Translate

2018年11月24日土曜日

映画評『錦衣衛』

今後Mixi日記に過去掲載した記事をこちらのブログに随時転載します。
初出は2007年2月23日。最近本当に映画見なくなったなあ。



日曜日にカルフールで買い物をしていたら、VCDコーナーでショウブラザーズ映画の安売りをやっていました。39000ルピア(520円)の正規価格が約13000ルピア(約170円)、6割以上の割引となれば買わないわけにはいかないのですが、なかなか面白そうなのがない。題名も監督も俳優も知らない人ばっかり。だから売れ残るのか?

そんな中で見つけたのが、コレ。
http://global.yesasia.com/b5/PrdDept.aspx/aid-11466/section-videos/code-c/version-all/pid-1002869813/


「錦衣衛」と来たら、もうアクションしかないでしょう。主演は70年代後半から80年代前半のクンフー映画で人気があった梁家仁(レオン・カーヤン)。武侠映画の巨匠である胡金銓作品に心酔する私としては、「錦衣衛」と「東廠」(泣く子もだまる明朝の秘密警察)の文字には反応せざるを得ません。駄作でもまあいいやと思って、即購入。

ショウブラ映画については、アジア映画ファンには今さら説明する必要もないかもしれませんが、念のため概略を。

もともとはマレー半島の華僑であったショウ兄弟による巡回映写が中華名門映画会社の始まり。太平洋戦争で日本軍が東南アジアに侵攻した折にはすでに配給網が出来つつあり、戦後はシンガポールに巨大な撮影所を建設してマレー語映画(この時期のP.ラムリー映画は今見ても面白い!)の製作・配給を始め、また香港では巨大な資本力を背景に弱小の広東語映画会社を圧倒する北京語映画を製作・配給。社長のランラン・ショウは「ラッパ」と呼ばれた大映の永田社長と仲が良く、両者は合作などで協力してます。(溝口健二の「楊貴妃」、豊田四郎の「白夫人の妖恋」(李香蘭=山口淑子!)など)また、日本からは後にブルース・リー映画を撮ることになる撮影監督の西本正や松竹の職人監督井上梅次らを招聘して、映画技術の向上に努めました。こうして60年代から70年代にかけてショウブラは興行収入でトップの地位を保持、TV局や俳優養成所の開設などにも事業を広げます。が、徐々に新興のゴールデンハーベストやシネマシティに企画力で劣るようになり、80年代半ばには撮影所での製作を停止。90年代後半から再び製作を復活させ、現在に至っています。

一時期ショウブラは旧作映画の上映やビデオ化に消極的だったのですが、映像ライブラリーを別会社に売却した4年前からデジタル・リマスターDVDの販売が始まりました。特典付きの日本版もキングレコードから発売されています。幻のタイトルが目白押しなので、研究者をはじめ、欧米のクンフー映画ファンや黄梅調(華南風ミュージカル)を好むレトロファンからは嬉しい悲鳴が聞こえてきそうです。

私が所有しているのは①胡金銓の新潮派武侠片「大酔侠」②胡金銓の抗日戦争片「大地兒女」③レズビアンとミステリーと復讐が一体となった変格武侠片「愛奴」④井上梅次監督の明朗快活な現代ミュージカル「香港ノクターン」⑤黄梅調の最高峰「梁山伯與祝英台」⑥そして購入したばかりの「錦衣衛」、です。資金不足からクンフー映画や怪獣映画(特撮で日本人スタッフが協力した「北京原人の逆襲」!)にはまだ手が届いていません。

で、肝心の「錦衣衛」、まあまあの出来でした。プログラムピクチャーなので、胡金銓映画の完成度を求めるのは無理ですが、スピーディな展開で観客を飽きさせません。まあ、80年代以降の香港映画は早ければいいという風潮が強すぎたりもして反発も覚えるのですが。以下粗筋。

時は明朝、暗愚で有名な英宗の御世。錦衣衛とは皇帝直属の親衛隊、いわばトップエリートの集まりですが、実際に実権を握るのは皇帝お気に入りの悪宦官、王振(劉永)。彼は気に入らない人物を次々と暗殺するよう錦衣衛に命令を下しますが、剛直な隊長の趙不凡(梁家仁)は命令に従ったふりをしてこっそり彼らを逃がします。事実を知って怒った王振は錦衣衛長官でもある趙の父に息子を処刑するよう命じます。拒否すれば一族郎党末代まで皆殺しにすると脅された父は息子に追っ手を差し向けますが、幼子と妻を連れた趙不凡は無事逃げ切れるのか?

王振は実在の宦官ですが、映画ではその容貌は誇張した描写となってます。胡金銓が「龍門客桟」において、強力な武術の使い手で白髪の異様な太監(宦官の長官)を登場させて以降、香港映画ではそれが宦官像のスタンダードになったらしく、この映画でも敵役の王振は白粉をつけてマニキュアと口紅の手入れを欠かさないという、実に怪しいヘンなキャラです。いっそのこと、東方不敗みたいに女性に演じさせればもっと「キレイ」だったのに。

実際の宦官はあんなことしなかった思うのですが(笑)、大体宦官と言ってもいろいろ、お金儲けがしたくて成人してからわざわざ去勢するのもいれば(王振はこのタイプ)、幼い時に強制的にさせられる場合(史上最高の海軍提督鄭和はこのタイプ)もあります。当然、人格も朝廷への忠誠度もいろいろですが、どうも悪い例の方がステレオタイプとして流通してしまうみたいです。もし、中国でまだ王朝が続いていて宦官も存在したら、きっと抗議の手紙が映画会社に殺到すること間違いなしでしょう。私としては鄭和とか蔡倫(紙の発明者!)を主人公としたドラマも観てみたいのですが、「宦官=悪者」という図式から抜け出すのはなかなか難しいのでしょうか。

さて、映画では宦官の容貌については誇張されてますが、それ以外のところは結構史実に沿っているとも言えます。王振が部下に自らのことを「九千歳」と呼ばせたり、気に入らない人物を失脚させるなど、その専横ぶりは正史に記録されています。一族郎党末代まで皆殺しというのも、あながち誇張ではありあません。女子供はもちろん係累や弟子筋まで殺しまくる行為を明の太祖洪武帝や永楽帝、宦官魏忠賢は実際におこなっています。いやはや。

ところで、どうして「九千歳」かというと、「万歳」では皇帝陛下に対して不遜だからという馬鹿馬鹿しい理由。ただし、これは明朝を代表するもう一人の悪宦官、魏忠賢のエピソードから取ったようです。史実では、王振はモンゴルに対して無茶苦茶な戦略で皇帝親征を実行した「土木の変」で、モンゴル軍に壊滅的な敗北を喫し乱戦の中で死にました。そして、英宗は野戦において捕虜となった、中華史上ただ一人の皇帝となりました。映画では「土木の変」とは関係なく、王振は無残な最期を迎えるのですが、まあ似たようなものでしょう。

そして、「土木の変」の後に瀬戸際の明朝を救ったのは徹底抗戦の構えを取った兵部尚書の干謙でしたが、人質だった英宗が復位後、彼は謀反の罪(もちろん無実)で処刑されてしまいます。そして、胡金銓の「龍門客桟」は彼の処刑場面から始まるのでした。

本当、中国史ってこういうことの繰り返しで時々ウンザリします。ただ、明の時代は官吏の腐敗とスパイの暗躍が半端ではなかった一方、民間の活力(含む海賊)にも目覚しいものがあったので、物語の素材には困らないようです。

しまった、映画について書くつもりが史実のことばかり書いてしまった...

0 件のコメント:

コメントを投稿