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2018年12月18日火曜日

中島岳志さんと村井吉敬さんの対談 2008年3月24日のMIXI日記転載

10年前のMIXI日記を転載。加筆修正はなし。
村井さんの駄洒落が懐かしい今日この頃。


恒例のアジア対談、今月はMさんの登場です。「究極は、石油のフェアトレードだと思います」とか「フェアトレードが、生産側から見ればごう慢な基準に当てはめられるだけのものになっている面もある」などの発言こそMさんの真骨頂。でも、(一部)関係者には有名な「ギャグ」発言がないのが少々残念でもあります。あるいは毎日新聞社に「ギャグ」の部分は削られてしまったのかも?

<引用ここから>

中島岳志的アジア対談:エビとフェアトレード--村井吉敬さん
 今回のゲスト、村井吉敬さんは、ロングセラーの『エビと日本人』(岩波新書)で、日本と第三世界の貿易に潜む問題を指摘した、この分野の第一人者。昨年末、20年ぶりの続編『エビと日本人2』(同)を出した。大貿易に対抗して、第三世界の生産者と適正価格で長期契約を結び、公平な貿易をするフェアトレードの推進者でもある。【構成・鈴木英生、写真・米田堅持】

 ◇開発独裁後の方向は--中島さん

 ◇地域経済の連合を--村井さん

 中島 村井さんは、先進国と第三世界、多国籍企業と生産者の非対称な関係を問題にされてきました。まずこの20年間の変化をうかがいます。

 村井 昔、私が強調したのは、日本の消費者がエビを食べるほど「南」の生産者が追い詰められる構図でした。今、インドや中国、東南アジアが経済成長をして、現地でもエビをたくさん食べています。「貧しいアジア」で、ひとくくりにできなくなってきた。アジアの成長を非難する権利は誰にもありませんが、世界人口の約半分はアジアであり、その食は地球環境全体にものすごい影響がある。

 中島 インドは、約11億人のうち中流層以上が約2~3割。これまでエビと関係がなかった北インドの中間層も、今やエビ料理を食べている。

 村井 インドでは以前、政府がエビの養殖池の造成を禁止しましたが、それを撤回したようです。零細漁民の保護政策がグローバリズムによって維持できなくなった。

 中島 インドは98年に右派のインド人民党(BJP)が政権を担ってから、ネオリベラリズム化が進みました。公共事業の民営化を進め、規制緩和をしてグローバル企業を入れた。その後、この党が下野しても、経済政策は継続している。

 村井 インドネシアのスハルト政権は、まさにそのグローバル経済の合理性を十分に取り入れなかったから崩壊した。民衆の革命ではなくグローバル化の圧力で、身びいきな資本主義しか作れなかった政権が崩壊した。インドの場合は日本と似て、グローバル化と右傾化がセットだった。クーデター以後のタイも混迷しています。アジア全体が次のステップを模索しているのではないでしょうか。

 中島 インドネシア的な開発独裁もインドのような疑似的社会主義も、日本と似て、利権政治家やムラ社会のネットワークが、透明性のない分配を担保してきた。これが崩壊した。開発独裁もまずいが、それを壊したネオリベラリズムもまずい。それらをどう乗り越えるのかが課題でしょう。

 村井 これまで、この地域では国民国家の存在感が大きすぎた。特にインドや中国は、国民国家を作ったナショナリストの戦いが、神話的地位にあった。今、その国民国家を乗り越えるという課題が残ったまま、ネオリベラリズム下の経済をどうすべきかという問いがある。

 この数百年、戦争で人を殺してきたのは、やはり国民国家です。その国民国家をどう乗り越えるか。個人的には、地域の自立で国民国家の横暴を乗り越える方向で進んでほしい。グローバル経済ではなく地域の自立経済ができて、その連合で世界が再編されたらいい。

 もちろん、現実は簡単ではない。たとえば、果たしてフェアトレードはネオリベラルの波に打ち勝つ力を持っているのか、よく分かりません。

 中島 関連で中国の冷凍ギョーザについて。「エビと日本人」ならぬ「ギョーザと日本人」の関係は?

 村井 すぐ、中国をたたいたり、中国製が危険ならベトナム製がある、とかの話になりますが、それは違いますね。問題は、6割もの食料を外国に委ね、大製造業に経済成長を全部任せた日本の経済です。大企業の立場では、製品をもっと輸出する代わりに、食料は何でも輸入すればいいとなりがち。でも、それで成り立つ国家が「日本人の幸せ」を生み出すとは思えない。

 中島 冷凍ギョーザや食品偽装の背景には、消費者の問題もあります。ミートホープの社長は「消費者が安いものを求めすぎる」というふうに言った。安いものを作れという圧力があって、偽装したと。こうして、生産者と消費者の距離が広がっていく。この点を無視して、彼をバッシングして、逮捕されたらおしまい。それでいいのか。

 村井 おっしゃるとおりです。ギョーザは事件性が強そうなので少し話が違うかもしれませんが、これだけ中国に食材を作らせておいて、何か起きると生産者ばかりをたたくのは、いかがなものか。

 中島 そこで、生産者と消費者の関係という側面から、改めてフェアトレードの可能性と限界をうかがえれば。

 村井 私のかかわっているオルター・トレード・ジャパンの場合、90年ごろからジャワの自然養殖のエビを扱い始めました。十数年間、エビのフェアトレードをやって、一定の範囲で消費者に知られたけれど、限界も明確になってきました。年間総輸入量約25万トンのうちせいぜい約500トンに過ぎない。普通の貿易にNGO(非政府組織)が食い込むのは簡単ではない。しかも、普通のフェアトレードは、民芸品なんかを日本人がたまにボランティア精神を発揮して買う程度。これでは長持ちしないんですよ。究極は、石油のフェアトレードだと思います。世界の大貿易の構造を本気で変えるつもりがないと。

 それと、そもそもは先進国の使い過ぎ、食べ過ぎが問題なんです。バレンタインでチョコレートの年間4分の1を消費するから、この日はフェアトレードの有機チョコを食べよう、ではなく、食べる必要はない、という選択肢があるべきでしょう。

 ◇顔の見える生産・消費を--中島さん

 ◇地球作り替える面白さも--村井さん

 中島 今、国内でも生産者の名前が分かる野菜が人気ですが、そんな顔の見える関係総体の中にフェアトレードも位置づけて、コミュニティー型の生産と消費を考えられそうです。

 村井 でも問題も多い。まず値段が普通より2、3割高い。たとえば普通の人が子供2人を大学に入れていたら、このぜいたくはできない。

 それと、フェアトレードの食品は有機栽培や有機養殖が多い。ですが、業界内で有機認定をするのはヨーロッパの団体なんです。そこの基準に、動物の場合は共食いをしてはならないとある。これは、非常に人間的な考え方ですよね。エビは共食いをするから、ヨーロッパの発想ではオーガニックではない。このごう慢さ。フェアトレードが、生産側から見ればごう慢な基準に当てはめられるだけのものになっている面もある。

 中島 エビで生産者の側から見た問題はほかに?

 村井 エビの生産構造はたとえばバナナなどと少し違って、階層が複雑に分かれています。養殖池の池主の下で働く管理人や賃金労働者がいる。ほかに氷業者がいて、冷凍工場があって……。フェアトレードは池主とフェアな関係ができても、それ以外に介入できない。工場や池の労働者にもフェアな貿易をやるなら、現地社会の構造を変えないといけない。

 中島 こうした否定的側面もありますが、結論としては、日本の消費者が新自由主義を読み替えるには、フェアトレードの可能性に注目する必要がある。

 村井 いろいろ言いましたが、フェアトレードはおもしろいんです。たとえばコーヒーは、大手が市場を独占して価格も決めている。だけど実は、私たちが無手勝流で東ティモールに行って農民と交渉しても、買ってこられる。買い取り価格の上乗せもできるし、生産者に「長期契約したらもっともうかるよ」とか、「コーヒー以外にこんな作物は可能性があるよ」と提案したり。それをやる過程で、生産者と消費者が互いに地球を作り替えてゆく可能性を探れる。このおもしろさがあるんです。<毎月1回掲載します>

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 ◇対談を聞いて

 昨今、グローバル化に対抗して国民国家の役割を強調する人が少なくない。ところが村井さんは、以前からの国民国家批判を手放さない。村井さんは「人と人は国民国家がなくともつながれる」との確信を人類学者、鶴見良行に学んだようだ。この考え方、政治哲学者、アントニオ・ネグリ氏にも近いのが興味深い。【鈴木英生】

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 ■人物略歴

 ◇なかじま・たけし

 北海道大准教授(アジア研究)。1975年生まれ。最新刊は姜尚中さんとの対談本『日本』(毎日新聞社)。

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 ■人物略歴

 ◇むらい・よしのり

 上智大教授(社会経済学、インドネシア研究)。1943年生まれ。早稲田大卒。人類学者の鶴見良行らとアジア太平洋資料センターで第三世界の現地調査にかかわる。同センター代表も務めた。『スンダ生活誌』『スラウェシの海辺から』『グローバル化とわたしたち』など。

毎日新聞 2008年3月19日 東京夕刊

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