10年前のMIXI日記を転載。加筆修正はなし。
村井さんの駄洒落が懐かしい今日この頃。
恒例のアジア対談、今月はMさんの登場です。「究極は、石油のフェアトレードだと思います」とか「フェアトレードが、生産側から見ればごう慢な基準に当てはめられるだけのものになっている面もある」などの発言こそMさんの真骨頂。でも、(一部)関係者には有名な「ギャグ」発言がないのが少々残念でもあります。あるいは毎日新聞社に「ギャグ」の部分は削られてしまったのかも?
<引用ここから>
中島岳志的アジア対談:エビとフェアトレード--村井吉敬さん
今回のゲスト、村井吉敬さんは、ロングセラーの『エビと日本人』(岩波新書)で、日本と第三世界の貿易に潜む問題を指摘した、この分野の第一人者。昨年末、20年ぶりの続編『エビと日本人2』(同)を出した。大貿易に対抗して、第三世界の生産者と適正価格で長期契約を結び、公平な貿易をするフェアトレードの推進者でもある。【構成・鈴木英生、写真・米田堅持】
◇開発独裁後の方向は--中島さん
◇地域経済の連合を--村井さん
中島 村井さんは、先進国と第三世界、多国籍企業と生産者の非対称な関係を問題にされてきました。まずこの20年間の変化をうかがいます。
村井 昔、私が強調したのは、日本の消費者がエビを食べるほど「南」の生産者が追い詰められる構図でした。今、インドや中国、東南アジアが経済成長をして、現地でもエビをたくさん食べています。「貧しいアジア」で、ひとくくりにできなくなってきた。アジアの成長を非難する権利は誰にもありませんが、世界人口の約半分はアジアであり、その食は地球環境全体にものすごい影響がある。
中島 インドは、約11億人のうち中流層以上が約2~3割。これまでエビと関係がなかった北インドの中間層も、今やエビ料理を食べている。
村井 インドでは以前、政府がエビの養殖池の造成を禁止しましたが、それを撤回したようです。零細漁民の保護政策がグローバリズムによって維持できなくなった。
中島 インドは98年に右派のインド人民党(BJP)が政権を担ってから、ネオリベラリズム化が進みました。公共事業の民営化を進め、規制緩和をしてグローバル企業を入れた。その後、この党が下野しても、経済政策は継続している。
村井 インドネシアのスハルト政権は、まさにそのグローバル経済の合理性を十分に取り入れなかったから崩壊した。民衆の革命ではなくグローバル化の圧力で、身びいきな資本主義しか作れなかった政権が崩壊した。インドの場合は日本と似て、グローバル化と右傾化がセットだった。クーデター以後のタイも混迷しています。アジア全体が次のステップを模索しているのではないでしょうか。
中島 インドネシア的な開発独裁もインドのような疑似的社会主義も、日本と似て、利権政治家やムラ社会のネットワークが、透明性のない分配を担保してきた。これが崩壊した。開発独裁もまずいが、それを壊したネオリベラリズムもまずい。それらをどう乗り越えるのかが課題でしょう。
村井 これまで、この地域では国民国家の存在感が大きすぎた。特にインドや中国は、国民国家を作ったナショナリストの戦いが、神話的地位にあった。今、その国民国家を乗り越えるという課題が残ったまま、ネオリベラリズム下の経済をどうすべきかという問いがある。
この数百年、戦争で人を殺してきたのは、やはり国民国家です。その国民国家をどう乗り越えるか。個人的には、地域の自立で国民国家の横暴を乗り越える方向で進んでほしい。グローバル経済ではなく地域の自立経済ができて、その連合で世界が再編されたらいい。
もちろん、現実は簡単ではない。たとえば、果たしてフェアトレードはネオリベラルの波に打ち勝つ力を持っているのか、よく分かりません。
中島 関連で中国の冷凍ギョーザについて。「エビと日本人」ならぬ「ギョーザと日本人」の関係は?
村井 すぐ、中国をたたいたり、中国製が危険ならベトナム製がある、とかの話になりますが、それは違いますね。問題は、6割もの食料を外国に委ね、大製造業に経済成長を全部任せた日本の経済です。大企業の立場では、製品をもっと輸出する代わりに、食料は何でも輸入すればいいとなりがち。でも、それで成り立つ国家が「日本人の幸せ」を生み出すとは思えない。
中島 冷凍ギョーザや食品偽装の背景には、消費者の問題もあります。ミートホープの社長は「消費者が安いものを求めすぎる」というふうに言った。安いものを作れという圧力があって、偽装したと。こうして、生産者と消費者の距離が広がっていく。この点を無視して、彼をバッシングして、逮捕されたらおしまい。それでいいのか。
村井 おっしゃるとおりです。ギョーザは事件性が強そうなので少し話が違うかもしれませんが、これだけ中国に食材を作らせておいて、何か起きると生産者ばかりをたたくのは、いかがなものか。
中島 そこで、生産者と消費者の関係という側面から、改めてフェアトレードの可能性と限界をうかがえれば。
村井 私のかかわっているオルター・トレード・ジャパンの場合、90年ごろからジャワの自然養殖のエビを扱い始めました。十数年間、エビのフェアトレードをやって、一定の範囲で消費者に知られたけれど、限界も明確になってきました。年間総輸入量約25万トンのうちせいぜい約500トンに過ぎない。普通の貿易にNGO(非政府組織)が食い込むのは簡単ではない。しかも、普通のフェアトレードは、民芸品なんかを日本人がたまにボランティア精神を発揮して買う程度。これでは長持ちしないんですよ。究極は、石油のフェアトレードだと思います。世界の大貿易の構造を本気で変えるつもりがないと。
それと、そもそもは先進国の使い過ぎ、食べ過ぎが問題なんです。バレンタインでチョコレートの年間4分の1を消費するから、この日はフェアトレードの有機チョコを食べよう、ではなく、食べる必要はない、という選択肢があるべきでしょう。
◇顔の見える生産・消費を--中島さん
◇地球作り替える面白さも--村井さん
中島 今、国内でも生産者の名前が分かる野菜が人気ですが、そんな顔の見える関係総体の中にフェアトレードも位置づけて、コミュニティー型の生産と消費を考えられそうです。
村井 でも問題も多い。まず値段が普通より2、3割高い。たとえば普通の人が子供2人を大学に入れていたら、このぜいたくはできない。
それと、フェアトレードの食品は有機栽培や有機養殖が多い。ですが、業界内で有機認定をするのはヨーロッパの団体なんです。そこの基準に、動物の場合は共食いをしてはならないとある。これは、非常に人間的な考え方ですよね。エビは共食いをするから、ヨーロッパの発想ではオーガニックではない。このごう慢さ。フェアトレードが、生産側から見ればごう慢な基準に当てはめられるだけのものになっている面もある。
中島 エビで生産者の側から見た問題はほかに?
村井 エビの生産構造はたとえばバナナなどと少し違って、階層が複雑に分かれています。養殖池の池主の下で働く管理人や賃金労働者がいる。ほかに氷業者がいて、冷凍工場があって……。フェアトレードは池主とフェアな関係ができても、それ以外に介入できない。工場や池の労働者にもフェアな貿易をやるなら、現地社会の構造を変えないといけない。
中島 こうした否定的側面もありますが、結論としては、日本の消費者が新自由主義を読み替えるには、フェアトレードの可能性に注目する必要がある。
村井 いろいろ言いましたが、フェアトレードはおもしろいんです。たとえばコーヒーは、大手が市場を独占して価格も決めている。だけど実は、私たちが無手勝流で東ティモールに行って農民と交渉しても、買ってこられる。買い取り価格の上乗せもできるし、生産者に「長期契約したらもっともうかるよ」とか、「コーヒー以外にこんな作物は可能性があるよ」と提案したり。それをやる過程で、生産者と消費者が互いに地球を作り替えてゆく可能性を探れる。このおもしろさがあるんです。<毎月1回掲載します>
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◇対談を聞いて
昨今、グローバル化に対抗して国民国家の役割を強調する人が少なくない。ところが村井さんは、以前からの国民国家批判を手放さない。村井さんは「人と人は国民国家がなくともつながれる」との確信を人類学者、鶴見良行に学んだようだ。この考え方、政治哲学者、アントニオ・ネグリ氏にも近いのが興味深い。【鈴木英生】
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■人物略歴
◇なかじま・たけし
北海道大准教授(アジア研究)。1975年生まれ。最新刊は姜尚中さんとの対談本『日本』(毎日新聞社)。
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■人物略歴
◇むらい・よしのり
上智大教授(社会経済学、インドネシア研究)。1943年生まれ。早稲田大卒。人類学者の鶴見良行らとアジア太平洋資料センターで第三世界の現地調査にかかわる。同センター代表も務めた。『スンダ生活誌』『スラウェシの海辺から』『グローバル化とわたしたち』など。
毎日新聞 2008年3月19日 東京夕刊
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2018年12月18日火曜日
2017年8月24日木曜日
+62への寄稿 私が薦めるインドネシアの本 5冊
ジャカルタで発行されている月刊フリーペーパー「+62」のインドネシア本特集に寄稿しました。以下はオリジナル原稿。未修正の箇所がありますが、備忘録としてアップしておきます。
2017年7月18日(火)
私が薦めるインドネシアの本 5冊
+62 編集長池田さんのツイートに便乗して、自分の好きなインドネシア本を選んでみたら20冊になってしまった。さすがに20冊全部を紹介するのは多すぎるので、ウンウン唸りながら、歴史というテーマで以下5冊に絞ってみました。レアなセレクションだなあと我ながら思いつつ、本の内容については自信があるので、機会があれば+62読者の方々にも是非読んでいただきたいと思います。
まずは私のインドネシア観に決定的な影響を与えてくれた故・村井吉敬さんの著作二冊から。処女作でインドネシア初心者には特に強く薦めたい『スンダ生活誌 変動のインドネシア社会』 (現在は岩波現代文庫から『インドネシア・スンダ世界に暮らす』として復刊)は先月号で西宮奈央さんが紹介されていたので、ややマニアックながら個人的に思い入れのある『赤道下の朝鮮人叛乱』及び『シネアスト許泳の「昭和」』の二冊を合わせて挙げます。
二冊とも村井さんの人生の伴走者だった内海愛子さんとの共著。アジア太平洋戦争中は「日本人」だった朝鮮人たちが日本軍占領期とその後の独立革命戦争下のインドネシアでどのように生き、刑場の露と消え、あるいは戦場で死んでいったのか。日本人インドネシア人そして朝鮮人の多くからも忘れられた抗日反乱、理不尽な「戦犯」裁判、そして「親日派」映画人の一生を、数少ない資料や証言を元に立体的に浮き彫りにしてくれる良書です。
私がインドネシアに片足を突っ込むようになった頃、アジア映画の文献を乱読していた四半世紀前に知って以来、三つの名前を持つ映画監督許泳(ホウ・ヨン)は何故かずっと気になる人物でした。日本朝鮮インドネシア各国で活躍したとは言っても、彼が残した作品は映画史上の傑作とはならず、むしろ凡作の部類です。しかも日本軍政下のジャワでは偽ドキュメンタリー映画を監督、堂々たる「親日派」朝鮮人、今日的価値観からすれば紛れもなく売国奴と非難される怪しい人物と言えるでしょう。しかし、彼にやや同情的な共著者の文章を読み進めるうちに浮かんでくるのは、何が何でも俺は映画を撮る!という日夏英太郎としての図太さであり、敗戦時にそれまでの態度をコロッと翻すホウ・ヨンとしての後ろめたさであり、インドネシア独立後には俺の場所はここしかない!と異国に残留するドクトル・フユンとしての楽天性(日本の妻子を忘れてますが)といった彼のしたたかさと映画にかける一途さです。多分私が彼の人生に心惹かれるのは、時代の制約があっても、平凡な才能しかなくても、人は何事かを成しえるし、何かを後世に残しえることを教えてくれるからでしょう。彼の遺作となった『天と地の間で』は、技術的に稚拙なところがあるものの、混血の主人公の人物造形には彼自身の人生が投影されているように見えて、感慨深く感じられます。
この二冊は実質的には二部作なので、是非合わせて読まれることをお奨めします。惜しむらくは共に絶版で、その後発見された資料や映画の内容を追記しての完全版での復刻が待ち望まれるところです。更に関心のある方は遺児である日夏もえ子さんの『越境の映画監督 日夏英太郎』も読んでみて下さい。
さて、三冊目。日本人のインドネシア専門家の中では専門書から一般書まで幅広く書かれている倉沢愛子さんのインドネシア語著作『Masyarakat dan Perang Asia Timur Raya』を推します。これも上記2冊同様、アジア太平洋戦争関連書ですが、元になっているのは2002年に講談社現代新書として出版された『「大東亜」戦争を知っていますか』です。元々は倉沢さんがご自身の高校生の娘を読者に想定して書かれたこともあって、文章が平易で非常にわかりやすいのが特徴です。そして昨年出版されたばかりのインドネシア語版には、この間に朝日新聞社の倉庫で発見された未発表の写真が多数追加収録されており、貴重な資料でもあります。

内容は多岐にわたり、開戦前の情況に始まり、対日協力者の系譜、軍に振り回された在留邦人たち、経済政策、ロームシャや慰安婦などの戦時動員、宗教勢力への接近と監視、日本へ派遣された南方特別留学生、初等教育の充実、プロパガンダ映画の製作上映等々、マクロとミクロの視点両方からあの時代を振り返ることができる充実した内容です。インドネシアの歴史教科書がやや無味乾燥で、インドネシア各地の出来事のみに限定されているのと比較すると、短い記述ながらもあの時代を生きた人たちの人生がうかがえ、インドネシア以外の東南アジア各国の当時の状況についてもわかる本書は、インドネシア人の学生にも是非薦めたい書籍と言えます。インドネシア語がある程度できる方は、日本語版と照らし合わせながら読めば語学の学習書としても使えるでしょう。
四冊目は少し視点を変えて『インドネシア イスラーム主義のゆくえ』。著者の見市建さんはご存知じゃかるた新聞にも寄稿されている、インドネシアのイスラーム専門家。本書の出版はユドヨノ政権誕生直前の2004年で、当時は2002年のバリ島爆弾テロ事件の記憶も生々しく、「寛容」で「穏健」とされたインドネシアのイスラーム勢力が急速に過激化しているとの印象論が広く流布されました。こうした一面的な見方を著者は「少数派の急進派のみに注目しても政治や社会の動態はわからない」として退け、より広い文脈でインドネシアにおけるイスラーム運動の歴史とイスラーム復興の実態を分析しています。暴力の系譜と思想史と運動史、そして町にあふれるポップなイスラーム的「商品」を関連づけて論じた本は、当時まだ多くはなく、そうした意味でも画期的な本でした。この間、爆弾事件の主犯とされた過激派組織ジャマーア・イスラミヤは弱体化し、貧困層の希望の星でクリーンと見られていた正義党は汚職に手を染める普通の政党になってしまい、何よりISISが中東で台頭するなど状況は激変したので、本書の記述にも多くの手直しが必要かもしれませんが、分析の枠組みそのものは依然有効だと思います。「イスラームないしはムスリムを動態的に把握する必要がある」との著者の主張に深く同意します。
インドネシアで爆弾事件や自爆テロ未遂が報じられるたびにテロの原因を知りたいと感じる日本人は大勢いると思いますが、そうした方にはまず見市さんの一連の著作と論文をじっくり読まれることをお薦めいたします。テロ事件の直接的な原因はわからないにせよ、事件の背景を紐とくには歴史を知るのが一番なのです。急がば回れ。
最後はガラッと趣向を変えて、1931年から1965年まで断続的に雑誌に連載された漫画の復刻版『Komik Strip Pertama Indonesia ; Put On Edisi Pantjawarna』を挙げます。

現在は日本スタイルの漫画がインドネシア市場を席巻してますが、戦前から戦後しばらくはアメリカンスタイルの漫画が日本同様主流でした。四コマ漫画ならぬ6コマ漫画で、柔らかなユーモアがコマとコマの間から漂ってきそうな作風です。作者はインドラマユ生まれの華人Kho Wan Gie。Put On は主人公の名前ですが、漢字にすると「不安」でしょうか。青年というよりは中年で、小太りの中国系の彼が巻き起こす珍騒動が多くのパターンですが、中には時の政権のプロパガンダ的な内容もあったりします。この漫画が面白いのは、台詞にオランダ語や福建語やスラングが多数入り混じり、当時のジャカルタ都市部のファションや風俗がよく描かれている点でしょう。70年代に一世を風靡したシラット漫画では登場人物たちが折り目正しい正調インドネシア語を話していて違和感ありありだったのですが、Put On では登場人物たちが生きている言葉を使っているのが非常に印象的で、ちょっとした言葉の勉強にもなります。

以上、読者諸兄の皆様の読書の一助になれば幸いです。
<更新履歴>
2017.12.28 ラベル追加、タイトル変更
2018.1.7 画像追加
2017年7月18日(火)
私が薦めるインドネシアの本 5冊
+62 編集長池田さんのツイートに便乗して、自分の好きなインドネシア本を選んでみたら20冊になってしまった。さすがに20冊全部を紹介するのは多すぎるので、ウンウン唸りながら、歴史というテーマで以下5冊に絞ってみました。レアなセレクションだなあと我ながら思いつつ、本の内容については自信があるので、機会があれば+62読者の方々にも是非読んでいただきたいと思います。
まずは私のインドネシア観に決定的な影響を与えてくれた故・村井吉敬さんの著作二冊から。処女作でインドネシア初心者には特に強く薦めたい『スンダ生活誌 変動のインドネシア社会』 (現在は岩波現代文庫から『インドネシア・スンダ世界に暮らす』として復刊)は先月号で西宮奈央さんが紹介されていたので、ややマニアックながら個人的に思い入れのある『赤道下の朝鮮人叛乱』及び『シネアスト許泳の「昭和」』の二冊を合わせて挙げます。
二冊とも村井さんの人生の伴走者だった内海愛子さんとの共著。アジア太平洋戦争中は「日本人」だった朝鮮人たちが日本軍占領期とその後の独立革命戦争下のインドネシアでどのように生き、刑場の露と消え、あるいは戦場で死んでいったのか。日本人インドネシア人そして朝鮮人の多くからも忘れられた抗日反乱、理不尽な「戦犯」裁判、そして「親日派」映画人の一生を、数少ない資料や証言を元に立体的に浮き彫りにしてくれる良書です。
私がインドネシアに片足を突っ込むようになった頃、アジア映画の文献を乱読していた四半世紀前に知って以来、三つの名前を持つ映画監督許泳(ホウ・ヨン)は何故かずっと気になる人物でした。日本朝鮮インドネシア各国で活躍したとは言っても、彼が残した作品は映画史上の傑作とはならず、むしろ凡作の部類です。しかも日本軍政下のジャワでは偽ドキュメンタリー映画を監督、堂々たる「親日派」朝鮮人、今日的価値観からすれば紛れもなく売国奴と非難される怪しい人物と言えるでしょう。しかし、彼にやや同情的な共著者の文章を読み進めるうちに浮かんでくるのは、何が何でも俺は映画を撮る!という日夏英太郎としての図太さであり、敗戦時にそれまでの態度をコロッと翻すホウ・ヨンとしての後ろめたさであり、インドネシア独立後には俺の場所はここしかない!と異国に残留するドクトル・フユンとしての楽天性(日本の妻子を忘れてますが)といった彼のしたたかさと映画にかける一途さです。多分私が彼の人生に心惹かれるのは、時代の制約があっても、平凡な才能しかなくても、人は何事かを成しえるし、何かを後世に残しえることを教えてくれるからでしょう。彼の遺作となった『天と地の間で』は、技術的に稚拙なところがあるものの、混血の主人公の人物造形には彼自身の人生が投影されているように見えて、感慨深く感じられます。
この二冊は実質的には二部作なので、是非合わせて読まれることをお奨めします。惜しむらくは共に絶版で、その後発見された資料や映画の内容を追記しての完全版での復刻が待ち望まれるところです。更に関心のある方は遺児である日夏もえ子さんの『越境の映画監督 日夏英太郎』も読んでみて下さい。
さて、三冊目。日本人のインドネシア専門家の中では専門書から一般書まで幅広く書かれている倉沢愛子さんのインドネシア語著作『Masyarakat dan Perang Asia Timur Raya』を推します。これも上記2冊同様、アジア太平洋戦争関連書ですが、元になっているのは2002年に講談社現代新書として出版された『「大東亜」戦争を知っていますか』です。元々は倉沢さんがご自身の高校生の娘を読者に想定して書かれたこともあって、文章が平易で非常にわかりやすいのが特徴です。そして昨年出版されたばかりのインドネシア語版には、この間に朝日新聞社の倉庫で発見された未発表の写真が多数追加収録されており、貴重な資料でもあります。

内容は多岐にわたり、開戦前の情況に始まり、対日協力者の系譜、軍に振り回された在留邦人たち、経済政策、ロームシャや慰安婦などの戦時動員、宗教勢力への接近と監視、日本へ派遣された南方特別留学生、初等教育の充実、プロパガンダ映画の製作上映等々、マクロとミクロの視点両方からあの時代を振り返ることができる充実した内容です。インドネシアの歴史教科書がやや無味乾燥で、インドネシア各地の出来事のみに限定されているのと比較すると、短い記述ながらもあの時代を生きた人たちの人生がうかがえ、インドネシア以外の東南アジア各国の当時の状況についてもわかる本書は、インドネシア人の学生にも是非薦めたい書籍と言えます。インドネシア語がある程度できる方は、日本語版と照らし合わせながら読めば語学の学習書としても使えるでしょう。
四冊目は少し視点を変えて『インドネシア イスラーム主義のゆくえ』。著者の見市建さんはご存知じゃかるた新聞にも寄稿されている、インドネシアのイスラーム専門家。本書の出版はユドヨノ政権誕生直前の2004年で、当時は2002年のバリ島爆弾テロ事件の記憶も生々しく、「寛容」で「穏健」とされたインドネシアのイスラーム勢力が急速に過激化しているとの印象論が広く流布されました。こうした一面的な見方を著者は「少数派の急進派のみに注目しても政治や社会の動態はわからない」として退け、より広い文脈でインドネシアにおけるイスラーム運動の歴史とイスラーム復興の実態を分析しています。暴力の系譜と思想史と運動史、そして町にあふれるポップなイスラーム的「商品」を関連づけて論じた本は、当時まだ多くはなく、そうした意味でも画期的な本でした。この間、爆弾事件の主犯とされた過激派組織ジャマーア・イスラミヤは弱体化し、貧困層の希望の星でクリーンと見られていた正義党は汚職に手を染める普通の政党になってしまい、何よりISISが中東で台頭するなど状況は激変したので、本書の記述にも多くの手直しが必要かもしれませんが、分析の枠組みそのものは依然有効だと思います。「イスラームないしはムスリムを動態的に把握する必要がある」との著者の主張に深く同意します。
インドネシアで爆弾事件や自爆テロ未遂が報じられるたびにテロの原因を知りたいと感じる日本人は大勢いると思いますが、そうした方にはまず見市さんの一連の著作と論文をじっくり読まれることをお薦めいたします。テロ事件の直接的な原因はわからないにせよ、事件の背景を紐とくには歴史を知るのが一番なのです。急がば回れ。
最後はガラッと趣向を変えて、1931年から1965年まで断続的に雑誌に連載された漫画の復刻版『Komik Strip Pertama Indonesia ; Put On Edisi Pantjawarna』を挙げます。


以上、読者諸兄の皆様の読書の一助になれば幸いです。
<更新履歴>
2017.12.28 ラベル追加、タイトル変更
2018.1.7 画像追加
2017年1月24日火曜日
私的インドネシア本 二十選
敬愛するIさんが編集長を務める月刊フリーペーパー「+62」 の企画に便乗して自分の好きなインドネシア本を選んでみた。基準は以下。
- 自分の人生に影響を与えた本
- 繰り返し読みたくなる本
- 読むたびに発見がある本
では、思いつくままに。順不同。
- スンダ生活誌 変動のインドネシア社会 村井吉敬 NHKブック (現在は岩波現代文庫)
- 赤道下の朝鮮人叛乱 村井吉敬 内海愛子 勁草書房
- シネアスト許詠の「昭和」 村井吉敬 内海愛子 凱風社
- ジャワの音風景 風間純子 めこん
- カルティ二の風景 土屋健治 めこん
- 牢獄から牢獄へ1,2 タン・マラカ自伝 押川典昭訳 鹿砦社
- インドネシア 多民族国家の模索 小川忠 岩波新書
- インドネシア イスラーム主義のゆくえ 見市建 平凡社
- 「南進」の系譜 矢野暢 中公新書
- 写真で綴る蘭印生活半世紀 戦前期インドネシアの日本人社会 ジャガタラ友の会編
- ヤシガラ椀の外へ ベネディクト・アンダーソン 加藤剛 NTT出版
- 東ティモール独立史 松野明久 早稲田大学出版部
- 戦後日本=インドネシア関係史 倉沢愛子 草思社
- Masyarakat dan Perang Asia Timur Raya 倉沢愛子 Komunitas Bambu
- 華人のインドネシア現代史 はるかな国民統合への道 貞好康志 木犀社
- 美は傷 エカ・クルニアワン 太田りべか訳 新風舎文庫
- 残留日本兵 アジアに生きた一万人の戦後 林英一 中公新書
- 概説インドネシア経済史 宮本謙介 有斐閣選書
- Put On ; Edisi Pantjawarna, Kho Wan Gie, Suara Harapan Bangsa
- 日本占領下・インドネシア旅芸人の記録 猪俣良樹 めこん
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