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2018年12月19日水曜日

映画評 Ayat-Ayat Cinta (愛の章句) 2008年3月9日のMIXI日記転載  

10年前のMIXI日記を転載。イスラーム(風味の)恋愛映画については、既に小池誠さんや山本博之さんが論じられている。日本や欧米の恋愛ものとは一味、いやだいぶ違うタッチを面白いと思えるかどうかが評価を左右すると思う。画像と主題歌は今回追加しました。







いまインドネシアで大ヒット中の映画『AYAT-AYAT CINTA』(愛の章)をかみさんと今日見てきました。いやはや、まず席を取るのが大変でした。実は昨晩、つまり土曜日の夜にシネコンヘ行ったら2スクリーンで満席だったので、今日はその雪辱戦。それでも、今日も2回目の上映はダメで夕方からの回となったのでした。ちなみにチケットは1人25000ルピア(約300円)こんなに凄いヒットは6年前の『ADA APA DENGAN CINTA?』(邦題「ビューティフル・デイズ」)以来ではないでしょうか。何しろメダンだけで半分近くのスクリーンをこの映画が占めています。クリスチャンと華人が多いメダンでこれだけ受けるというのも実に興味深いことで、見る前から期待が高まりました。

ストーリーはシネトロン(TVドラマ)でよくある男1人女2人の三角関係、あるいは「一夫多妻もの」なのですが、舞台をエジプトに設定したことがまちがいなく大ヒットの要因の一つでしょう。主人公ファリはイスラム世界の最高学府アルアズハル大学で学ぶインドネシア人留学生、ファリの下宿の隣人女性マリアはコプト教徒、ドイツ国籍を持ちファリとお見合い結婚するアイシャはベールで顔を隠す敬虔なムスリマという設定。なるほど、イスラム系日刊紙レパブリカに連載されていただけあって、その筋には受けそうなお話です。

とりたてて優れた演出があったわけではなく、大体ファリはそれほどハンサムでもなく(ニコラス・サプトラの方が10倍カッコイイ!)、しかも登場人物みんながインドネシア語を理解するのはヘンじゃないのなどとしょーもない突っ込みを入れたくなってしまう程度の出来でしたが、かと言って「金返せ!」と言いたくなるレベルでもありませんでした。まあ、この手の話ではお定まりのシーン、つまり「夫1人妻2人の夜の生活」のシークエンスには場内失笑してましたが。あと、この手の話って、どうしていつもこういうラストなんでしょうか?夫1人妻2人で仲良く暮らしました、めでたしめでたし、となると女性層の共感を得られないからかなあ?80年代香港喜劇映画の傑作『大丈夫日記』(主演はチョウ・ユンファ)のように、みんながムスリムになってめでたしめでたしでも良いと思うんだけれど、メロドラマの法則がそれを許さないようです。

津波で消えたかみさんの甥Aはアズハルの学生だったので、できることなら彼の感想を聞いてみたいものです。また、アズハル大学に100人以上在学しているアチェ人留学生たちはこうした映画に共感するのかしないのか。あるいは、エジプトのコプト教徒はこの映画をどう見るのか。あからさまではないにせよ、アラブに対するインドネシアのイスラームの優位とインドネシアナショナリズムが通奏低音となっているこの映画が、外国人や他宗教の信者にどう受容されるのか、調べてみたら面白いのではないかと思います。

ただし映画のレベルとしてはそれほど高くないので、日本で上映される可能性は低いでしょう。カップルで見るにはまあ悪くない映画なので、マイミクの皆さんには暇でしたら一見をお勧めいたします。

2018年7月29日日曜日

「インドネシア・インディーズ音楽の夜明けと成熟」執筆者 金悠進さんへのインタビュー

某メルマガに前後二回に分けて掲載予定。

私がインドネシアについて知っている二、三の事柄
9回 『東南アジアのポピュラーカルチャー アイデンティティ・国家・グローバル化』の深みにハマる  ~ 執筆者の一人キム・ユジンさんインタビュー

前回はリッポー(力宝)グループ会長モフタル・リアディが日本経済新聞に一ヶ月連載した『私の履歴書』に私なりの注釈を加えてみました。新聞連載中に日本でおこなわれた講演会に出席したモフタル氏は89歳の高齢ながら矍鑠(かくしゃく)たるご様子で、同行された奥様やご家族と銀座での買い物を楽しまれたとのこと。1950年代後半、モフタル氏の一度目の破産の危機を自ら子供服を縫って助けた奥様は、今でもいざとなれば自分でアパレルブランドを立ち上げて夫を支えられるほどの気力をお持ちらしく、これこそ内助の功。進行中の巨大プロジェクト・メイカルタ開発の進展具合を含め、私にとってリッポーグループへの関心は尽きません。読者の中でモフタル氏の『私の履歴書』及びインドネシア語(又は英語)自伝を未読の方は是非一度手に取ってみていただければと思います。

さて、今回は今年の3月に出版されたばかりの大部の論文集『東南アジアのポピュラーカルチャー アイデンティティ・国家・グローバル化』を紹介したいと思います。全478頁、執筆者17人、全13章プラスコラム20本に現地レポート1本、定価4,000円(税抜き)と盛り沢山な内容で、この手の大著を読みなれてない方にはややハードルが高いと感じられるかもしれません。しかし、扱っているジャンルは映画・テレビ・コスプレ・ファッション・ラジオ・舞踊・ポピュラー音楽・インディーズ音楽・歌謡曲と多種多様、対象国もインドネシアは勿論のこと、他の東南アジアの事情についても詳細に分かりやすく記述されており、読者は自分の関心に合わせてどの章どのコラムからでも読める構成になっています。本書の目次を以下に挙げておきます。

478頁の重量級。厚くてアツい『東南アジアのポピュラーカルチャー』


はじめに(福岡まどか)
 序章:東南アジアのポピュラーカルチャー 〜アイデンティティ・国家・グローバル化〜(福岡まどか)
■第1部 せめぎあう価値観の中で
 第1章:タイ映画・テレビドラマ・CM・MVにみる報恩の規範 〜美徳か抑圧か、「親孝行」という名のもとに〜(平松秀樹)
 第2章:シンガポールにおける政府対映画製作者間の「現実主義的相互依存/対立関係」(盛田茂)
 第3章:農村のポピュラー文化 〜グローバル化と伝統文化保存・復興運動のはざま〜(馬場雄司)
 第4章:国民映画から遠く離れて 〜越僑監督ヴィクター・ヴーのフィルムにおけるベトナム映画の脱却と継承〜(坂川直也)
 〔コラム1〕コスプレとイスラームの結びつき(ウィンダ・スチ・プラティウィ)
 〔コラム2〕テレビと悪行(井上さゆり)
 〔コラム3〕インドネシア映画にみられる「未開な地方」の商品化(小池誠)
 〔コラム4〕タイ映画にみるお化けの描き方(津村文彦)
 〔コラム5〕ポップカルチャーとしてのイレズミ(津村文彦)
 〔コラム6〕イスラーム・ファッション・デザイナー(福岡正太)
 〔コラム7〕タイ映画にみられる日本のイメージ(平松秀樹)
■第2部 メディアに描かれる自画像
 第5章:フィリピン・インディペンデント映画の黄金時代 〜映画を通した自画像の再構築〜(鈴木勉)
 第6章:インドネシア映画に描かれた宗教と結婚をめぐる葛藤(小池誠)
 第7章:フィリピンのゲイ・コメディ映画に投影された家族のかたち 〜ウェン・デラマス監督の『美女と親友』を中心に〜(山本博之)
 第8章:スンダ音楽の「モダン」の始まり 〜ラジオと伝統音楽〜(福岡正太)
 〔コラム8〕愛国歌と西洋音楽 〜インドネシアの国民的作曲家イスマイル・マルズキ〜(福岡まどか)
 〔コラム9〕ミャンマーの国立芸術学校と国立芸術文化大学(井上さゆり)
 〔コラム10〕さまざまな制約と検閲がつくる物語の余白(山本博之)
 〔コラム11〕インドネシア映画におけるジェンダー表現と検閲システム(福岡まどか)
 〔コラム12〕映画を通して広まった音楽 〜マレーシア音楽・映画の父P・ラムリー〜(福岡まどか)
 〔コラム13〕シンガポールにおける「ナショナル」なインド舞踊の発展(竹村嘉晃)
■第3部 近代化・グローバル化社会における文化実践
 第9章:メディアから生まれるポピュラー音楽 〜ミャンマーの流行歌謡とレコード産業〜(井上さゆり)
 第10章:インドネシア・インディーズ音楽の夜明けと成熟(金悠進)
 第11章:人形は航空券を買うことができるか? 〜タイのルークテープ人形にみるブームの生成と収束〜(津村文彦)
 第12章:越境するモーラム歌謡の現状 〜魅せる、聴かせる、繋がる〜(平田晶子)
 第13章:「ラヤール・タンチャップ」の現在 〜変容するインドネシア野外映画上映の「場」〜(竹下愛)
 〔コラム14〕東南アジア映画で増す、韓国CJグループの影響(坂川直也)
 〔コラム15〕ステージからモスクへ?(金悠進)
 〔コラム16〕アセアンのラーマヤナ・フェスティバル(平松秀樹)
 〔コラム17〕変化する各地のカプ・ルー(馬場雄司)
 〔コラム18〕スマホは複数持ち(井上さゆり)
 〔コラム19〕IT化が進む農村社会(馬場雄司)
 〔コラム20〕「ラテ風味」のイワン・ファルス 〜インドネシアのカリスマプロテストソングシンガーの現在〜(竹下愛)
 〔現地レポート〕東南アジアのトコ・カセット(カセット店toko.kaset)訪問記(丸橋基)
あとがき(福岡正太)

本書の特徴はめまぐるしく変容しつつある東南アジアという地域とそこに住む人々の今を、ポピュラーカルチャーを通じて事細かに描写することに成功していることだと思います。総論よりも各論重視の結果、ポピュラーカルチャー全体を把握することはこの大著を読破しても容易ではないのですが、しかしそれこそがこの分野の研究がまさに現在進行中であり、文字通りアツいことに他なりません。
近年は農村部でもIT化が進み、伝統的価値観とそれを反映していた伝統芸能や芸術も否応なく変容しつつあり、かつてのハイ・カルチャーとサブ・カルチャーという二項対立的図式そのものが揺らいでいる中では、ポピュラーカルチャーをジャンルとして定義するのは難しい、と編著者の福岡まどか氏は述べています。またネット時代以降、同時代文化の生産・流通・消費を一人で研究分析することはその広がりと拡散速度から容易ではなく、複数の研究者が共同執筆する本書のスタイルは本が厚くなりすぎるきらいはあるものの、それだけの深みと面白さが感じられる内容です。福岡まどか氏は序章を次のように結んでいます。

東南アジアの人々に対して多くの人々が抱くイメージは、自然と共存し伝統文化を守り深い信仰心に支えられた生活をする人々というものが一般的かもしれない。だがその一方で東南アジアの人々はまた、メディアを駆使し、物質文化を謳歌し、論争に参加し、多様な面で創造性を発揮していく人々でもある。文化のもつ力がどのように、人々に、社会に、そして世界に影響を及ぼしていくのかという問題に、現代東南アジアのポピュラーカルチャーをめぐる研究はひとつの鮮烈なイメージをもたらしてくれるのではないだろうか。(同書50頁)

この論文集に先行すること23年前、『インドネシアのポピュラーカルチャー』という名著がめこん社から出版されており、その帯は「インドネシアおたく大集合」というものでしたが、本書には「東南アジアおたく大集合!」との帯をつけたくなる衝動に私はかられたことをここに告白しておきます。



今読んでも十分面白い内容でおススメの『インドネシアのポピュラーカルチャー』

 
閑話休題。『東南アジアのポピュラーカルチャー』執筆者の一人、金悠進(キム・ユジン)さんは数年前からの知り合いだったので、本書読了後にインタビューを申し込んだところ、快諾していただきました。 分量が多くなってしまったため、前半後半に分けて以下掲載したいと思います。

- 本書のご出版、誠におめでとうございます。 まずはじめに、ユジンさんの簡単なプロフィールを教えていただけますか

1990年大阪生まれの27歳。同志社大学法学部政治学科卒。現在、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程在籍中です。20177月から2018年末ごろまでバンドゥンに滞在予定です。

 - この論文集へ寄稿することになった経緯は? また執筆者の専門は分野も地域もバラバラで、それが本書の魅力の一つだと思いますが、内容のチェックや確認作業は大変だったのでは?
 本論文集は研究会の成果出版ですが、その研究会のメンバーである坂川さんのご紹介のもと、聴取者として定期的に参加させていただいたのがきっかけです。本書の編著である福岡まどか先生、福岡正太先生のご厚意に預かり、また大変幸運なことに、自分の関心が本書の目的から大きく外れるものではありませんでしたので、執筆させていただくことになりました。ただ、海外人名表記の統一や現地語のカタカナ化は大変でした。私の苦労は微々たるもんですが、出版社の方からの微細な部分に至るご指摘に頭が下がりました。

 - ユジンさんの専門であるインドネシアのポピュラー音楽についていくつか質問させてください。インドネシアのポピュラー音楽の特徴を一言で表すとしたら何でしょうか?また日本のポピュラー音楽との共通点あるいは相違点は何でしょうか?

 特徴は「ある」とも「ない」とも言えます。
 日本との違いは、音楽シーンの新しい動きが歴史的に地方から生まれてきたことでしょうか。日本のように東京一極集中的では必ずしもありません。初の娯楽雑誌「ディスコリナDiskorina」はジョグジャカルタで創刊されました。初のロック雑誌「アクトゥイルAktuil」、初のインディペンデント・ジャズレーベル「ヒダヤットHidayat」はバンドンで創刊・設立されました。毎年恒例の巨大ロックフェスティバルはスラバヤとマランを中心に初めて開催されました。初のインターネット専門レーベル「YES NO WAVE」はジョグジャで創設されました。
 また、日本的「上京」文化は、インドネシアでもかつてありましたが、最近は首都ジャカルタに移住せず地元や地方都市を拠点に活動する音楽関係者が多い気がします。
 あと、特徴が「ない」というのは、私の元々の専門が音楽学ではないため、それをうまく表現できないところがあるためです。特徴は一応あるにはあります。ただ、「インドネシア独自の音楽」といった表現は少なくとも私は避けています。

 - インドネシアはご存知のとおり多宗教多民族国家であり、同時に多種多様な地方文化が、また日本とは比較にならないほどの所得格差が存在する文字通りの大国です。この大国をまとめる国是「多様性の中の統一」は、ポピュラー音楽のシーンにおいてどのように実践されてきたと考えますか?

 私は、よく巷で言われる「インドネシアは内外のあらゆる文化を受け入れる寛容な文化的土壌がある」というステレオタイプな見方にちょっと否定的です。60年代前半にスカルノ大統領がロックンロールの演奏を規制したり、70年代の洋楽かぶれエリートが大衆歌謡「ダンドゥット」を侮蔑したように、異文化を受け入れない側面もあったのは事実です。あるいは、「多様性の中の統一」という国是に異議を唱える音楽実践も多々あります。
 とはいえ、ジャズミュージシャンがスンダやジャワやバリなどの伝統楽器を取り入れる、スカ系バンドがダンドゥットを取り入れるなどといった事例は決して珍しいものでも新しいものでもありません。「多様性の中の統一」という建前が実態を伴う現象は確かにあるでしょう。

 - なるほど。多様性に絡めて質問を続けると、インドネシアでは階級あるいは階層によって好む音楽ジャンルが異なるというのがかつての定説でした。例えば、ダンドゥットは大衆のための音楽(インドネシアの演歌などと形容されたこともありました)、ロックは都市エリートのための音楽というように。ただ、近年はこうした単純な区分けが有効でなくなっていると思います。

 おおむねその通りでしょう。ただ、この区分けを考える際には、①支持層、②演奏者、③評論家の3つの側面を区別して論じる必要があります
 例えば支持層。中間層がダンドゥットコンサートで楽しく踊る様子はよく見ますし、別に新しいことではないです。逆に、低所得層がロックのリスナーであり、何百kmかけて路上ライブしながら小銭かき集めてメタルライブに死に物狂いで参加することもあります。
 しかし、演奏者を見た場合、ダンドゥットが庶民出身からスターダムへのし上がる夢を与えるのに対し、ロックミュージシャンの場合、私の調べた経歴調査の限りでは比較的豊かな家庭環境でなければスーパースターになりにくい、敗者復活が成り立ちにくいです。インドネシアに「矢沢」はいません。日本のポピュラー音楽との違いの一つでしょう。
 また、音楽評論家の中でも、特に「ロック派」の中ではいまだにダンドゥットに対して距離を置く者がいます。昔のようにダンドゥットを侮蔑することはありえませんが、「ダンドゥットは嫌い」と公言するロックジジイもいますし、「(ダントゥットの王様)ロマ・イラマだけはええけどなあ。他はあんまり。」という人もいます。音楽的嗜好は嘘をつけません。それはインドネシア人の評論家が執筆したエッセイ集や「ベスト・ソング/アルバムトップ〇〇」と銘打ったものを見れば明らかです。

 - 大きな傾向として、東南アジアのポピュラーカルチャーが以前のような「伝統」と「近代」の二項対立から最近は脱却しつつある印象を論文集全体から受けました。インドネシアの地域専門家であるユジンさんは、ポピュラーカルチャーを分析研究する際にそうした二項対立的な観点を重視されますか?

 これも重視するとも言えますし、重視しないとも言えます。そろそろメルマガ読者の方にさすがに「白黒ハッキリせんかい」と怒られそうですが(笑)。
 まず大前提として、私自身はそうした価値判断を一切せず、全て現地の方々の価値観に委ねています。例えば、「伝統」と「近代」の対立が有効であった時代というのは確かにありました。少なくとも70年代までは強くあったでしょう。
 一つ象徴的な事例を挙げます。美術界におけるバンドゥン派対ジョグジャ派の論争です。西洋近代至上主義者のバンドゥン派の美術家に対してジョグジャ派は「西洋の奴隷」と批判し、バンドゥン派はジョグジャ派に対して「伝統的」というレッテル貼りを行い、民族性を否定しました。このような対立軸は現在有効ではなくとも、一般社会の中でバンドゥンの人々が「バンドゥンはモダンでありジョグジャは伝統的だ」という語りは今でも見聞きします。対立軸は鮮明ではなくとも、見え隠れしており、完全に無視はできないです。

  - ユジンさんは以前の論文で、政治のアウトサイダーである建築家リドワン・カミルが「創造経済」や「創造性」を有権者にアピールする新しいタイプの首長としてバンドゥン市民から支持される文化的土壌を論じてました。先日リドワン・カミルは西ジャワ州知事選挙で勝利しましたが、論文を発表された昨年の時点でこの結果を予想されてましたか?
参考 ; 東南アジア研究551号掲載の論文
https://kyoto-seas.org/wp-content/uploads/2017/07/550103_Kim.pdf
 「創造都市」の創造 ―― バンドンにおける若者の文化実践とアウトサイダーの台頭――[Invention of “Creative City”: Youth Cultural Practices and the Rise of an Outsider in Bandung]

 正直、どうでもよかったです(笑)。リドワンが勝とうが負けようが。ただ、1年前の世論調査ですでにリドワンの支持率はダントツだったので、勝つだろうとは何となく思っていました。しかし、ジャカルタ前州知事アホックが宗教侮辱罪で告発され選挙で敗北、裁判でも有罪になった事件があったので、選挙はどうなるかわからんなあとも思いました。とはいえ、あの投稿論文を書いたあと、自分の興味関心に正直に向き合った結果、面白くない選挙分析からは一切手を
引きましたので、今回の西ジャワ州知事選は全くフォローしていません(笑)。

 - えっ、それは予想外の展開(笑)。私としてはカン・エミル(リドワンの愛称)が支持層の多いバンドゥン以外でどれだけ人気があるのか、やや懐疑的でしたが、地域ごとの候補別得票率を比較してみると、やはり濃淡はあるようです。彼が「創造経済」を政策の軸として、保守的な農村部と日系自動車関連企業をはじめとする工業地帯が混在する西ジャワ州行政をどう切り盛りしていくか、注視したいと思います。
前述の論文に関連して質問を続けます。バンドゥンがインドネシアにおいてもっとも創造性の高い都市であること、或いは創造経済を盛り上げる文化的土壌があることに異論はないのですが、一方でバンドゥンは80年代以降勃興したダッワ・カンプス(大学におけるイスラーム宣教復興運動)の中心地でもあり、西ジャワ州全体で言えば、イスラーム主義団体や政党が政治的にも無視できない勢力を誇ります。先日の州知事選挙結果も、見方によっては現在のジョコウィ政権に満足していない層が多数を占めたとの解釈も可能です。
創造経済とイスラーム主義の相性は良いのでしょうか、悪いのでしょうか?

 相性は抜群だと思います。特にイスラーム・ファッションの分野では、創造経済庁がサポートしている面もありますし。政治的にも、敬虔なムスリムアピールが有効でしょう。実際、西ジャワ州知事選挙予想で、一時期どの候補者よりも下馬評が高かったのは、バンドゥンの説教師アア・ギムでした(出馬はしてない)。
 ただし、2013年バンドン市長選挙に限って言えば、りドワン・カミルがイスラーム主義政党の支持を取り付けたことに対して、創造経済を盛り上げてきた主要人物たちが、次々と拒否を表明したことも事実です。「創造経済」と一口でいってもその下位部門は10分野以上ありますので、イスラーム的結び付きのある側面と薄い側面があります。
 個人的な最大の関心は、なぜバンドゥンでイスラーム運動と世俗的な音楽実践が同時代的かつ局地的に発展してきたのか、という問いです。これに対する答えは簡単ではありません。これを解く一つの鍵は、軍です。これは現在調査中・コツコツ執筆中ですので、ここで申し上げることはできません。

- 軍、ですか。バンドゥンのもう一つの顔、オランダ植民地時代に起源をもつ軍事都市という側面は日本ではあまり論じられてないと思うので、いずれ調査結果を論文等の形で発表していただければ個人的には嬉しいです。
 ところで、論文集に収められたユジンさんの論考で一番印象深かったのは、スハルト体制崩壊以降に大きく飛躍したインディーズが近年インターネットの普及によって直面する二律背反的な状況、タバコ会社や国軍のサポートや庇護なしでは存続が難しい根本的なジレンマについて書かれた終章でした。アーティストの自主独立性と商業主義の関係は、あらゆる芸術における古くて新しい問題と考えますが、突破口はどこにあると予想しますか?

 難しいですね(笑)。私の調査地であるバンドゥンでは、あくまで直感的な印象に過ぎませんが突破口はなさそうです。「隣の芝生は青い」だけかもしれませんが、ジャカルタやジョグジャの方がよっぽど「アツイ」気がします。これも印象論です(笑)。
 それはともかく、ジレンマをジレンマとして捉えなくなる時代が来るかもしれないですし、インドネシアの場合、若者人口も多く、安定的な経済成長も達成できているので長い目で見ればそこまで心配は必要ないかもしれません。所得水準が上がれば良いという問題ではないですが、生活面・インフラ面での下支えはなくてはならないでしょう。豊かな文化資本は自主独立性を再生産します。
 直接の関係はないですが、現在、K-POP人気がローカル音楽を凌駕する調査結果があります。K-POP人気にどれだけ持続性があるかはわかりませんが、面白いですね。
 ひょっとしたら、突破口はイスラームかもしれません。つまり宗教ソングです。あらゆるジャンルは栄枯盛衰を繰り返しますが、インドネシア音楽史を俯瞰した場合、最も長らく享受されている音楽にジャズ(ほぼ100年間)が挙げられますが、その次におそらく宗教ソングがあります。しかも、それが社会のイスラーム化を背景に大衆的人気をこれまでの勢いに増して獲得しつつある。音楽がイスラーム化することは音楽産業の持続的発展にある程度寄与する可能性があります。ただ一点、条件付きです。音楽を「ハラム(禁忌)」として拒否する説教師や、音楽そのものを否定する元音楽関係者が影響力を持つことがない限り、です。これは最悪のパターンです。

 - ポピュラー音楽と宗教、特にイスラームとの関係はこれまで以上に注視していく必要があるのかもしれませんね。
 では最後に、一番好きな歌手あるいはバンド、曲名を教えてください。

INPRESの『INPRES I/V/80 Eloi! Lama Sabactani!』(1980年)です。

 
- 長時間のインタビューにお付き合いいただき、ありがとうございました!



<参考文献>
福岡まどか・福岡正太編著 『東南アジアのポピュラーカルチャー アイテンディティ・国家・グローバル化』 スタイルノート 2018326日発行
松野明久編著 『インドネシアのポピュラーカルチャー』 めこん 1995121日発行


 

2017年9月20日水曜日

映画評『チュッ・ニャ・ディン』

チカラン日本人会のメールマガジンに連載(予定)の原稿です。掲載日は未定。


私がインドネシアについて知っている二、三の事柄
第1回 インドネシア映画『チュッ・ニャ・ディン』


(ビデオCDジャケット、旧綴りのTjoet Nja' Dhien)

チカラン日本人会メルマガ編集責任者の宮島さんの要請で、今回からインドネシアを知るための本や映画についての連載をすることになりました、チカラン在住の轟英明(とどろき・ひであき)と申します。インドネシアには2002年から定住、チカランには2008年末から住んでます。私はインドネシアの専門家(インドネシアニスト)ではないので、後日その筋の方から非難されるのではないかと内心ビクビクしてますが、清水の舞台から飛び降りつもりで、私が今まで読んできた本や観てきた映画などについて、未読未見の方にも分かりやすいように紹介してみたいと思います。いつまで続くか分からないこの連載を読まれた読者の中で、インドネシアについてもっと知りたい調べたいという方が出てきていただければ望外の喜びです。

さて、記念すべき第1回は私にとって非常に思い入れのあるインドネシア映画『チュッ・ニャ・ディン』について。簡単に言えば、私の人生を変えてしまった映画です。この映画を見ていなかったら、多分私は今インドネシアに住むことはなかったかもしれません。この映画の何が私を惹きつけたのか、それについてお話します。

映画の舞台は19世紀末から20世紀初頭のスマトラ島西北端のアチェ。多くの日本人にとっては、13年前のインド洋巨大津波で甚大な被害を蒙った土地として記憶されていると思います。インドネシアという国家が誕生するよりも数十年も前、赤道直下の群島の各地では植民地化を目論むオランダに対する闘争が繰り広げられてましたが、その中でも最大最長の規模となったのがアチェ戦争でした。戦争開始から終結まで実に40年もの長きにわたり、この映画の主人公であるチュッ・ニャ・ディンCut Nyak Dhienは有力なウレーバラン(貴族)出身の女性で、アチェ戦争(アチェ側から見ればオランダ戦争!)が膠着状態に入って以降、オランダ軍をゲリラ戦で悩ました、傑出した女性指導者でした。よって、この映画はジャンルとしては「戦争映画」「民族主義映画」もっと言えば「愛国映画」に分類されうるでしょう。映画では彼女が二番目の夫トゥク・ウマルと共にオランダに叛旗を翻し勇猛果敢に戦うも、幾多の裏切りに合い、最終的にはオランダ軍に囚われの身となるまでを描いてます。

(左 主人公チュッ・ニャ・ディンを演ずるトップ女優のクリスティン・ハキム。製作公開当時32歳)

しかし、実際に映画を見てもらえれば分かるのですが、この映画は非常に地味な作りでおよそ派手さがありません。典型的な「アートハウス映画」「芸術映画」とも言えます。ストーリーがシリアスなだけではなく色調も暗く、しかも終盤に近づくにつれてますます観客の気分を暗くさせるような展開。多くの観客を純粋に楽しませるのではなく、内省に向わせる作品なので、派手な戦闘シーンを期待して見ると肩透かしをくらうでしょう。

...ここまで私の文章を読んで、この作品に興味をなくした方もきっといるとは思います。なんだ、暗くて重い映画なのかと。ただ、私がこの映画を初めて見た時に感じたのはそうした重さすら吹き飛ばす、ある種の衝撃でした。誇張ではなく、異文化との遭遇。日本で劇場公開された時に岩波ホールで見たのは四半世紀以上も前で、若くて無知だったせいもあるだろうとは思いますが、当時の私は何に衝撃を受けたのか?

物語が終盤へ進むに連れて、主人公は白内障で目が見えなくなり、オランダ軍に対しても劣勢となります。彼女の副官で右腕のパン・ラオッはオランダ軍に投降して自分が慕うリーダーの保護を要請、あえて裏切り者の汚名を着ようとします。もはや逃げられないと悟った主人公は、雨の止まないジャングルの中で、一人の孤児と共にオランダ軍を待ちます。指導者としての威厳を失わず、ただクルアーンを読み続ける老女に圧倒されるオランダ軍将校。彼女の身体が心配なパン・ラオッは涙声で彼女を説得しようとしますが、その時。

「去れ!!!」

アチェの短剣レンチョンでかつての部下を刺すチュッ・ニャ・ディン

「お前はこれほど長い期間私と一緒に闘ってきたのに、この闘いを全然理解してなかった。それこそが私の敗北だ...」

囚われた彼女は西ジャワのスメダンへ流刑され、その地で亡くなったことを伝える字幕でこの叙事詩的映画は幕を閉じます。

今こうして映画のラストシーンを書き起こしてみてやはり感じるのは、およそ日本の時代劇映画あるいは戦争映画とは全く異なるヒロイズムのあり方です。もちろんこの場合は史実に基づいているとはいえ、おそらく日本でこのような物語が作られるとすれば、主人公は自害切腹するなり、或いは精一杯の物理的抵抗をするか、又は部下の心情を思いやって泣く泣く投降、といった展開になるでしょう。しかし、この映画の主人公はイスラーム信仰を元に異教徒と戦い(そもそも日本にはこうしたジハード型の話があまりない)、敵に決して屈さないだけでなく、自分の身を案じた腹心の部下ですら決して許さない峻厳さを観客に見せるのです。

Pergilah(去れ)!!! という言葉が発された時、私は強烈な衝撃を受けたのでした。一体、何なんだ、この厳しさは?神への信仰?自尊心?民族の誇り?

なにより、クルアーンの章句をただ唱えながら、オランダ人の言葉に決して耳を貸さない主人公の姿は、誤解を恐れずに言えば、ほとんど狂信者に近いものがあり、畏怖の念を私に抱かせました。と同時に口当たりの良い甘い砂糖菓子のような異国趣味ではない、簡単な咀嚼を許さない「異文化」を当時の私はこの映画から確かに感じ取りました。

安易な感動などではない、かと言って全く理解不能というでもなく、映画鑑賞後もまるで「異物」を飲み込んだような気分はその後も続き、インドネシアについて、アチェについて、イスラームについて、そして何よりチュッ・ニャ・ディンという「国家英雄」について、もっと知りたい調べたいという気持ちが強まり、映画鑑賞から5年も後でしたが、バンダアチェにあるチュッ・ニャ・ディン博物館を訪問したのでした。またそれから更に数年後には、主演女優のクリスティン・ハキムさんにもお会いして御礼を直接述べることができました。

その後いろいろ紆余曲折があって、今はこうしてチカランに住んでいるわけですが、もしこの映画を観ていなかったら、おそらく私はインドネシアにこれほどのめり込むことはなかっただろうなと強く確信しています。そうした意味で、この作品は間違いなく私がインドネシアに関わるきっかけを作り、そして人生を変えた映画となりました。



 (中央 泣き崩れるチュッ・ニャ・ディン本人。オランダ軍に囚われた後の写真。純粋なる敗者の映像。)

次回はフリーペーパー「+62」No11 (2017年8月号)に掲載された「私の好きなインドネシアの本」の続きを予定してます。それでは、また来月!

<YOUTUBE>
https://www.youtube.com/watch?v=BwHVTg7s4IM
https://www.youtube.com/watch?v=SAwotI6iGnA

<映画データ>
原題 ; Tjoet Nya' Dhien
日本語題 ;チュッ・ニャ・ディン
製作公開年; 1988年
製作国;インドネシア
言語;アチェ語、インドネシア語
日本公開日;1990年8月25日
上映劇場;岩波ホール
スタッフ;製作 アルウィン・アリフィン
     監督及び脚本 エロス・ジャロット
     撮影 ジョージ・カマルッラ・プナタ
     音楽 イドリス・サルディ
キャスト;クリスティン・ハキム、スラメット・ラハルジョ、ペトラジャヤ・ブルナマ、
     イブラヒム・カディル 

2017年8月24日木曜日

+62への寄稿 私が薦めるインドネシアの本 5冊

ジャカルタで発行されている月刊フリーペーパー「+62」のインドネシア本特集に寄稿しました。以下はオリジナル原稿。未修正の箇所がありますが、備忘録としてアップしておきます。

2017年7月18日(火)
私が薦めるインドネシアの本 5冊

 +62 編集長池田さんのツイートに便乗して、自分の好きなインドネシア本を選んでみたら20冊になってしまった。さすがに20冊全部を紹介するのは多すぎるので、ウンウン唸りながら、歴史というテーマで以下5冊に絞ってみました。レアなセレクションだなあと我ながら思いつつ、本の内容については自信があるので、機会があれば+62読者の方々にも是非読んでいただきたいと思います。

 まずは私のインドネシア観に決定的な影響を与えてくれた故・村井吉敬さんの著作二冊から。処女作でインドネシア初心者には特に強く薦めたい『スンダ生活誌  変動のインドネシア社会』 (現在は岩波現代文庫から『インドネシア・スンダ世界に暮らす』として復刊)は先月号で西宮奈央さんが紹介されていたので、ややマニアックながら個人的に思い入れのある『赤道下の朝鮮人叛乱』及び『シネアスト許泳の「昭和」』の二冊を合わせて挙げます。




 二冊とも村井さんの人生の伴走者だった内海愛子さんとの共著。アジア太平洋戦争中は「日本人」だった朝鮮人たちが日本軍占領期とその後の独立革命戦争下のインドネシアでどのように生き、刑場の露と消え、あるいは戦場で死んでいったのか。日本人インドネシア人そして朝鮮人の多くからも忘れられた抗日反乱、理不尽な「戦犯」裁判、そして「親日派」映画人の一生を、数少ない資料や証言を元に立体的に浮き彫りにしてくれる良書です。



 私がインドネシアに片足を突っ込むようになった頃、アジア映画の文献を乱読していた四半世紀前に知って以来、三つの名前を持つ映画監督許泳(ホウ・ヨン)は何故かずっと気になる人物でした。日本朝鮮インドネシア各国で活躍したとは言っても、彼が残した作品は映画史上の傑作とはならず、むしろ凡作の部類です。しかも日本軍政下のジャワでは偽ドキュメンタリー映画を監督、堂々たる「親日派」朝鮮人、今日的価値観からすれば紛れもなく売国奴と非難される怪しい人物と言えるでしょう。しかし、彼にやや同情的な共著者の文章を読み進めるうちに浮かんでくるのは、何が何でも俺は映画を撮る!という日夏英太郎としての図太さであり、敗戦時にそれまでの態度をコロッと翻すホウ・ヨンとしての後ろめたさであり、インドネシア独立後には俺の場所はここしかない!と異国に残留するドクトル・フユンとしての楽天性(日本の妻子を忘れてますが)といった彼のしたたかさと映画にかける一途さです。多分私が彼の人生に心惹かれるのは、時代の制約があっても、平凡な才能しかなくても、人は何事かを成しえるし、何かを後世に残しえることを教えてくれるからでしょう。彼の遺作となった『天と地の間で』は、技術的に稚拙なところがあるものの、混血の主人公の人物造形には彼自身の人生が投影されているように見えて、感慨深く感じられます。

 この二冊は実質的には二部作なので、是非合わせて読まれることをお奨めします。惜しむらくは共に絶版で、その後発見された資料や映画の内容を追記しての完全版での復刻が待ち望まれるところです。更に関心のある方は遺児である日夏もえ子さんの『越境の映画監督 日夏英太郎』も読んでみて下さい。

 さて、三冊目。日本人のインドネシア専門家の中では専門書から一般書まで幅広く書かれている倉沢愛子さんのインドネシア語著作『Masyarakat dan Perang Asia Timur Raya』を推します。これも上記2冊同様、アジア太平洋戦争関連書ですが、元になっているのは2002年に講談社現代新書として出版された『「大東亜」戦争を知っていますか』です。元々は倉沢さんがご自身の高校生の娘を読者に想定して書かれたこともあって、文章が平易で非常にわかりやすいのが特徴です。そして昨年出版されたばかりのインドネシア語版には、この間に朝日新聞社の倉庫で発見された未発表の写真が多数追加収録されており、貴重な資料でもあります。



 内容は多岐にわたり、開戦前の情況に始まり、対日協力者の系譜、軍に振り回された在留邦人たち、経済政策、ロームシャや慰安婦などの戦時動員、宗教勢力への接近と監視、日本へ派遣された南方特別留学生、初等教育の充実、プロパガンダ映画の製作上映等々、マクロとミクロの視点両方からあの時代を振り返ることができる充実した内容です。インドネシアの歴史教科書がやや無味乾燥で、インドネシア各地の出来事のみに限定されているのと比較すると、短い記述ながらもあの時代を生きた人たちの人生がうかがえ、インドネシア以外の東南アジア各国の当時の状況についてもわかる本書は、インドネシア人の学生にも是非薦めたい書籍と言えます。インドネシア語がある程度できる方は、日本語版と照らし合わせながら読めば語学の学習書としても使えるでしょう。

 四冊目は少し視点を変えて『インドネシア イスラーム主義のゆくえ』。著者の見市建さんはご存知じゃかるた新聞にも寄稿されている、インドネシアのイスラーム専門家。本書の出版はユドヨノ政権誕生直前の2004年で、当時は2002年のバリ島爆弾テロ事件の記憶も生々しく、「寛容」で「穏健」とされたインドネシアのイスラーム勢力が急速に過激化しているとの印象論が広く流布されました。こうした一面的な見方を著者は「少数派の急進派のみに注目しても政治や社会の動態はわからない」として退け、より広い文脈でインドネシアにおけるイスラーム運動の歴史とイスラーム復興の実態を分析しています。暴力の系譜と思想史と運動史、そして町にあふれるポップなイスラーム的「商品」を関連づけて論じた本は、当時まだ多くはなく、そうした意味でも画期的な本でした。この間、爆弾事件の主犯とされた過激派組織ジャマーア・イスラミヤは弱体化し、貧困層の希望の星でクリーンと見られていた正義党は汚職に手を染める普通の政党になってしまい、何よりISISが中東で台頭するなど状況は激変したので、本書の記述にも多くの手直しが必要かもしれませんが、分析の枠組みそのものは依然有効だと思います。「イスラームないしはムスリムを動態的に把握する必要がある」との著者の主張に深く同意します。

 インドネシアで爆弾事件や自爆テロ未遂が報じられるたびにテロの原因を知りたいと感じる日本人は大勢いると思いますが、そうした方にはまず見市さんの一連の著作と論文をじっくり読まれることをお薦めいたします。テロ事件の直接的な原因はわからないにせよ、事件の背景を紐とくには歴史を知るのが一番なのです。急がば回れ。

 最後はガラッと趣向を変えて、1931年から1965年まで断続的に雑誌に連載された漫画の復刻版『Komik Strip Pertama Indonesia ; Put On Edisi Pantjawarna』を挙げます。

 

現在は日本スタイルの漫画がインドネシア市場を席巻してますが、戦前から戦後しばらくはアメリカンスタイルの漫画が日本同様主流でした。四コマ漫画ならぬ6コマ漫画で、柔らかなユーモアがコマとコマの間から漂ってきそうな作風です。作者はインドラマユ生まれの華人Kho Wan Gie。Put On は主人公の名前ですが、漢字にすると「不安」でしょうか。青年というよりは中年で、小太りの中国系の彼が巻き起こす珍騒動が多くのパターンですが、中には時の政権のプロパガンダ的な内容もあったりします。この漫画が面白いのは、台詞にオランダ語や福建語やスラングが多数入り混じり、当時のジャカルタ都市部のファションや風俗がよく描かれている点でしょう。70年代に一世を風靡したシラット漫画では登場人物たちが折り目正しい正調インドネシア語を話していて違和感ありありだったのですが、Put On では登場人物たちが生きている言葉を使っているのが非常に印象的で、ちょっとした言葉の勉強にもなります。



 以上、読者諸兄の皆様の読書の一助になれば幸いです。


<更新履歴>

2017.12.28 ラベル追加、タイトル変更
2018.1.7  画像追加