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2026年6月22日月曜日

私のイし 首チョンパ映画天国インドネシア

2025年3月に脱稿した原稿を遅ればせながらブログにアップします。 『イし本 インドネシアの推しを語りつくす本』に私は寄稿しておりませんが、いつか続編が出る際には以下の原稿以上に出来の良い内容を書けるよう、引き続き精進したいと思います。


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あるインドネシア映画を35年前に観た結果、私の人生は決まってしまった。端的に言って、その映画を観ていなければ、今の妻と出会うことも結婚することも三人の子供が生まれることもなかった。そのくらい決定的な影響を与えた映画のタイトルは『チュッ・ニャ・ディン』( Tjoet Nja' Dhien)という。

 

が、この映画を観た時に受けた衝撃については以前自分のブログで全て吐き出してしまったので、今回ここではインドネシア映画の全く毛色の違い作品群を紹介したいと思う。興味を覚えた方は下記のブログを読んでいただきたい。

https://ahmadhito2017.blogspot.com/2017/08/1.html 

 

さて、あなたはインドネシア映画に「首チョンパもの」と呼ばれるジャンルがあることを聞いたことがあるだろうか?きっとないはずだ。何故なら、私が勝手に命名したジャンルだからだ。

1980年代に日本でもビデオ市場で流通したインドネシア映画『首だけ女の恐怖』(Mistik ) 。バリ島に伝わるレアック魔術を体得した白人女性が暴れまわる作品。実は本国インドネシアではまともに上映されなかったようだが、世界中のホラー映画ファンからは根強い支持を受けたカルト作品。

 

首チョンパものとは読んで字のごとく、登場人物の首がちょん切られる場面を含む映画作品を指す。ちょん切られる方法や動機や場所や対象人物は特に問わない。

 

私見では、120年を超える日本映画の歴史においても首チョンパものは重要なジャンルのひとつであり、その作品群はかなりの数にのぼる。例えば、一昨年公開された北野武の時代劇超大作『首』はさすが首チョンパ映画大国日本の名に恥じない、実に素晴らしい出来だった。何しろ老若男女貴賤を問わず、ポンポンポンポン人が死に、そして首が飛んでいく。第六天魔王の異名をもつ織田信長の首ですら全く容赦ないのだから。

登場人物全員悪人なのが実に清々しい。ヌルい大河ドラマの対極にある痛快さ。

 

ところで、インドネシア映画の首チョンパものである。管見の限り、首チョンパ映画大国日本には若干劣るものの、その完成度と幅広いテーマにおいて、なかなか端倪すべからざる作品を何作も生み出している。その中でも日本で比較的視聴可能な私の推し作品3本をこの場を借りて書き連ねてみたい。

 

まずは観終わって心が晴れ晴れとする、実に気持ちの良くなる首チョンパ映画から紹介してみよう。日本のアイドルグループ「嵐」のファンを公言していたこともあるモーリー・スリヤ監督の作品『マルリナの明日』( Marlina, Si Pembunuh dalam Empat Babak ) 2017年東京フィルメックスのコンペ部門で最優秀作品賞を受賞し、その後世界各国はもちろん日本でも劇場公開され好評を博したので既に観られた方も多いとは思う。

日本公開時にも各方面から好評だった『マルリナの明日』。この一作により、女性監督モーリー・スルヤは一気に世界中の映画ファンに知られることになった。最新作『市街戦』(Perang Kota)が本国公開待機中。

 

ストーリーは単純明快だ。荒野に住む未亡人のマルリナは、ある日無法者たちのリーダーから「お前をこれから俺らで可愛がってやる」と輪姦予告を受ける。しかし、「楽しいコト」の前にマルリナはスープに毒を混入して男どもを殺害、無法者の一人と自ら上位で交わっている時に,一刀のもとにスパッと首チョンパ!その男の首を抱えながら、遠く離れた町の警察署へ自首するために歩き始めるマルリナ、そして彼女を追う悪党ども。果たして旅の結末は?

 

『マルリナの明日』はこのように非常に暴力的な内容なのだが、撮影場所がサバンナ気候の東ヌサトゥンガラ州スンバ島であることも関係してか、物語全体にウェットでジメジメとした雰囲気がまるでない。晴天続きでどこまでも広がる荒野同様、物語内で発生する事件全てがあっけらかんとしており、ある種の開放感がある。セックス場面も首チョンパ場面も現地の天気のようにカラッとしているのが特徴だ。とりわけジグザグ道でのセックス談義には大爆笑。

 

なにより本作が素晴らしいのは、女性同士の連帯を言葉だけのキレイごとなどではなく、明確な行動で示していること。女をレイプしようとするクズ男は首を刎ねるのが相応しい!と信じているであろうモーリー監督は、終盤マルリナをレイプしようとする悪党を、出産間近の女友達に、再びスパッと首チョンパさせる!

 

何という潔さであることか。「クズ男の首は躊躇なく刎ねるべし!」、この大事なメッセージを1度のみならず敢えて2度繰り返す。この反復性こそ、『マルリナの明日』の最大の美点だろう。そして、バイクで悠々とどこかへ去っていく女二人組と赤ん坊を捉えたロングショットで本作は幕を閉じる。

 

活劇とは、首チョンパとは、西部劇とは、そして映画とは、こうでなくてはいけない!と観客に確信させること間違いなしの傑作、それが『マルリナの明日』である。

 

なお、日本公開時に本作は「ナシゴレン・ウエスタン」と紹介されたが、私は音の響きから「ガドガド・ウエスタン」と呼ぶ方がより強い印象を観客に与えられると思っている。第二第三のガドガド・ウエスタンを早く観たいものだ。

 

シスターフッド首チョンパものとして目下最高峰の『マルリナの明日』、もし未見の方は今すぐアマプラかネットフリックス、或いは他の動画配信サイトに会員登録して是非見ていただきたいと思う。

 

次に紹介したいのは、昨年ネットフリックスで全世界一斉公開された『やがて、霞立ち込めて』( Kabut Berduri ) 。インドネシア映画では珍しい犯罪スリラー或いはミステリーものだが、とにかく予想以上にポンポンポンポン首が飛んでいく。始めから最後まで首チョンパの連続で、さすが首チョンパ映画天国インドネシアは違うと思わされる出来栄えだ。

主人公サンジャを演じたプトゥリ・マリノ。首チョンパ連続殺人事件の真犯人は誰か?

 

ストーリーはやや入り組んでいる。インドネシアのカリマンタン島西カリマンタン州、マレーシアではボルネオ島と呼ばれるサラワク州、その両国の国境地帯において首チョンパ連続殺人事件が発生し、ジャカルタからスラリとした女性刑事サンジャが応援にやってくる。何か暗い過去を抱える彼女は果敢に現地ダヤク人社会と警察機構が共に抱える闇に迫っていくのだが、次々に犠牲者は増えていく。彼女が最終的に対峙する真犯人とは一体何者なのか?

 

本作では主人公サンジャを演じたプトゥリ・マリノのビジュアルがとにかく魅力的だ。カワイイでもキレイでもセクシーでもない、そう、カッコいいとしか形容する他ない。これほど超ショートカットの似合うインドネシア女優は稀かもしれない。

 

無論、首チョンパは始めから最後まで絶好調。犠牲者の中にはサンジャを助ける現地警察署のパートナーも含まれるが、その他は基本悪党ばかりなので、安心して観ていられる(?)。ただ、全ての謎解きを放棄したかのような、モヤモヤさせるラストには納得しがたいと感じる観客も少なくなかったようだ。

 

とは言え、モヤモヤの正体が西カリマンタン州そしてインドネシアの過去の暗い歴史と密接な関わりがあることに思い当たるならば、むしろモヤモヤしたままで終わるのが論理的には正しいのではないか。決して晴れない霧のように常にモヤモヤしているのがインドネシア現代史なのだ。そして、陽気な童謡Potong Bebek AngsaBGMとしたエンドクレジットが醸し出すおそろしく不気味で不吉な雰囲気は、さながらインドネシア現代史の底知れぬ闇を暗示しているようでもある。

 

社会派首チョンパものとして目下最高峰の『そして、やがて霞立ち込めて』、未見の方はネットフリックスにすぐ加入して確認していただきたい。一度見ただけでは理解できない程度にはかなり丁寧に細部が作りこまれているので、見応えは十分あることを保証する。

 

なお、観終わってモヤモヤした方、あのラストの意味が理解できない方は、私まで連絡いただければDM等で解説いたします。

 

さて、最後に強力に推したいのは、時代劇アクションものの古典にして欧米のB級映画ファンの間で今なおカルト的な人気を誇る1981年の作品『勇者ジャカ・スンブン』( Jaka Sembung Sang Penakluk )

首チョンパものと一目でわかる公開当時のポスター。エクスプロイテーション(見世物小屋的)映画のお手本であり、インドネシア映画の黄金期1980年代を代表する作品。

 

『勇者ジャカ・スンブン』はジャンルとしては一応時代劇アクションに分類されるのだが、中身はかなりゴッタ煮状態だ。ポスターを見てのとおり、オカルト風味なのはもちろんだが、敵は憎き植民地主義者のオランダ人なのでナショナリズムものの要素も強い。(ただし演じているのはインドネシア人)と同時に、主人公は地元民の娘からも敵役の娘からも好意を寄せられているモテモテ状態。さすがにややこしい三角関係にまではもつれ込まないものの、双方が自らを犠牲にするメロドラマっぽい展開となる。また、激しいアクションの合間にはキリスト受難劇のような場面が挟まれたりもする。トランポリンやワイヤーを使いながらも、基本的には生身のアクションで押して押して押しまくるスタイルであり、派手なVFX技術を使った映画に見慣れたいまどきの観客にとっては、何ともチャチで安っぽい作品のように映るかもしれない。

 

しかし、である。観客を飽きさせないためなら、物語を面白くするためなら何でもやる、この野放図さと荒唐無稽さ、これこそ映画が本来備えていた特質ではなかったか?

 

デタラメで一体何が悪いのか?一体いつから映画はお行儀よく見なくてはいけない「ゲイジュツ」になってしまったのか?

 

ジョルジュ・メリエス監督主演の無声映画『幾つもの頭を持つ男』(1898)。映画とは首チョンパだ!

 

そう、映画はその誕生時から「首チョンパ」を売りにして発展してきたのだから、それをポスターに堂々と掲げる『勇者ジャカ・スンブン』こそは、その出自に最も忠実な、メリエスの正統な後継作品、まぎれもない映画の中の映画なのである。

 

残念ながら先に挙げた二作品と異なり、『勇者ジャカ・スンブン』のみは日本未公開、ビデオDVDでの販売は確認されていない。ただ、字幕なしではあるものの、以下の動画配信サイトでは無料で鑑賞可能だ。非常に聞き取りやすい正調インドネシア語を登場人物たちは話すので、インドネシア語学習者にはちょうどピッタリの教材になるだろう。首チョンパの驚異に瞠目しながら、是非あなたのインドネシア語能力を向上させて欲しいと思う。

https://dai.ly/x8r1d9x 

 

以上、首チョンパ映画天国インドネシアから魅惑の作品3本を厳選してみた。「それでも首チョンパ映画はちょっと...」という貴方には、ドロドロゲロゲロの怪奇映画、三益愛子も泣かせるイスラームメロメロドラマ映画などなど、その他もろもろのインドネシア映画を別の機会に紹介してさしあげよう。

 

(画像は全て映画データベースサイト imdb.com より引用)


2024年6月9日日曜日

Note でインドネシア本についても書いています

 先ほどの投稿の続き。


Note でインドネシア本についても書き始めました。『往復書簡 インドネシア映画縦横無尽』と同じく、松井和久さん主宰のウェッブマガジン『よりどりインドネシア』上での不定期連載です。連載タイトルは『インドネシア本乱読精読耽読』です。

https://note.com/matsui_glocal/n/nd31ab155f7cf 

文芸方面には疎いので、インドネシアに関係する人文科学系やノンフィクションの本を主に取り上げていくつもりです。さて、いつまで続くでしょうか?!

Note でインドネシア映画について書いています

松井和久さん主宰のウェッブマガジン『よりどりインドネシア』上にて、インドネシア映画批評を連載中です。往復書簡という形で、インドネシアの過去現在未来を縦横無尽に語りつくす内容にすべく、日々精進しております。

https://note.com/matsui_glocal/membership/notes?hashtag=%E6%98%A0%E7%94%BB%E5%BE%80%E5%BE%A9%E6%9B%B8%E7%B0%A1 

今後バックナンバーも随時アップされていくと思いますので、ここ数年映像産業そのものが非常に勢いに乗っているインドネシア映画に興味関心をお持ちの方は購入していただければ幸いです。

2020年5月28日木曜日

+62 掲載 「インドネシア居残り交換日記 2020年3月15日〜5月24日 新しい日常」

旧知の池田華子編集長のお誘いを受け寄稿しました。呆れるほどの遅筆でしたが、無事提出できて一安心。餅は餅屋で、やはり編集はお任せするに限ります。

https://plus62.co.id/archives/17354

ちなみにラマダン中に減ったはずの体重、さっき測ってみたら元に戻りつつあり、ヤバい。こちらは「新しい日常」ならぬ「新しい体重」で行きたいんだけどなあ...


2020年4月12日日曜日

記事翻訳 コロナウイルスを否定していたインドネシアは今迫り来る災害に直面しつつあるかもしれない

(フェイスブック投稿と同内容)

2020年4月11日現在、インドネシアに残留している日本人で現在の事態の深刻さを理解していない人は極めて稀と認識していますが、それが同じくコロナウイルス危機下にある日本にまで伝わっているのか、若干疑問がありました。
拙い訳で恥ずかしいですが、以下豪州メルボルン大学の二人の研究者による論考を日本語に訳したので、危機の深刻さを理解する一助になれば幸いです。誤訳のご指摘、大大歓迎です。
なお、英語の原文はこちら。私が最初に閲覧した時は、太字と下線での強調部分が多すぎてやや煽り気味ではないかと感じました。現在は下線のみのようです。また今回改めて日本語に訳してみると、それほど激烈でもない感じで、自分の英語力の弱さを痛感しました。

以下の日本語訳はインドネシアを代表する英語紙THE JAKARTA POST に転載された文章から訳しています。

コロナウイルスを否定していたインドネシアは今迫り来る災害に直面しつつあるかもしれない
(ティム・リンゼイ及びティム・マン)
インドネシアがCOVID-19の感染爆発をうまく処理していると考える人はほとんどいない。
3月上旬まで政府は感染症の症例はなかったと主張し、常軌を逸した保健大臣であるTerawan Agus Putrantoは祈りのおかげであるとした。内務大臣はもやしとブロッコリーをもっと食べるように大衆に促し、ジョコ・ウィドド大統領(ジョコウィ)は伝統的な薬草療法であるジャムウを賛美していた。
政府は否定の中にいた。テラワン氏は、ハーバード大学の研究者による、インドネシアには報告されていない症例があったはずだという内容の報告書を「侮辱」として退けた。最近でも先日の金曜日には、別の大臣がウイルスは熱帯気候で生き残れないとまだ主張していた。
ジョコウィは明白に、ウイルスが貿易・投資・観光にもたらす脅威について多くを心配していた。多数の国が厳しい旅行制限を課していた2月に、彼は観光客を引き付けるために最大30%の割引を提供することを計画した。政府は観光促進の為にソーシャルメディア・インフルエンサーへの謝礼として約800万豪ドルを割り当てさえした。
3月2日、インドネシアはようやくCOVID-19がこの群島に到達したことを認めた。多くの人が疑ったように、ジョコウィは政府が「パニックを回避するために」大衆からの情報を差し控えたと認めた。
そしてようやく行動を開始した。政府は大集会を禁止し、いわゆる「大規模な社会的制限」を導入し、外国人の入国を禁止した。国内では悪名高い過密で不健康な刑務所から3万人の囚人を釈放し、医療ニーズ、社会的支援、中小企業の救援にさらに400億豪ドルを支出すると発表した。
先週、ジョコウィはすぐに引っ込めたものの、(戒厳令に近い)民事緊急事態宣言のアイデアをもてあそんだ。
状況はどれほど悪いのか?
ほとんどのインドネシア人が推測していたことをジョコウィが最終的に認めた理由について、理解することは難しくないが、依然我々はすべての事実を掴んでいるわけではない。
インドネシアでは2,400人以上の感染者と209人の死亡が記録されているが、これらの数値は人口約2億7千万人の国のわずかなサンプルである11,500件の検査に基づいている。
多くの症例の兆候が見られ、またその死亡は検知されてない。ロイターはジャカルタの公園墓地管理局データを調査し、同州では4,400人の埋葬が3月におこなわれたこと、これは通常より40%増加した数値であることを明らかにした。
しかし、控えめな公式発表の数値でさえ致死率は9%であり、検査が不十分だったことが理由だとしても、世界で最も高い致死率の国のひとつだ。
いずれにせよ、インドネシア大学の科学者たちは、より厳格な対策が早急に開始されない場合、状況がさらに悪化し、4月末までに24万人が死亡する可能性があると予測している。
悲劇的なことに、広範囲にわたる検査、適切な治療、そして強力で効果的な社会的隔離措置が速やかにおこなわれる可能性は低い。
政府は保健体制を大急ぎで準備しているが、これは不可能な仕事のようだ。インドネシアでは1万人に対し医師は4人だけ、病院のベッド数も同じく12床であり、10万人あたりの集中治療ベッド数は3床未満である。これらのレベルは、世界保健機関またはアジア太平洋地域の基準を大幅に下回っている。
人工呼吸器の極端な不足は、特に地方においては、本来なら避けられるはずの多くの死をもたらすだろう。
COVID-19の専門病院がジャカルタに開設され、ガラン島にある旧ベトナム難民キャンプが別の専門病院として改装中である。
しかし、数十万人が感染しているならば、こうした専門病院はもっと多く必要になるだろう、とりわけインドネシアは呼吸器疾患の危険地帯なのだから。インドネシアは世界で男性の喫煙者の割合が最も高い国の1つであり、5つの主要な死因はすべてタバコ関連である。保健省と医師の間の悪い関係も助けにはならない。
医療従事者のための防護服も欠乏が深刻な状態だ。彼らの中にはレインコートで働くよう言われている人すらいる。これまでに少なくとも24人の医師が死亡しており、これは記録されている死者数の約11%にあたる。
インドネシアのような人口過密国では、規則に対する自由放任の態度と警察への賄賂の伝統があるため、社会的な隔離さえも非常に困難になる。しかも、労働人口の最大70%がインフォーマル・セクターで働いており、多くの人がその日暮らしをしている。自宅で仕事をすることは、彼らにとって選択肢にはならないだろう。
さらに悪いことには、5月23日に行われるイスラム教徒の断食明け大祭のお祝いに向けて、数百万人が伝統的な帰省を準備している。昨年のこの期間、1800万人以上のインドネシア人が移動した。破滅的な感染拡大を引き起こす引き金となる、このような他のイベントを想像することは困難である。
ジョコウィの多くの均衡的な行動
ジョコウィは断食明け大祭時の帰省の危険性について警告はしているが、それを防ぐために厳格な対策をとることは躊躇しているようだ。
ジョコウィは勝てない状況下にある。彼が帰省を禁止した場合、彼を不誠実なイスラム教徒であるかのように見せたい政敵たちの批判の標的になるだろう。逆に彼が帰省を禁止しなければ、何百万人もの国民をウイルスにさらすものだとして攻撃される。
すでに知名度の高いジャカルタ首都特別州知事アニエス・バスウェダンは、ジョコウィの今回の危機への対応を批判し、ウイルスの蔓延を食い止めるためのより厳格な対策を要求している。
しかし、ジョコウィは検疫や全面的な帰省の禁止ではなく、「大規模な社会的制限」を選択して、またもや公衆衛生よりも経済的配慮を重視しているようだ。
厳格な領域検疫や封鎖は、間違いなく経済活動を抑制する。さらには、2018年の保険検疫法に基づき、領域検疫がおこなわれる地域において政府は全ての住民の基本的なニーズに責任を持つため、莫大な費用を負担することになる。
コロナウイルスが、これまで決して水面下にあるとは言えなかった反中国というヘイトスピーチの爆発を引き起こしていることもジョコウィに関係する。ネット上の荒らし屋は、中国人がウイルスをインドネシアに持ちこみ、裕福な彼ら中国人は自らの安全のためシンガポールへ逃げたと非難している。インドネシアの多くの場所で、中国人労働者に対する暴力的な抗議行動が既に行われている。
ジョコウィは元ジャカルタ州知事である中国系キリスト教徒のバスキ・チャハヤ・プルナマと密接な関係にあり、中国からの投資を熱望する大統領の態度と相まって、もし国民の間に反中国感情がさらに高まれば、彼はそのことで攻撃されるだろう。
ジョコウィは現在、危機管理を支援するために警察・国軍・情報機関を動かしている。これは、ジョコウィ体制を特徴づけている、静かに進行している安全保障化と一致しており、これらの機関はより大きな足がかりを得るためにあらゆる機会を利用する。
が、それはまた、ジョコウィがCOVID-19が彼にもたらすかもしれない政治的危険性を認識していることを示唆している。憂慮すべきことに、警察はウイルスの蔓延を防ぐのに役立つであろう行動をとるよりも、大統領に対するネット批評家を追い払うことに関心があるようだ。
インドネシア政府は混乱の渦中にあり、それは概ね自ら作り上げたものだ。悲しいことに、指導者たちが明白な物事を否定して過ごした数ヶ月の為に、インドネシアの人々は非常に高い代償を払うだろう。
(訳注;原文は4月8日午前3時にインドネシア西部時間にアップされ、翌日9日午前7時半に一部の数値が修正された。よって感染者数及び死者数等はその時点での数値であるが、そのまま訳している。4月11日夜現在、インドネシアの公式発表での感染者数は3842人、死亡者数は327人となっている。


2018年12月20日木曜日

古本「蘭印生活二十年」 2008年4月29日30日のMIXI日記転載

10年前の日記を転載。この古本はかなり面白かったのだけれど、ジャカルタへ引っ越して誰かに貸した後、行方不明になってしまった。どなたかお持ちの方は返していただきたく。
日記の文面は変更なし、ただし、本からの引用箇所は読みやすさを考慮して斜体とした。画像は小さすぎるがMIXIなのでこんなものです。




昨晩、かみさんは夜行バスでバンダアチェへ出発した。私に愛想をつかして...ではなく、津波遺児の甥と姪の財産相続に関する用事。一応家裁での審判があるとかで、以前から気をもんでいた。早く解決しますように。

さて、かみさん不在で暇をもてあましている(ゴメン)ので、前回の続きで、古本の「蘭印生活二十年」について書いてみよう。

まず基本データについて。発行日は昭和16年4月10日、発行元は大日本雄弁会講談社、定価1円60銭。奥付と同社の既刊本紹介頁を眺めるだけでも面白いが、とりわけ時代を感じさせるのが、送料の項目。「内地十銭」、そしてその左横には「満、支、鮮、台、樺、南 十二銭」と書かれている。まさに当時の日本が帝国であったことをこの古書は教えてくれる。ところで、これらの価格は現在の貨幣価値でいくらくらいなのだろうか?

また、当時皇紀と元号の使い分けはどうやっていたのか、気になる。著者の前書きには「皇紀二千六百一年春」とあるが、奥付は昭和。特に決まっていたわけではないのかもしれない。ちなみに、私は天皇制支持者ではないが、ころころ変わる元号よりは皇紀の方が使いやすいだろうなあと思っている。いわゆる「暦」などというものは、地域や時代で異なるのが当たり前なのだが、汎用性と実用性もバカにはできない。考古学者はせっせと研究を進めて、早いところ「ネアンデルタール暦」を確定して欲しいものだ。

著者の和田民治は自身のことを「二十余年の長い間、ジャバに於いて、椰子とカポック綿を栽培する農園の経営を担当していたもの」と紹介しており、「その間、あまり人の行かないニューギニヤ方面にも、前後三回の視察旅行をした」と述べている。

本書は四編から構成されている。ジャバ編、農業編、猛獣狩編、ニューギニヤ編、そして補足として「南方開拓に進む人々の為に」という項が最後に追加されている。

(この項続く)

さて、読みどころ満載、突っ込みどころ満載な本書から何箇所か引用してみよう。(かなづかいや漢字表記や段落は読みやすいように一部改めている)

まずはジャバ編の出だしのあたり。

・・・が、自然の恵みに慣れ、その懐に眠っている熱帯の土人は、衣食住の心配はごく少なくてすむ。裸でも暮らせる。野山に果物は枝もたわわに熟している。雨風をしのぐに足りるだけの小屋で充分である。生活苦の無いところに向上発展はない。彼等は、遊惰におちいりやすい。しかも、一方では、その地方の無限の資源に目をつけた白人のために、圧迫され、搾取されて、最低限の生活で満足しなければならない状態にある。こうした土人を白人の手から解放し、彼等の文化を向上させ、生活を豊かにしてやることが、吾吾日本人のつとめなのではあるまいか。大東亜共栄圏の大理想なのではあるまいか。私はそんなことを考えながら庭をそぞろ歩いていた。と、一人の土人苦力が近づいて、「旦那(トゥアン)、お早うごぜえます」と、ニコニコ顔で挨拶した。その人なつこい顔を見ると、私は故郷のどこかで見たような人のような気がしてたまらない。土人の中には、日本人に実によく似た顔をしたものがいるのだ。


こうした「南方楽園説」はいまだに日本で信じられているのでしょうか。当時としてはこれが常識だったわけで、そうでなければ「冒険ダン吉」や「怪傑ハリマオ」が生まれるはずもないのですが、まあ二十年も蘭印に住んでいてこの程度の認識とはねえ...しかも後半部は手前勝手な「大東亜共栄圏の理想」。「土人」より「支那人」の方がよっぽど日本人に似ていると思いますw

意地悪コメントはこのくらいにして、次はジャバ人の服飾について。


男は皆、頭にカパラカインといふ、一米四方位の、褐色と藍色などで模様を染め出したジャバ更紗を巻く。これを二つに折って三角形とし、その頂点を額にあて、三角形の底辺を高等部にあて、両端を持って左右から頭部をまるく包み、両端を後に回してぼんのくぼで結ぶ。(中略)これは帽子ではないから、屋内でも冠っているし、来客があれば、たとえ着物は着なくとも、これだけは必ず巻いて出る。上半身の裸体は失礼にならないが、頭布なしでは非常な失礼とされている。外出の時は、このままのこともあるが、その上に、更に減るマット、パナマ帽、中折帽などをかぶる。農夫などは、竹製の帽子、笠をかぶる。吾吾が見ると、二重の帽子のようでおかしい。(中略)近頃、土人もスマートななりをしたがって、靴やズボンを着けるが、土人はいかなる場合にも、白人と同じ服装をすることは禁ぜられている。つまり、ズボンをはけば頭布をまかねばならず、頭布をまかない場合は、ズボンのかわりに腰巻を着けなければならない規則である。(中略)どこの国へ行っても、女は見目形に苦労する。土人の娘も、年頃になると、パンゴールといて、前歯を鑢で削って歯並をそろえる。トツカンパンゴールという専門の職人が村々を廻ってっクルと、五六十セント払って手術を受ける。が、これが実に凄い荒療治で、釘抜きみたいなもので門歯をバキバキとかきとり、その上を鑢でガリガリ削っては先をそろえる。見ていても痛そうだが、美人になりたい一念はおそろしい。涙をボロボロこぼしながら、がまんしている。時には、脳貧血を起こして卒倒する者もある。なまやさしい美顔術ではないのだ。


カパラカイン(クパラカイン)はもはや儀式の時にしか見なくなりましたが、それほど重要なアイテムとは知りませんでした。なるほど。また、女性の「美」にかける情熱は時代を超えるようですw続けて食物について。

土人の主食物は米であるが、中以下のものはこれに玉蜀黍をまぜる。玉蜀黍の実に水をかけて臼でつき、皮を除き、再び水をかけて強くつくと日本のひき割り麦のようになる。それを米にまぜて炊くのである。非常に美味で、米よりも力がつくというので、労働者は好んで食べる。(中略)ジャバ料理の特徴は、椰子の実の汁と唐辛子及びタラシーという味付料を用いることである。(中略)貧民はタピオカ芋を食べる。土人は、これを茹でて食べたり、蒸して椰子の実のしぼりかすとまぜついて餅のようにして食べる。私たちはこれでキントンをつくるが、栗よりもうまい。

最近は食料価格が高騰しているので、ジャワの農村でトウモロコ混ぜご飯が復活しているかもしれません。タピオカ芋(キャッサバ、シンコン)のキントン、美味そうですw

続きはまた明日。

2018年12月19日水曜日

映画評 Ayat-Ayat Cinta (愛の章句) 2008年3月9日のMIXI日記転載  

10年前のMIXI日記を転載。イスラーム(風味の)恋愛映画については、既に小池誠さんや山本博之さんが論じられている。日本や欧米の恋愛ものとは一味、いやだいぶ違うタッチを面白いと思えるかどうかが評価を左右すると思う。画像と主題歌は今回追加しました。







いまインドネシアで大ヒット中の映画『AYAT-AYAT CINTA』(愛の章)をかみさんと今日見てきました。いやはや、まず席を取るのが大変でした。実は昨晩、つまり土曜日の夜にシネコンヘ行ったら2スクリーンで満席だったので、今日はその雪辱戦。それでも、今日も2回目の上映はダメで夕方からの回となったのでした。ちなみにチケットは1人25000ルピア(約300円)こんなに凄いヒットは6年前の『ADA APA DENGAN CINTA?』(邦題「ビューティフル・デイズ」)以来ではないでしょうか。何しろメダンだけで半分近くのスクリーンをこの映画が占めています。クリスチャンと華人が多いメダンでこれだけ受けるというのも実に興味深いことで、見る前から期待が高まりました。

ストーリーはシネトロン(TVドラマ)でよくある男1人女2人の三角関係、あるいは「一夫多妻もの」なのですが、舞台をエジプトに設定したことがまちがいなく大ヒットの要因の一つでしょう。主人公ファリはイスラム世界の最高学府アルアズハル大学で学ぶインドネシア人留学生、ファリの下宿の隣人女性マリアはコプト教徒、ドイツ国籍を持ちファリとお見合い結婚するアイシャはベールで顔を隠す敬虔なムスリマという設定。なるほど、イスラム系日刊紙レパブリカに連載されていただけあって、その筋には受けそうなお話です。

とりたてて優れた演出があったわけではなく、大体ファリはそれほどハンサムでもなく(ニコラス・サプトラの方が10倍カッコイイ!)、しかも登場人物みんながインドネシア語を理解するのはヘンじゃないのなどとしょーもない突っ込みを入れたくなってしまう程度の出来でしたが、かと言って「金返せ!」と言いたくなるレベルでもありませんでした。まあ、この手の話ではお定まりのシーン、つまり「夫1人妻2人の夜の生活」のシークエンスには場内失笑してましたが。あと、この手の話って、どうしていつもこういうラストなんでしょうか?夫1人妻2人で仲良く暮らしました、めでたしめでたし、となると女性層の共感を得られないからかなあ?80年代香港喜劇映画の傑作『大丈夫日記』(主演はチョウ・ユンファ)のように、みんながムスリムになってめでたしめでたしでも良いと思うんだけれど、メロドラマの法則がそれを許さないようです。

津波で消えたかみさんの甥Aはアズハルの学生だったので、できることなら彼の感想を聞いてみたいものです。また、アズハル大学に100人以上在学しているアチェ人留学生たちはこうした映画に共感するのかしないのか。あるいは、エジプトのコプト教徒はこの映画をどう見るのか。あからさまではないにせよ、アラブに対するインドネシアのイスラームの優位とインドネシアナショナリズムが通奏低音となっているこの映画が、外国人や他宗教の信者にどう受容されるのか、調べてみたら面白いのではないかと思います。

ただし映画のレベルとしてはそれほど高くないので、日本で上映される可能性は低いでしょう。カップルで見るにはまあ悪くない映画なので、マイミクの皆さんには暇でしたら一見をお勧めいたします。

2018年12月18日火曜日

中島岳志さんと村井吉敬さんの対談 2008年3月24日のMIXI日記転載

10年前のMIXI日記を転載。加筆修正はなし。
村井さんの駄洒落が懐かしい今日この頃。


恒例のアジア対談、今月はMさんの登場です。「究極は、石油のフェアトレードだと思います」とか「フェアトレードが、生産側から見ればごう慢な基準に当てはめられるだけのものになっている面もある」などの発言こそMさんの真骨頂。でも、(一部)関係者には有名な「ギャグ」発言がないのが少々残念でもあります。あるいは毎日新聞社に「ギャグ」の部分は削られてしまったのかも?

<引用ここから>

中島岳志的アジア対談:エビとフェアトレード--村井吉敬さん
 今回のゲスト、村井吉敬さんは、ロングセラーの『エビと日本人』(岩波新書)で、日本と第三世界の貿易に潜む問題を指摘した、この分野の第一人者。昨年末、20年ぶりの続編『エビと日本人2』(同)を出した。大貿易に対抗して、第三世界の生産者と適正価格で長期契約を結び、公平な貿易をするフェアトレードの推進者でもある。【構成・鈴木英生、写真・米田堅持】

 ◇開発独裁後の方向は--中島さん

 ◇地域経済の連合を--村井さん

 中島 村井さんは、先進国と第三世界、多国籍企業と生産者の非対称な関係を問題にされてきました。まずこの20年間の変化をうかがいます。

 村井 昔、私が強調したのは、日本の消費者がエビを食べるほど「南」の生産者が追い詰められる構図でした。今、インドや中国、東南アジアが経済成長をして、現地でもエビをたくさん食べています。「貧しいアジア」で、ひとくくりにできなくなってきた。アジアの成長を非難する権利は誰にもありませんが、世界人口の約半分はアジアであり、その食は地球環境全体にものすごい影響がある。

 中島 インドは、約11億人のうち中流層以上が約2~3割。これまでエビと関係がなかった北インドの中間層も、今やエビ料理を食べている。

 村井 インドでは以前、政府がエビの養殖池の造成を禁止しましたが、それを撤回したようです。零細漁民の保護政策がグローバリズムによって維持できなくなった。

 中島 インドは98年に右派のインド人民党(BJP)が政権を担ってから、ネオリベラリズム化が進みました。公共事業の民営化を進め、規制緩和をしてグローバル企業を入れた。その後、この党が下野しても、経済政策は継続している。

 村井 インドネシアのスハルト政権は、まさにそのグローバル経済の合理性を十分に取り入れなかったから崩壊した。民衆の革命ではなくグローバル化の圧力で、身びいきな資本主義しか作れなかった政権が崩壊した。インドの場合は日本と似て、グローバル化と右傾化がセットだった。クーデター以後のタイも混迷しています。アジア全体が次のステップを模索しているのではないでしょうか。

 中島 インドネシア的な開発独裁もインドのような疑似的社会主義も、日本と似て、利権政治家やムラ社会のネットワークが、透明性のない分配を担保してきた。これが崩壊した。開発独裁もまずいが、それを壊したネオリベラリズムもまずい。それらをどう乗り越えるのかが課題でしょう。

 村井 これまで、この地域では国民国家の存在感が大きすぎた。特にインドや中国は、国民国家を作ったナショナリストの戦いが、神話的地位にあった。今、その国民国家を乗り越えるという課題が残ったまま、ネオリベラリズム下の経済をどうすべきかという問いがある。

 この数百年、戦争で人を殺してきたのは、やはり国民国家です。その国民国家をどう乗り越えるか。個人的には、地域の自立で国民国家の横暴を乗り越える方向で進んでほしい。グローバル経済ではなく地域の自立経済ができて、その連合で世界が再編されたらいい。

 もちろん、現実は簡単ではない。たとえば、果たしてフェアトレードはネオリベラルの波に打ち勝つ力を持っているのか、よく分かりません。

 中島 関連で中国の冷凍ギョーザについて。「エビと日本人」ならぬ「ギョーザと日本人」の関係は?

 村井 すぐ、中国をたたいたり、中国製が危険ならベトナム製がある、とかの話になりますが、それは違いますね。問題は、6割もの食料を外国に委ね、大製造業に経済成長を全部任せた日本の経済です。大企業の立場では、製品をもっと輸出する代わりに、食料は何でも輸入すればいいとなりがち。でも、それで成り立つ国家が「日本人の幸せ」を生み出すとは思えない。

 中島 冷凍ギョーザや食品偽装の背景には、消費者の問題もあります。ミートホープの社長は「消費者が安いものを求めすぎる」というふうに言った。安いものを作れという圧力があって、偽装したと。こうして、生産者と消費者の距離が広がっていく。この点を無視して、彼をバッシングして、逮捕されたらおしまい。それでいいのか。

 村井 おっしゃるとおりです。ギョーザは事件性が強そうなので少し話が違うかもしれませんが、これだけ中国に食材を作らせておいて、何か起きると生産者ばかりをたたくのは、いかがなものか。

 中島 そこで、生産者と消費者の関係という側面から、改めてフェアトレードの可能性と限界をうかがえれば。

 村井 私のかかわっているオルター・トレード・ジャパンの場合、90年ごろからジャワの自然養殖のエビを扱い始めました。十数年間、エビのフェアトレードをやって、一定の範囲で消費者に知られたけれど、限界も明確になってきました。年間総輸入量約25万トンのうちせいぜい約500トンに過ぎない。普通の貿易にNGO(非政府組織)が食い込むのは簡単ではない。しかも、普通のフェアトレードは、民芸品なんかを日本人がたまにボランティア精神を発揮して買う程度。これでは長持ちしないんですよ。究極は、石油のフェアトレードだと思います。世界の大貿易の構造を本気で変えるつもりがないと。

 それと、そもそもは先進国の使い過ぎ、食べ過ぎが問題なんです。バレンタインでチョコレートの年間4分の1を消費するから、この日はフェアトレードの有機チョコを食べよう、ではなく、食べる必要はない、という選択肢があるべきでしょう。

 ◇顔の見える生産・消費を--中島さん

 ◇地球作り替える面白さも--村井さん

 中島 今、国内でも生産者の名前が分かる野菜が人気ですが、そんな顔の見える関係総体の中にフェアトレードも位置づけて、コミュニティー型の生産と消費を考えられそうです。

 村井 でも問題も多い。まず値段が普通より2、3割高い。たとえば普通の人が子供2人を大学に入れていたら、このぜいたくはできない。

 それと、フェアトレードの食品は有機栽培や有機養殖が多い。ですが、業界内で有機認定をするのはヨーロッパの団体なんです。そこの基準に、動物の場合は共食いをしてはならないとある。これは、非常に人間的な考え方ですよね。エビは共食いをするから、ヨーロッパの発想ではオーガニックではない。このごう慢さ。フェアトレードが、生産側から見ればごう慢な基準に当てはめられるだけのものになっている面もある。

 中島 エビで生産者の側から見た問題はほかに?

 村井 エビの生産構造はたとえばバナナなどと少し違って、階層が複雑に分かれています。養殖池の池主の下で働く管理人や賃金労働者がいる。ほかに氷業者がいて、冷凍工場があって……。フェアトレードは池主とフェアな関係ができても、それ以外に介入できない。工場や池の労働者にもフェアな貿易をやるなら、現地社会の構造を変えないといけない。

 中島 こうした否定的側面もありますが、結論としては、日本の消費者が新自由主義を読み替えるには、フェアトレードの可能性に注目する必要がある。

 村井 いろいろ言いましたが、フェアトレードはおもしろいんです。たとえばコーヒーは、大手が市場を独占して価格も決めている。だけど実は、私たちが無手勝流で東ティモールに行って農民と交渉しても、買ってこられる。買い取り価格の上乗せもできるし、生産者に「長期契約したらもっともうかるよ」とか、「コーヒー以外にこんな作物は可能性があるよ」と提案したり。それをやる過程で、生産者と消費者が互いに地球を作り替えてゆく可能性を探れる。このおもしろさがあるんです。<毎月1回掲載します>

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 ◇対談を聞いて

 昨今、グローバル化に対抗して国民国家の役割を強調する人が少なくない。ところが村井さんは、以前からの国民国家批判を手放さない。村井さんは「人と人は国民国家がなくともつながれる」との確信を人類学者、鶴見良行に学んだようだ。この考え方、政治哲学者、アントニオ・ネグリ氏にも近いのが興味深い。【鈴木英生】

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 ■人物略歴

 ◇なかじま・たけし

 北海道大准教授(アジア研究)。1975年生まれ。最新刊は姜尚中さんとの対談本『日本』(毎日新聞社)。

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 ■人物略歴

 ◇むらい・よしのり

 上智大教授(社会経済学、インドネシア研究)。1943年生まれ。早稲田大卒。人類学者の鶴見良行らとアジア太平洋資料センターで第三世界の現地調査にかかわる。同センター代表も務めた。『スンダ生活誌』『スラウェシの海辺から』『グローバル化とわたしたち』など。

毎日新聞 2008年3月19日 東京夕刊

2018年11月30日金曜日

映画メモ 『 Suzzanna: Bernapas dalam Kubur 』


 先日近所のCinemaxx でLuna Maya 主演の怪奇映画Suzzanna; Bernapas dalam Kubur を観てきた。タイトルを聞いて、「怪奇映画の女王」と呼ばれたスザンナ姐さんの伝記映画か!?と早とちり。実際は至極まっとうな怪奇映画だったのだが、ある意味時代錯誤と言うのか、非常に変わったスタイル、言うなればかつてブルース・リー没後に雨後の筍の如く作られた「ブルース・リーそっくりさん映画」みたいなテイスト満載。思っていたより楽しめたのは私がスザンナ姐さんファンだからか?

映画のあらすじやスタッフキャストについてはこちら。
http://filmindonesia.or.id/movie/title/lf-s026-18-453523_suzzanna-bernapas-dalam-kubur#.W_93ejj7TZ4

本作の監督はここ20年では最大の観客動員を記録した『Warkop DKI Reborn: Jangkrik Boss! part 1』のAnggy Umbara。今回初めて彼の作品を見たが、娯楽映画の王道を行くスタイルと感じた。奇をてらわず、観客の期待を裏切らない堅実な演出。ジャンル映画においては必須の要素だろう。他の作品を見てないので明言できないが、職人肌の監督なのかもしれない。

十中八九、日本ではまず上映されないタイプの映画だが、それだけにちゃんと作品評を書いておくべきかもしれない。まあ気が向いたらということで。

妖花スザンナを日本に紹介した四方田犬彦さんが本作を見たら、どう評されるだろうか?

<更新履歴>2018年11月30日WIB19時 誤字修正ほか

2018年11月27日火曜日

アジア大会で金メダル独占!伝統的護身術プンチャック・シラットの奥義に迫る!!インタビュー後半

後日某メルマガに掲載予定。


私がインドネシアについて知っている二、三の事柄
12回 アジア大会で金メダル独占! 伝統的護身術プンチャック・シラットの奥義に迫る ~日本プンチャック・シラット協会会長 早田恭子さんインタビュー後半

 前回に続き、日本プンチャック・シラット協会会長にして、日本人として只一人の国際審判員ライセンス保持者である早田恭子さんへのインタビュー後半をお届けします。今回は動画を多数紹介しますので、読者の皆様には是非クリックしていただき、シラットの魅力の一端にふれていただければ幸いです。

インタビューに入る前に、早田さんお勧めのシラットの動画をまずはご覧ください。これはジャカルタでのイベントで、飛び跳ねたりする派手さはありませんが、達人の熟練した動きが実に魅力的です。




私がお勧めしたいのは今年ベルギーでおこなわれたオープン・トーナメントでのインドネシアチームの演武です。


では、インタビュー本編後半をどうぞ!ジャーン!!!



<インドネシア国内におけるプンチャック・シラットの現状について>

インドネシアでプンチャック・シラットの全国組織インドネシア・プンチャック・シラット協会(IPSI が結成されたのが1948年、その後国際プンチャック・シラット連盟(PERSILAT)が設立されたのが1980年、伝統的護身術から近代スポーツへの脱皮に時間がかかっている印象を受けます。既にスポーツとして各国に普及している他の護身術、例えば空手やテコンドー、武術太極拳と比較した場合、シラットには際立つ特徴がありますか?

 伝統的護身術としてそれを実践・伝承してきた地域と、近代スポーツとしてのそれを開発・主導した地域の一致する範囲が狭いのがシラットだと思います。
ちなみに、1950年代のPONでシラットが競技として実施されているそうです。つまり、近代スポーツとして普及発展を目指す勢力あるいは思考は、インドネシアで意外と長い歴史を持っていることになります。そして50年代と形態が違うにしても、PERSILAT設立時には競技シラットとしての土台が多国間で共有されました。通信手段など現在とは異なる社会インフラを考えれば、30年ほどで伝統的護身術を母体とする近代スポーツとして認知されているのは、早い方ではないかと思います。

注1)PON = Pekan Olahraga Nasional , 州対抗のスポーツ競技大会。日本の国民体育大会に相当する。 

なるほど、仰るとおり社会インフラの違いを考慮すれば、近代スポーツとして着実に発展してきているというのが実態に近いのですね。訂正いたします。
 それでは、どの地域に伝統が色濃く残り、或いはどの地域が近代スポーツとして盛んなのでしょうか?地域だけでなく、階層によっても伝統の継承やスポーツ化の面で違いは見られるのでしょうか?

 前述の「地域」はインドネシアを全てとした場合の地域ではなく、マレー文化圏を想定しています。私自身で調査研究をしたわけではありませんから、あくまで印象論ですが、マレー語の通じる、あるいは語彙を共有するエリアは基本的に伝統護身術として実践伝承してきた「地域」だと思います。一方、近代スポーツとしてのそれを開発・主導した「地域」はかなり狭く、ジャワ島を中心とした表層部分と言えるのではないでしょうか。ただし近代スポーツとしての起こりは小さな点でも、SEAゲームズという東南アジア全体が競う舞台でいくばくなりとも強い足場を築いたがために、伝統護身術として実践伝承してきた地域外、つまりはベトナムやラオスといった国において、近代スポーツとしての発展に力が入れられているように感じます。
少し狭い範囲、インドネシアに絞って話をすると、地域・階層で継承・スポーツ化に違いは見られません。同じ地域に継承する集団、スポーツに注力する集団が混在しますし、アクターが重複することもあります。階層によっての違いも顕著ではありません。高学歴富裕層がスポーツにのみ興味があるというわけでもないですし、社会的地位が低い経済困窮層がスポーツに参戦できないわけでもありません。

-例えば、アジア大会での金メダリストの多くが西ジャワ州の出身でした。これはやはり同地がシラットが盛んであることと関係があると捉えてよいのでしょうか?

 演武部門は西ジャワ州出身の選手が多かったのは事実です。また、西ジャワはシラットの故地の一つであるとも自負しているため、伝統を継承する集団が多いのも確かです。ただ個人的に、スポーツで好成績を修めるには広い裾野(多くの競技人口)と整った設備(効率的な練習)が大きな役割を果たすと思っています。盛んでなければ得るのが困難な要素ではありますが、西ジャワで盛んな“シラット”が“競技”と同義ではない以上、関係があると明言はできません。

-現在製薬会社のCMで人気のウェウェイ・ウィタさんはアジア大会50-55kg級の金メダリストですが、父親はシンガポール出身の中国系です。シラットとイスラーム信仰の結びつきは必ずしも必須ではないと考えて差し支えないのか、あるいは流派によるということなのでしょうか?

 ウェウェイ・ウィタさんはイスラーム教徒です。信仰という点からみれば、実はこの質問自体が成立しません。しかし、マレーシアで「スポーツにおけるシラットの技術は信仰・民族に関わらず教えるが、伝統武術としてのシラットはムスリムにしか伝えない」と言われたことがあります。シラットはイスラーム信仰と結びつけてイメージされることも多く、プサントレンでの鍛錬に採用されていたりします。それでも、結びつきが必須かどうかは流派(もしくは師範)によります。イスラーム信仰と不可分の流派から、ムスリムではなくても技を授ける流派、さらにはキリスト信仰と結びついている流派まで様々です。

(参考)人気トークショーに出演するウェウェイさんと両親



(参考)ウェウェイさん出演のテレビCM

  

ウェウェイさんが非イスラーム教徒と思ったのは私の早とちりでした。失礼しました。
ところで、伝統的なプンチャック・シラットには護身術としての面だけでなく、舞踊としての面も色濃くあります。

(参考) 結婚式におけるプンチャック・シラットの演武



 また、バンテン州におけるジャワラ(jawara)は武芸者、シラット使いを指すと同時に呪術も司っていると言われます。早田さんが所属されている流派はこうした潮流との交流はあるのでしょうか、それとも全くの没交渉なのでしょうか?
(参考) 昨年のジャカルタポスト記事 


 私が「結婚式でのシラット」として想起するのはSilat Pengantinと呼ばれるもので、シンガポールやマレーシアで見られるものです。

 
 ご紹介いただいている動画はHajatanのシラットかと思います。SilatPengantinは参列者が新婚夫婦に祝いを述べるもので、Hajatanのシラットは披露宴(宴会)の余興と言えるでしょう。

 イスラーム教徒であった私の師匠はムスリムでなくとも技を伝える人でしたが、核の部分を知ることはムスリムでなければできない、としていました。私自身はガイブ(幽玄)はあるものと認識していますが、呪術やバンテンのシラットに多くみられるDebusについては、ご縁がなく詳しくはわかりません。

注2Debus = 鋭利な刃物や針等を身体に刺して強靭さを誇示するパフォーマンス


<国外におけるプンチャック・シラット普及の課題について>

- インドネシア人の中にはシラットと言うと、こうした護身術以外の側面を思い浮かべる人も少なからずいるようですね。こうした側面はスポーツ化や海外への普及を目指すうえで時として障害にもなりうると思うのですが、伝統の継承とスポーツ化による普及のバランスは現状どのようになっているのでしょうか?

 国や地域によって状況が異なります。大まかには、スポーツとしてのシラットがシンプルに独立して扱われている場合と、伝統の継承や文化の学習と不可分のものとして扱われている場合に分けられます。前者の場合は護身術としての側面以外が置き去りになり、後者の場合はスポーツとしての普及が足踏みする傾向があるように感じます。ちなみに日本の場合は後者です。

- 日本の場合、シラットの普及が足踏みしている理由は色々あると思いますが、一番大きな理由は何だと思われますか?

 まずは日本の生活が忙しいことです。忙しさを前提に出来上がってる生活リズムに、変わったマイナーなスポーツあるいは武術が定期的な割り当てを受けるには、相当な好事家を呼び込むしかありません。次に、習える場と教える人が限定されていること。スポーツより伝統武術としてのシラットに需要があるとしても、潜在的にやってみたい人はそれなりにいるはずです。単発でも体験してもらう機会が増えることで、次のステップに行けるのだと思いますが、なかなかそういった機会を作ることができていません。

- アジア太平洋戦争中には多くの日本人が軍人民間人問わずインドネシアへ渡り、敗戦後に帰国しているので、当時のインドネシアで伝統的シラットに触れた日本人は少なからずいたと思いますが、それが日本へ紹介されることはなかったのでしょうか?日本軍政の関係者が対連合軍との戦いに向けてシラットの使い手を利用する動きはあったとしても不思議ではないと思うのですが、寡聞にして聞いたことがありません。

 どうも剣舞・舞踊として認識されていたようです。武術家が武術としての紹介はしていないのではないでしょうか。また、使い手を利用する動きはあったかもしれませんが、それはシラットを戦いの手段として使わせるのではなく、使い手たちがすでに集団として存在しているので、それを運用するというものだったのではないかと思います。

- 日本人とシラットの初めての出会いというのは興味深いテーマなので、機会があれば調べてみたいですね。意外と江戸時代初期、鎖国前の朱印船交易の時期に日本で失業した侍たちがシラットと出会っていたかもしれません。
ところで、欧州におけるシラット競技人口は日本よりも多いように見えますが、これはスポーツとして扱われている面が強いからでしょうか?欧州でのシラット普及の端緒はオランダ人から始まったのではないかと想像しますが、現状はインドネシア人主導なのか、それとも既にヨーロッパ人の師範はかなりいるのでしょうか?

 スポーツとして扱われている面が強いのが一因ではありますし、格闘技というものに対する姿勢の違いもあると思います。日本は一人一武芸、あるいは一道場一武芸という傾向があるように感じますが、欧米では一人の師範が格闘技というくくりでマルチに教えている印象です。基盤となるなんらかの武術はあれど、一つの道場でテコンドーと空手とシラットとグラップリングを教えていても奇異な感じはしません。また、シラットがその地に存在する歴史の長さも関係していると思います。

 欧州におけるシラットの普及の端緒はオランダからです。これはインドネシア生まれで戦後に強制帰国させられた植民地政府支配者層関係者だったり、インドネシアからの移民であったりです。つまり、遺伝的な意味でのヨーロッパ人師範は、新しい存在ではありません。インドネシアにルーツを持つシラットが、伝統武術としてオランダ経由で欧米に持ち込まれて半世紀が経っています。その土台があるところにスポーツが紹介されています。伝統武術のプラスアルファとしてスポーツを、あるいは、単純にスポーツとして、どちらの方向からもシラットに人が参加してきているようです。間口が広ければ、競技人口も多くなります。

 また、欧州におけるシラットの主導がインドネシア人なのか、ヨーロッパ人なのか、という話に関しては、どちらかに偏るものではない、と言えるでしょう。また、インドネシア人だけではなく、マレーシアやシンガポールにルーツを持つシラット関係者も、欧州におけるシラット発展に寄与、努力しています。 

- 欧州におけるシラットの普及の歴史は日本のそれとはだいぶ違うわけですね。一方で、近年普及しつつある中央アジアや南アジアでは他の格闘技からの転向組が目立つ印象があります。私の偏見かもしれませんが、試合部門ではシラットらしくない動きや反則が見られたり、また演武ではややキレを欠いている印象です。彼の地での普及における一番の課題は何でしょうか?

 この問題を解決するにはクダクダやパサン(シラットにおける基本的な立ち方や構え)を身につけ、ルールを知ることです。しかし、競技人口の拡大を優先しすぎて、知るべき必要最低限のハードルが下がっているのかもしれません。ここは身につけて欲しい/知って欲しい、という内容があまりにも多いと競技人口は増えません。しかし、要は殴って蹴ればいいのでしょう?と必要最低限を引き下げ過ぎれば、競技人口を多くカウントはできますが、シラットらしさが見えづらくなります。このバランスが難しいです。

<プンチャック・シラットと民族主義の関係について>

- 伝統的護身術とナショナリズムは親和性があり相性が良いのは中国や日本の例を見ても明らかですが、プンチャック・シラットの場合はどうでしょうか?インドネシアで民族主義が勃興し始めたオランダ植民地時代にプンチャック・シラットが盛んになったりしたのでしょうか?

 インドネシアで民族主義と相性がいいのは否めません。さらにイスラーム信仰と結びついている集団も多いため、少なからぬ知り合いが212に参加している写真をフェイスブックに挙げていました。民族主義、独立運動が勃興した時期にプンチャック・シラットが盛んになったかどうかは、残念ながら知りません。しかし、その時期に明文組織化された集団は多いように思います。

注3) 212 = 2016122日に発生した、ジャカルタ州知事(当時)アホックへの大規模な抗議行動。スハルト政権崩壊後では最大規模の群集がジャカルタ中心部に金曜日の合同祈祷という名目で集結した。

- 現職のジョコウィ大統領と来年再び大統領選挙を戦うことになった野党のプラボゥオ・ゲリンドラ党代表は現在のプンチャック・シラット協会会長でもあります。彼が会長職に就いて15年経ちますが、選手や団体が政治的に動員される機会はかなりあるのでしょうか?

 政治的に動員されているかどうか、現地在住ではないのでわかりません。ただ、友人たちの写真を見る限りでは動員されているというよりは、会長に対する親近感から自然と支持を表明しているように感じます。そのため、大会に沢山の人が集まれば、結果として政治的に動員したのとあまり変わりのない光景が繰り広げられるのではないでしょうか。

(参考)プラボゥオ会長の名前を冠した大会開催の横断幕とポスター







- 先日のアジア大会において、男子試合部門55-60kgで金メダルを獲得したハニファン選手が、ジョコウィとプラボゥオを同時に抱擁した写真はTVニュースやSNS で広く拡散されました。大統領選が正式に始まる直前だったので、両陣営が政治的に加熱しそうだった雰囲気を和らげ、また彼の行為は国民統合を両者に促すようでもあり、多くの国民の賞賛を受けました。当日あの会場にいた早田さん、そして周囲のシラット関係者の反応は如何でしたか?

 あの時、審判控室に居ましたが、インドネシア人審判やスタッフはひと際、盛り上がっていました。金メダルラッシュの2日目、負けの可能性もあった試合を制し、会場のインドネシア人は総じて相当なアドレナリンが出ていたはずです。そこで起きたあの出来事で、盛り上がらないわけがありません。とはいえ、それはインドネシア側の話。大会でのインドネシア無双ぶりに他国からの参加者が、賞賛を通り越して蚊帳の外に近い気分になっていたのは否めません。そのため、今大会の象徴的なシーンの一つとなり、シラットの存在を改めてインドネシア全土に知らしめたこの抱擁は、インドネシア人以外の関係者にとっては格別な熱狂とともに記憶に残るようなものではないでしょう。

(参考)ジョコウィとプラボゥオを同時に抱擁するハニファン選手

  
- プンチャック・シラットの過去と現在をどう読み解き、未来をどう構想するか、早田さんをはじめとする関係者各位の努力と奮闘に敬意を表します。長時間のインタビューにお付き合いいただき有難うございました!次回また機会があれば、プンチャック・シラットと映画の関係についてもお聞きしたいと思います。

<参照サイト>
早田恭子さんのアジア大会についてのブログ http://cizma.noor.jp/j/2018AG.html#1
一般社団法人 日本プンチャック・シラット協会のホームページhttps://japsainfo.wordpress.com/

2018年11月24日土曜日

映画評『錦衣衛』

今後Mixi日記に過去掲載した記事をこちらのブログに随時転載します。
初出は2007年2月23日。最近本当に映画見なくなったなあ。



日曜日にカルフールで買い物をしていたら、VCDコーナーでショウブラザーズ映画の安売りをやっていました。39000ルピア(520円)の正規価格が約13000ルピア(約170円)、6割以上の割引となれば買わないわけにはいかないのですが、なかなか面白そうなのがない。題名も監督も俳優も知らない人ばっかり。だから売れ残るのか?

そんな中で見つけたのが、コレ。
http://global.yesasia.com/b5/PrdDept.aspx/aid-11466/section-videos/code-c/version-all/pid-1002869813/


「錦衣衛」と来たら、もうアクションしかないでしょう。主演は70年代後半から80年代前半のクンフー映画で人気があった梁家仁(レオン・カーヤン)。武侠映画の巨匠である胡金銓作品に心酔する私としては、「錦衣衛」と「東廠」(泣く子もだまる明朝の秘密警察)の文字には反応せざるを得ません。駄作でもまあいいやと思って、即購入。

ショウブラ映画については、アジア映画ファンには今さら説明する必要もないかもしれませんが、念のため概略を。

もともとはマレー半島の華僑であったショウ兄弟による巡回映写が中華名門映画会社の始まり。太平洋戦争で日本軍が東南アジアに侵攻した折にはすでに配給網が出来つつあり、戦後はシンガポールに巨大な撮影所を建設してマレー語映画(この時期のP.ラムリー映画は今見ても面白い!)の製作・配給を始め、また香港では巨大な資本力を背景に弱小の広東語映画会社を圧倒する北京語映画を製作・配給。社長のランラン・ショウは「ラッパ」と呼ばれた大映の永田社長と仲が良く、両者は合作などで協力してます。(溝口健二の「楊貴妃」、豊田四郎の「白夫人の妖恋」(李香蘭=山口淑子!)など)また、日本からは後にブルース・リー映画を撮ることになる撮影監督の西本正や松竹の職人監督井上梅次らを招聘して、映画技術の向上に努めました。こうして60年代から70年代にかけてショウブラは興行収入でトップの地位を保持、TV局や俳優養成所の開設などにも事業を広げます。が、徐々に新興のゴールデンハーベストやシネマシティに企画力で劣るようになり、80年代半ばには撮影所での製作を停止。90年代後半から再び製作を復活させ、現在に至っています。

一時期ショウブラは旧作映画の上映やビデオ化に消極的だったのですが、映像ライブラリーを別会社に売却した4年前からデジタル・リマスターDVDの販売が始まりました。特典付きの日本版もキングレコードから発売されています。幻のタイトルが目白押しなので、研究者をはじめ、欧米のクンフー映画ファンや黄梅調(華南風ミュージカル)を好むレトロファンからは嬉しい悲鳴が聞こえてきそうです。

私が所有しているのは①胡金銓の新潮派武侠片「大酔侠」②胡金銓の抗日戦争片「大地兒女」③レズビアンとミステリーと復讐が一体となった変格武侠片「愛奴」④井上梅次監督の明朗快活な現代ミュージカル「香港ノクターン」⑤黄梅調の最高峰「梁山伯與祝英台」⑥そして購入したばかりの「錦衣衛」、です。資金不足からクンフー映画や怪獣映画(特撮で日本人スタッフが協力した「北京原人の逆襲」!)にはまだ手が届いていません。

で、肝心の「錦衣衛」、まあまあの出来でした。プログラムピクチャーなので、胡金銓映画の完成度を求めるのは無理ですが、スピーディな展開で観客を飽きさせません。まあ、80年代以降の香港映画は早ければいいという風潮が強すぎたりもして反発も覚えるのですが。以下粗筋。

時は明朝、暗愚で有名な英宗の御世。錦衣衛とは皇帝直属の親衛隊、いわばトップエリートの集まりですが、実際に実権を握るのは皇帝お気に入りの悪宦官、王振(劉永)。彼は気に入らない人物を次々と暗殺するよう錦衣衛に命令を下しますが、剛直な隊長の趙不凡(梁家仁)は命令に従ったふりをしてこっそり彼らを逃がします。事実を知って怒った王振は錦衣衛長官でもある趙の父に息子を処刑するよう命じます。拒否すれば一族郎党末代まで皆殺しにすると脅された父は息子に追っ手を差し向けますが、幼子と妻を連れた趙不凡は無事逃げ切れるのか?

王振は実在の宦官ですが、映画ではその容貌は誇張した描写となってます。胡金銓が「龍門客桟」において、強力な武術の使い手で白髪の異様な太監(宦官の長官)を登場させて以降、香港映画ではそれが宦官像のスタンダードになったらしく、この映画でも敵役の王振は白粉をつけてマニキュアと口紅の手入れを欠かさないという、実に怪しいヘンなキャラです。いっそのこと、東方不敗みたいに女性に演じさせればもっと「キレイ」だったのに。

実際の宦官はあんなことしなかった思うのですが(笑)、大体宦官と言ってもいろいろ、お金儲けがしたくて成人してからわざわざ去勢するのもいれば(王振はこのタイプ)、幼い時に強制的にさせられる場合(史上最高の海軍提督鄭和はこのタイプ)もあります。当然、人格も朝廷への忠誠度もいろいろですが、どうも悪い例の方がステレオタイプとして流通してしまうみたいです。もし、中国でまだ王朝が続いていて宦官も存在したら、きっと抗議の手紙が映画会社に殺到すること間違いなしでしょう。私としては鄭和とか蔡倫(紙の発明者!)を主人公としたドラマも観てみたいのですが、「宦官=悪者」という図式から抜け出すのはなかなか難しいのでしょうか。

さて、映画では宦官の容貌については誇張されてますが、それ以外のところは結構史実に沿っているとも言えます。王振が部下に自らのことを「九千歳」と呼ばせたり、気に入らない人物を失脚させるなど、その専横ぶりは正史に記録されています。一族郎党末代まで皆殺しというのも、あながち誇張ではありあません。女子供はもちろん係累や弟子筋まで殺しまくる行為を明の太祖洪武帝や永楽帝、宦官魏忠賢は実際におこなっています。いやはや。

ところで、どうして「九千歳」かというと、「万歳」では皇帝陛下に対して不遜だからという馬鹿馬鹿しい理由。ただし、これは明朝を代表するもう一人の悪宦官、魏忠賢のエピソードから取ったようです。史実では、王振はモンゴルに対して無茶苦茶な戦略で皇帝親征を実行した「土木の変」で、モンゴル軍に壊滅的な敗北を喫し乱戦の中で死にました。そして、英宗は野戦において捕虜となった、中華史上ただ一人の皇帝となりました。映画では「土木の変」とは関係なく、王振は無残な最期を迎えるのですが、まあ似たようなものでしょう。

そして、「土木の変」の後に瀬戸際の明朝を救ったのは徹底抗戦の構えを取った兵部尚書の干謙でしたが、人質だった英宗が復位後、彼は謀反の罪(もちろん無実)で処刑されてしまいます。そして、胡金銓の「龍門客桟」は彼の処刑場面から始まるのでした。

本当、中国史ってこういうことの繰り返しで時々ウンザリします。ただ、明の時代は官吏の腐敗とスパイの暗躍が半端ではなかった一方、民間の活力(含む海賊)にも目覚しいものがあったので、物語の素材には困らないようです。

しまった、映画について書くつもりが史実のことばかり書いてしまった...