語の原本はこの間何度も再版を重ね、カバーもそのたびに変わり、欧米各国でのエカ・クルニアワン人気は高まるばかり。一方、日本では版元が倒産したのでそれっきり。何てもったいない!!!


 
西ジャカルタの巨大モールCentral Park内のグラメディアにて撮影
(2017年12月24日)


というわけで、何かの間違いでこのブログを読んだ出版関係の貴方。訳者の太田さんは私の知り合いなので、復刊を検討される場合はご連絡ください。


ぶくぶく ニンジャ
「美は傷 混血の娼婦デウィ・アユ一族の悲劇」上下巻
エカ・クルニアワン著 太田りべか訳 新風舎文庫(各800円)

 インドネシア語の小説が日本語に翻訳されるのは久しぶりである。98年のスハルト政権崩壊以後、インドネシアについての本が多数日本語で出版されたが、ほとんどが政治経済分野の変動に関する内容であり、文化面をカバーした本はあまり見当たらなかった。まして最新のインドネシア語小説の邦訳となると無きに等しい。98年以降は新世代作家の台頭が著しく、特に女性作家アユ・ウタミやディーらの小説がインドネシアでは話題を呼んだのだが、惜しいかな彼女たちの作品の邦訳出版はまだなされていない。要は邦訳しても読む人がいない、商売にならないという出版社の判断なのだろうが、残念なことである。それゆえ、こうした厳しい出版状況の中で本書「美は傷」(原題Cantik itu Luka)が邦訳出版されたことの意義(しかも手ごろな文庫版!)はいくら強調しても足りない。これが今回本書を取り上げた理由であり、是非手に取って読んでいただけたらと思う。

 本書の舞台はジャワ島南岸の架空の町ハリムンダ。時代は20世紀前半オランダ植民地時代から現在まで、ある家族の五代にわたる悲劇が激動のインドネシア史と交差しながら語られていく。こう書くと、昨年物故したプラムディヤのブル島四部作のような歴史大河小説を連想されるかもしれないが、さにあらず、この小説は何と怪奇小説のように開幕するのだ。「三月の週末の夕暮れ時、デウィ・アユは死後二十一年にして墓場からよみがえった。」 この始まり方で読者はこれがリアリズム小説ではないことを知るだろう。そしてラストはいかにもミステリー風に「美は傷だから。」の一言で幕を閉じる。

 訳者の太田りべかさんはあとがきの中で、本書にガルシア=マルケス『百年の孤独』の影を認めているので、本書はインドネシア流マジックリアリズム小説とでも呼べばいいのだろうか。ともあれ、一癖も二癖もある登場人物たちと、彼らをインドネシア現代史に密接に絡ませた物語の構造に私は魅了された。超然とした態度で何事にも臨む主人公のデウィ・アユはじめ、その美しき娘たち、主人同様頑固な性格の聾唖の使用人ロシナー、独立革命戦争の英雄ショウダンチョウ、シラット小説の主人公のごときヤクザ者ママン・ゲンデン、ハンサムな共産主義者クリウォン党員、そしてデウィ・アユの四女で世界一醜い娘チャンティックと謎の「王子様」、更には霊媒師や幽霊たち。彼らが織りなす愛憎劇と現代史が交じり合うことで濃密な物語が展開していく。あえてこじつければ、ガドガド風味とでも言うのだろうか。そして、残酷で血生臭いエピソードですら、読了後ではある種の「不可思議な明澄さ」(訳者あとがき)に昇華している点に著者の才能を感じる。

 主人公デウィ・アユの一族にかけられた「呪い」とは何なのか、それは最終章で明かされるわけだが、おそらく作者の意図は「呪い」をキーワードにインドネシア現代史を再構成するところにあったのだろう。あるいはこれは私の深読みかもしれないが、インドネシアそのものが呪われているのだと作者は言いたいのかもしれない。作者のエカ・クルニアワン氏はまだ32歳、彼の小説が更に邦訳されることを期待したい。

<更新履歴>
2017.12.28 ラベル追加、原書最新版の画像追加。

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