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2018年7月29日日曜日

「インドネシア・インディーズ音楽の夜明けと成熟」執筆者 金悠進さんへのインタビュー

某メルマガに前後二回に分けて掲載予定。

私がインドネシアについて知っている二、三の事柄
9回 『東南アジアのポピュラーカルチャー アイデンティティ・国家・グローバル化』の深みにハマる  ~ 執筆者の一人キム・ユジンさんインタビュー

前回はリッポー(力宝)グループ会長モフタル・リアディが日本経済新聞に一ヶ月連載した『私の履歴書』に私なりの注釈を加えてみました。新聞連載中に日本でおこなわれた講演会に出席したモフタル氏は89歳の高齢ながら矍鑠(かくしゃく)たるご様子で、同行された奥様やご家族と銀座での買い物を楽しまれたとのこと。1950年代後半、モフタル氏の一度目の破産の危機を自ら子供服を縫って助けた奥様は、今でもいざとなれば自分でアパレルブランドを立ち上げて夫を支えられるほどの気力をお持ちらしく、これこそ内助の功。進行中の巨大プロジェクト・メイカルタ開発の進展具合を含め、私にとってリッポーグループへの関心は尽きません。読者の中でモフタル氏の『私の履歴書』及びインドネシア語(又は英語)自伝を未読の方は是非一度手に取ってみていただければと思います。

さて、今回は今年の3月に出版されたばかりの大部の論文集『東南アジアのポピュラーカルチャー アイデンティティ・国家・グローバル化』を紹介したいと思います。全478頁、執筆者17人、全13章プラスコラム20本に現地レポート1本、定価4,000円(税抜き)と盛り沢山な内容で、この手の大著を読みなれてない方にはややハードルが高いと感じられるかもしれません。しかし、扱っているジャンルは映画・テレビ・コスプレ・ファッション・ラジオ・舞踊・ポピュラー音楽・インディーズ音楽・歌謡曲と多種多様、対象国もインドネシアは勿論のこと、他の東南アジアの事情についても詳細に分かりやすく記述されており、読者は自分の関心に合わせてどの章どのコラムからでも読める構成になっています。本書の目次を以下に挙げておきます。

478頁の重量級。厚くてアツい『東南アジアのポピュラーカルチャー』


はじめに(福岡まどか)
 序章:東南アジアのポピュラーカルチャー 〜アイデンティティ・国家・グローバル化〜(福岡まどか)
■第1部 せめぎあう価値観の中で
 第1章:タイ映画・テレビドラマ・CM・MVにみる報恩の規範 〜美徳か抑圧か、「親孝行」という名のもとに〜(平松秀樹)
 第2章:シンガポールにおける政府対映画製作者間の「現実主義的相互依存/対立関係」(盛田茂)
 第3章:農村のポピュラー文化 〜グローバル化と伝統文化保存・復興運動のはざま〜(馬場雄司)
 第4章:国民映画から遠く離れて 〜越僑監督ヴィクター・ヴーのフィルムにおけるベトナム映画の脱却と継承〜(坂川直也)
 〔コラム1〕コスプレとイスラームの結びつき(ウィンダ・スチ・プラティウィ)
 〔コラム2〕テレビと悪行(井上さゆり)
 〔コラム3〕インドネシア映画にみられる「未開な地方」の商品化(小池誠)
 〔コラム4〕タイ映画にみるお化けの描き方(津村文彦)
 〔コラム5〕ポップカルチャーとしてのイレズミ(津村文彦)
 〔コラム6〕イスラーム・ファッション・デザイナー(福岡正太)
 〔コラム7〕タイ映画にみられる日本のイメージ(平松秀樹)
■第2部 メディアに描かれる自画像
 第5章:フィリピン・インディペンデント映画の黄金時代 〜映画を通した自画像の再構築〜(鈴木勉)
 第6章:インドネシア映画に描かれた宗教と結婚をめぐる葛藤(小池誠)
 第7章:フィリピンのゲイ・コメディ映画に投影された家族のかたち 〜ウェン・デラマス監督の『美女と親友』を中心に〜(山本博之)
 第8章:スンダ音楽の「モダン」の始まり 〜ラジオと伝統音楽〜(福岡正太)
 〔コラム8〕愛国歌と西洋音楽 〜インドネシアの国民的作曲家イスマイル・マルズキ〜(福岡まどか)
 〔コラム9〕ミャンマーの国立芸術学校と国立芸術文化大学(井上さゆり)
 〔コラム10〕さまざまな制約と検閲がつくる物語の余白(山本博之)
 〔コラム11〕インドネシア映画におけるジェンダー表現と検閲システム(福岡まどか)
 〔コラム12〕映画を通して広まった音楽 〜マレーシア音楽・映画の父P・ラムリー〜(福岡まどか)
 〔コラム13〕シンガポールにおける「ナショナル」なインド舞踊の発展(竹村嘉晃)
■第3部 近代化・グローバル化社会における文化実践
 第9章:メディアから生まれるポピュラー音楽 〜ミャンマーの流行歌謡とレコード産業〜(井上さゆり)
 第10章:インドネシア・インディーズ音楽の夜明けと成熟(金悠進)
 第11章:人形は航空券を買うことができるか? 〜タイのルークテープ人形にみるブームの生成と収束〜(津村文彦)
 第12章:越境するモーラム歌謡の現状 〜魅せる、聴かせる、繋がる〜(平田晶子)
 第13章:「ラヤール・タンチャップ」の現在 〜変容するインドネシア野外映画上映の「場」〜(竹下愛)
 〔コラム14〕東南アジア映画で増す、韓国CJグループの影響(坂川直也)
 〔コラム15〕ステージからモスクへ?(金悠進)
 〔コラム16〕アセアンのラーマヤナ・フェスティバル(平松秀樹)
 〔コラム17〕変化する各地のカプ・ルー(馬場雄司)
 〔コラム18〕スマホは複数持ち(井上さゆり)
 〔コラム19〕IT化が進む農村社会(馬場雄司)
 〔コラム20〕「ラテ風味」のイワン・ファルス 〜インドネシアのカリスマプロテストソングシンガーの現在〜(竹下愛)
 〔現地レポート〕東南アジアのトコ・カセット(カセット店toko.kaset)訪問記(丸橋基)
あとがき(福岡正太)

本書の特徴はめまぐるしく変容しつつある東南アジアという地域とそこに住む人々の今を、ポピュラーカルチャーを通じて事細かに描写することに成功していることだと思います。総論よりも各論重視の結果、ポピュラーカルチャー全体を把握することはこの大著を読破しても容易ではないのですが、しかしそれこそがこの分野の研究がまさに現在進行中であり、文字通りアツいことに他なりません。
近年は農村部でもIT化が進み、伝統的価値観とそれを反映していた伝統芸能や芸術も否応なく変容しつつあり、かつてのハイ・カルチャーとサブ・カルチャーという二項対立的図式そのものが揺らいでいる中では、ポピュラーカルチャーをジャンルとして定義するのは難しい、と編著者の福岡まどか氏は述べています。またネット時代以降、同時代文化の生産・流通・消費を一人で研究分析することはその広がりと拡散速度から容易ではなく、複数の研究者が共同執筆する本書のスタイルは本が厚くなりすぎるきらいはあるものの、それだけの深みと面白さが感じられる内容です。福岡まどか氏は序章を次のように結んでいます。

東南アジアの人々に対して多くの人々が抱くイメージは、自然と共存し伝統文化を守り深い信仰心に支えられた生活をする人々というものが一般的かもしれない。だがその一方で東南アジアの人々はまた、メディアを駆使し、物質文化を謳歌し、論争に参加し、多様な面で創造性を発揮していく人々でもある。文化のもつ力がどのように、人々に、社会に、そして世界に影響を及ぼしていくのかという問題に、現代東南アジアのポピュラーカルチャーをめぐる研究はひとつの鮮烈なイメージをもたらしてくれるのではないだろうか。(同書50頁)

この論文集に先行すること23年前、『インドネシアのポピュラーカルチャー』という名著がめこん社から出版されており、その帯は「インドネシアおたく大集合」というものでしたが、本書には「東南アジアおたく大集合!」との帯をつけたくなる衝動に私はかられたことをここに告白しておきます。



今読んでも十分面白い内容でおススメの『インドネシアのポピュラーカルチャー』

 
閑話休題。『東南アジアのポピュラーカルチャー』執筆者の一人、金悠進(キム・ユジン)さんは数年前からの知り合いだったので、本書読了後にインタビューを申し込んだところ、快諾していただきました。 分量が多くなってしまったため、前半後半に分けて以下掲載したいと思います。

- 本書のご出版、誠におめでとうございます。 まずはじめに、ユジンさんの簡単なプロフィールを教えていただけますか

1990年大阪生まれの27歳。同志社大学法学部政治学科卒。現在、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程在籍中です。20177月から2018年末ごろまでバンドゥンに滞在予定です。

 - この論文集へ寄稿することになった経緯は? また執筆者の専門は分野も地域もバラバラで、それが本書の魅力の一つだと思いますが、内容のチェックや確認作業は大変だったのでは?
 本論文集は研究会の成果出版ですが、その研究会のメンバーである坂川さんのご紹介のもと、聴取者として定期的に参加させていただいたのがきっかけです。本書の編著である福岡まどか先生、福岡正太先生のご厚意に預かり、また大変幸運なことに、自分の関心が本書の目的から大きく外れるものではありませんでしたので、執筆させていただくことになりました。ただ、海外人名表記の統一や現地語のカタカナ化は大変でした。私の苦労は微々たるもんですが、出版社の方からの微細な部分に至るご指摘に頭が下がりました。

 - ユジンさんの専門であるインドネシアのポピュラー音楽についていくつか質問させてください。インドネシアのポピュラー音楽の特徴を一言で表すとしたら何でしょうか?また日本のポピュラー音楽との共通点あるいは相違点は何でしょうか?

 特徴は「ある」とも「ない」とも言えます。
 日本との違いは、音楽シーンの新しい動きが歴史的に地方から生まれてきたことでしょうか。日本のように東京一極集中的では必ずしもありません。初の娯楽雑誌「ディスコリナDiskorina」はジョグジャカルタで創刊されました。初のロック雑誌「アクトゥイルAktuil」、初のインディペンデント・ジャズレーベル「ヒダヤットHidayat」はバンドンで創刊・設立されました。毎年恒例の巨大ロックフェスティバルはスラバヤとマランを中心に初めて開催されました。初のインターネット専門レーベル「YES NO WAVE」はジョグジャで創設されました。
 また、日本的「上京」文化は、インドネシアでもかつてありましたが、最近は首都ジャカルタに移住せず地元や地方都市を拠点に活動する音楽関係者が多い気がします。
 あと、特徴が「ない」というのは、私の元々の専門が音楽学ではないため、それをうまく表現できないところがあるためです。特徴は一応あるにはあります。ただ、「インドネシア独自の音楽」といった表現は少なくとも私は避けています。

 - インドネシアはご存知のとおり多宗教多民族国家であり、同時に多種多様な地方文化が、また日本とは比較にならないほどの所得格差が存在する文字通りの大国です。この大国をまとめる国是「多様性の中の統一」は、ポピュラー音楽のシーンにおいてどのように実践されてきたと考えますか?

 私は、よく巷で言われる「インドネシアは内外のあらゆる文化を受け入れる寛容な文化的土壌がある」というステレオタイプな見方にちょっと否定的です。60年代前半にスカルノ大統領がロックンロールの演奏を規制したり、70年代の洋楽かぶれエリートが大衆歌謡「ダンドゥット」を侮蔑したように、異文化を受け入れない側面もあったのは事実です。あるいは、「多様性の中の統一」という国是に異議を唱える音楽実践も多々あります。
 とはいえ、ジャズミュージシャンがスンダやジャワやバリなどの伝統楽器を取り入れる、スカ系バンドがダンドゥットを取り入れるなどといった事例は決して珍しいものでも新しいものでもありません。「多様性の中の統一」という建前が実態を伴う現象は確かにあるでしょう。

 - なるほど。多様性に絡めて質問を続けると、インドネシアでは階級あるいは階層によって好む音楽ジャンルが異なるというのがかつての定説でした。例えば、ダンドゥットは大衆のための音楽(インドネシアの演歌などと形容されたこともありました)、ロックは都市エリートのための音楽というように。ただ、近年はこうした単純な区分けが有効でなくなっていると思います。

 おおむねその通りでしょう。ただ、この区分けを考える際には、①支持層、②演奏者、③評論家の3つの側面を区別して論じる必要があります
 例えば支持層。中間層がダンドゥットコンサートで楽しく踊る様子はよく見ますし、別に新しいことではないです。逆に、低所得層がロックのリスナーであり、何百kmかけて路上ライブしながら小銭かき集めてメタルライブに死に物狂いで参加することもあります。
 しかし、演奏者を見た場合、ダンドゥットが庶民出身からスターダムへのし上がる夢を与えるのに対し、ロックミュージシャンの場合、私の調べた経歴調査の限りでは比較的豊かな家庭環境でなければスーパースターになりにくい、敗者復活が成り立ちにくいです。インドネシアに「矢沢」はいません。日本のポピュラー音楽との違いの一つでしょう。
 また、音楽評論家の中でも、特に「ロック派」の中ではいまだにダンドゥットに対して距離を置く者がいます。昔のようにダンドゥットを侮蔑することはありえませんが、「ダンドゥットは嫌い」と公言するロックジジイもいますし、「(ダントゥットの王様)ロマ・イラマだけはええけどなあ。他はあんまり。」という人もいます。音楽的嗜好は嘘をつけません。それはインドネシア人の評論家が執筆したエッセイ集や「ベスト・ソング/アルバムトップ〇〇」と銘打ったものを見れば明らかです。

 - 大きな傾向として、東南アジアのポピュラーカルチャーが以前のような「伝統」と「近代」の二項対立から最近は脱却しつつある印象を論文集全体から受けました。インドネシアの地域専門家であるユジンさんは、ポピュラーカルチャーを分析研究する際にそうした二項対立的な観点を重視されますか?

 これも重視するとも言えますし、重視しないとも言えます。そろそろメルマガ読者の方にさすがに「白黒ハッキリせんかい」と怒られそうですが(笑)。
 まず大前提として、私自身はそうした価値判断を一切せず、全て現地の方々の価値観に委ねています。例えば、「伝統」と「近代」の対立が有効であった時代というのは確かにありました。少なくとも70年代までは強くあったでしょう。
 一つ象徴的な事例を挙げます。美術界におけるバンドゥン派対ジョグジャ派の論争です。西洋近代至上主義者のバンドゥン派の美術家に対してジョグジャ派は「西洋の奴隷」と批判し、バンドゥン派はジョグジャ派に対して「伝統的」というレッテル貼りを行い、民族性を否定しました。このような対立軸は現在有効ではなくとも、一般社会の中でバンドゥンの人々が「バンドゥンはモダンでありジョグジャは伝統的だ」という語りは今でも見聞きします。対立軸は鮮明ではなくとも、見え隠れしており、完全に無視はできないです。

  - ユジンさんは以前の論文で、政治のアウトサイダーである建築家リドワン・カミルが「創造経済」や「創造性」を有権者にアピールする新しいタイプの首長としてバンドゥン市民から支持される文化的土壌を論じてました。先日リドワン・カミルは西ジャワ州知事選挙で勝利しましたが、論文を発表された昨年の時点でこの結果を予想されてましたか?
参考 ; 東南アジア研究551号掲載の論文
https://kyoto-seas.org/wp-content/uploads/2017/07/550103_Kim.pdf
 「創造都市」の創造 ―― バンドンにおける若者の文化実践とアウトサイダーの台頭――[Invention of “Creative City”: Youth Cultural Practices and the Rise of an Outsider in Bandung]

 正直、どうでもよかったです(笑)。リドワンが勝とうが負けようが。ただ、1年前の世論調査ですでにリドワンの支持率はダントツだったので、勝つだろうとは何となく思っていました。しかし、ジャカルタ前州知事アホックが宗教侮辱罪で告発され選挙で敗北、裁判でも有罪になった事件があったので、選挙はどうなるかわからんなあとも思いました。とはいえ、あの投稿論文を書いたあと、自分の興味関心に正直に向き合った結果、面白くない選挙分析からは一切手を
引きましたので、今回の西ジャワ州知事選は全くフォローしていません(笑)。

 - えっ、それは予想外の展開(笑)。私としてはカン・エミル(リドワンの愛称)が支持層の多いバンドゥン以外でどれだけ人気があるのか、やや懐疑的でしたが、地域ごとの候補別得票率を比較してみると、やはり濃淡はあるようです。彼が「創造経済」を政策の軸として、保守的な農村部と日系自動車関連企業をはじめとする工業地帯が混在する西ジャワ州行政をどう切り盛りしていくか、注視したいと思います。
前述の論文に関連して質問を続けます。バンドゥンがインドネシアにおいてもっとも創造性の高い都市であること、或いは創造経済を盛り上げる文化的土壌があることに異論はないのですが、一方でバンドゥンは80年代以降勃興したダッワ・カンプス(大学におけるイスラーム宣教復興運動)の中心地でもあり、西ジャワ州全体で言えば、イスラーム主義団体や政党が政治的にも無視できない勢力を誇ります。先日の州知事選挙結果も、見方によっては現在のジョコウィ政権に満足していない層が多数を占めたとの解釈も可能です。
創造経済とイスラーム主義の相性は良いのでしょうか、悪いのでしょうか?

 相性は抜群だと思います。特にイスラーム・ファッションの分野では、創造経済庁がサポートしている面もありますし。政治的にも、敬虔なムスリムアピールが有効でしょう。実際、西ジャワ州知事選挙予想で、一時期どの候補者よりも下馬評が高かったのは、バンドゥンの説教師アア・ギムでした(出馬はしてない)。
 ただし、2013年バンドン市長選挙に限って言えば、りドワン・カミルがイスラーム主義政党の支持を取り付けたことに対して、創造経済を盛り上げてきた主要人物たちが、次々と拒否を表明したことも事実です。「創造経済」と一口でいってもその下位部門は10分野以上ありますので、イスラーム的結び付きのある側面と薄い側面があります。
 個人的な最大の関心は、なぜバンドゥンでイスラーム運動と世俗的な音楽実践が同時代的かつ局地的に発展してきたのか、という問いです。これに対する答えは簡単ではありません。これを解く一つの鍵は、軍です。これは現在調査中・コツコツ執筆中ですので、ここで申し上げることはできません。

- 軍、ですか。バンドゥンのもう一つの顔、オランダ植民地時代に起源をもつ軍事都市という側面は日本ではあまり論じられてないと思うので、いずれ調査結果を論文等の形で発表していただければ個人的には嬉しいです。
 ところで、論文集に収められたユジンさんの論考で一番印象深かったのは、スハルト体制崩壊以降に大きく飛躍したインディーズが近年インターネットの普及によって直面する二律背反的な状況、タバコ会社や国軍のサポートや庇護なしでは存続が難しい根本的なジレンマについて書かれた終章でした。アーティストの自主独立性と商業主義の関係は、あらゆる芸術における古くて新しい問題と考えますが、突破口はどこにあると予想しますか?

 難しいですね(笑)。私の調査地であるバンドゥンでは、あくまで直感的な印象に過ぎませんが突破口はなさそうです。「隣の芝生は青い」だけかもしれませんが、ジャカルタやジョグジャの方がよっぽど「アツイ」気がします。これも印象論です(笑)。
 それはともかく、ジレンマをジレンマとして捉えなくなる時代が来るかもしれないですし、インドネシアの場合、若者人口も多く、安定的な経済成長も達成できているので長い目で見ればそこまで心配は必要ないかもしれません。所得水準が上がれば良いという問題ではないですが、生活面・インフラ面での下支えはなくてはならないでしょう。豊かな文化資本は自主独立性を再生産します。
 直接の関係はないですが、現在、K-POP人気がローカル音楽を凌駕する調査結果があります。K-POP人気にどれだけ持続性があるかはわかりませんが、面白いですね。
 ひょっとしたら、突破口はイスラームかもしれません。つまり宗教ソングです。あらゆるジャンルは栄枯盛衰を繰り返しますが、インドネシア音楽史を俯瞰した場合、最も長らく享受されている音楽にジャズ(ほぼ100年間)が挙げられますが、その次におそらく宗教ソングがあります。しかも、それが社会のイスラーム化を背景に大衆的人気をこれまでの勢いに増して獲得しつつある。音楽がイスラーム化することは音楽産業の持続的発展にある程度寄与する可能性があります。ただ一点、条件付きです。音楽を「ハラム(禁忌)」として拒否する説教師や、音楽そのものを否定する元音楽関係者が影響力を持つことがない限り、です。これは最悪のパターンです。

 - ポピュラー音楽と宗教、特にイスラームとの関係はこれまで以上に注視していく必要があるのかもしれませんね。
 では最後に、一番好きな歌手あるいはバンド、曲名を教えてください。

INPRESの『INPRES I/V/80 Eloi! Lama Sabactani!』(1980年)です。

 
- 長時間のインタビューにお付き合いいただき、ありがとうございました!



<参考文献>
福岡まどか・福岡正太編著 『東南アジアのポピュラーカルチャー アイテンディティ・国家・グローバル化』 スタイルノート 2018326日発行
松野明久編著 『インドネシアのポピュラーカルチャー』 めこん 1995121日発行


 

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