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2026年6月22日月曜日

私のイし 首チョンパ映画天国インドネシア

2025年3月に脱稿した原稿を遅ればせながらブログにアップします。 『イし本 インドネシアの推しを語りつくす本』に私は寄稿しておりませんが、いつか続編が出る際には以下の原稿以上に出来の良い内容を書けるよう、引き続き精進したいと思います。


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あるインドネシア映画を35年前に観た結果、私の人生は決まってしまった。端的に言って、その映画を観ていなければ、今の妻と出会うことも結婚することも三人の子供が生まれることもなかった。そのくらい決定的な影響を与えた映画のタイトルは『チュッ・ニャ・ディン』( Tjoet Nja' Dhien)という。

 

が、この映画を観た時に受けた衝撃については以前自分のブログで全て吐き出してしまったので、今回ここではインドネシア映画の全く毛色の違い作品群を紹介したいと思う。興味を覚えた方は下記のブログを読んでいただきたい。

https://ahmadhito2017.blogspot.com/2017/08/1.html 

 

さて、あなたはインドネシア映画に「首チョンパもの」と呼ばれるジャンルがあることを聞いたことがあるだろうか?きっとないはずだ。何故なら、私が勝手に命名したジャンルだからだ。

1980年代に日本でもビデオ市場で流通したインドネシア映画『首だけ女の恐怖』(Mistik ) 。バリ島に伝わるレアック魔術を体得した白人女性が暴れまわる作品。実は本国インドネシアではまともに上映されなかったようだが、世界中のホラー映画ファンからは根強い支持を受けたカルト作品。

 

首チョンパものとは読んで字のごとく、登場人物の首がちょん切られる場面を含む映画作品を指す。ちょん切られる方法や動機や場所や対象人物は特に問わない。

 

私見では、120年を超える日本映画の歴史においても首チョンパものは重要なジャンルのひとつであり、その作品群はかなりの数にのぼる。例えば、一昨年公開された北野武の時代劇超大作『首』はさすが首チョンパ映画大国日本の名に恥じない、実に素晴らしい出来だった。何しろ老若男女貴賤を問わず、ポンポンポンポン人が死に、そして首が飛んでいく。第六天魔王の異名をもつ織田信長の首ですら全く容赦ないのだから。

登場人物全員悪人なのが実に清々しい。ヌルい大河ドラマの対極にある痛快さ。

 

ところで、インドネシア映画の首チョンパものである。管見の限り、首チョンパ映画大国日本には若干劣るものの、その完成度と幅広いテーマにおいて、なかなか端倪すべからざる作品を何作も生み出している。その中でも日本で比較的視聴可能な私の推し作品3本をこの場を借りて書き連ねてみたい。

 

まずは観終わって心が晴れ晴れとする、実に気持ちの良くなる首チョンパ映画から紹介してみよう。日本のアイドルグループ「嵐」のファンを公言していたこともあるモーリー・スリヤ監督の作品『マルリナの明日』( Marlina, Si Pembunuh dalam Empat Babak ) 2017年東京フィルメックスのコンペ部門で最優秀作品賞を受賞し、その後世界各国はもちろん日本でも劇場公開され好評を博したので既に観られた方も多いとは思う。

日本公開時にも各方面から好評だった『マルリナの明日』。この一作により、女性監督モーリー・スルヤは一気に世界中の映画ファンに知られることになった。最新作『市街戦』(Perang Kota)が本国公開待機中。

 

ストーリーは単純明快だ。荒野に住む未亡人のマルリナは、ある日無法者たちのリーダーから「お前をこれから俺らで可愛がってやる」と輪姦予告を受ける。しかし、「楽しいコト」の前にマルリナはスープに毒を混入して男どもを殺害、無法者の一人と自ら上位で交わっている時に,一刀のもとにスパッと首チョンパ!その男の首を抱えながら、遠く離れた町の警察署へ自首するために歩き始めるマルリナ、そして彼女を追う悪党ども。果たして旅の結末は?

 

『マルリナの明日』はこのように非常に暴力的な内容なのだが、撮影場所がサバンナ気候の東ヌサトゥンガラ州スンバ島であることも関係してか、物語全体にウェットでジメジメとした雰囲気がまるでない。晴天続きでどこまでも広がる荒野同様、物語内で発生する事件全てがあっけらかんとしており、ある種の開放感がある。セックス場面も首チョンパ場面も現地の天気のようにカラッとしているのが特徴だ。とりわけジグザグ道でのセックス談義には大爆笑。

 

なにより本作が素晴らしいのは、女性同士の連帯を言葉だけのキレイごとなどではなく、明確な行動で示していること。女をレイプしようとするクズ男は首を刎ねるのが相応しい!と信じているであろうモーリー監督は、終盤マルリナをレイプしようとする悪党を、出産間近の女友達に、再びスパッと首チョンパさせる!

 

何という潔さであることか。「クズ男の首は躊躇なく刎ねるべし!」、この大事なメッセージを1度のみならず敢えて2度繰り返す。この反復性こそ、『マルリナの明日』の最大の美点だろう。そして、バイクで悠々とどこかへ去っていく女二人組と赤ん坊を捉えたロングショットで本作は幕を閉じる。

 

活劇とは、首チョンパとは、西部劇とは、そして映画とは、こうでなくてはいけない!と観客に確信させること間違いなしの傑作、それが『マルリナの明日』である。

 

なお、日本公開時に本作は「ナシゴレン・ウエスタン」と紹介されたが、私は音の響きから「ガドガド・ウエスタン」と呼ぶ方がより強い印象を観客に与えられると思っている。第二第三のガドガド・ウエスタンを早く観たいものだ。

 

シスターフッド首チョンパものとして目下最高峰の『マルリナの明日』、もし未見の方は今すぐアマプラかネットフリックス、或いは他の動画配信サイトに会員登録して是非見ていただきたいと思う。

 

次に紹介したいのは、昨年ネットフリックスで全世界一斉公開された『やがて、霞立ち込めて』( Kabut Berduri ) 。インドネシア映画では珍しい犯罪スリラー或いはミステリーものだが、とにかく予想以上にポンポンポンポン首が飛んでいく。始めから最後まで首チョンパの連続で、さすが首チョンパ映画天国インドネシアは違うと思わされる出来栄えだ。

主人公サンジャを演じたプトゥリ・マリノ。首チョンパ連続殺人事件の真犯人は誰か?

 

ストーリーはやや入り組んでいる。インドネシアのカリマンタン島西カリマンタン州、マレーシアではボルネオ島と呼ばれるサラワク州、その両国の国境地帯において首チョンパ連続殺人事件が発生し、ジャカルタからスラリとした女性刑事サンジャが応援にやってくる。何か暗い過去を抱える彼女は果敢に現地ダヤク人社会と警察機構が共に抱える闇に迫っていくのだが、次々に犠牲者は増えていく。彼女が最終的に対峙する真犯人とは一体何者なのか?

 

本作では主人公サンジャを演じたプトゥリ・マリノのビジュアルがとにかく魅力的だ。カワイイでもキレイでもセクシーでもない、そう、カッコいいとしか形容する他ない。これほど超ショートカットの似合うインドネシア女優は稀かもしれない。

 

無論、首チョンパは始めから最後まで絶好調。犠牲者の中にはサンジャを助ける現地警察署のパートナーも含まれるが、その他は基本悪党ばかりなので、安心して観ていられる(?)。ただ、全ての謎解きを放棄したかのような、モヤモヤさせるラストには納得しがたいと感じる観客も少なくなかったようだ。

 

とは言え、モヤモヤの正体が西カリマンタン州そしてインドネシアの過去の暗い歴史と密接な関わりがあることに思い当たるならば、むしろモヤモヤしたままで終わるのが論理的には正しいのではないか。決して晴れない霧のように常にモヤモヤしているのがインドネシア現代史なのだ。そして、陽気な童謡Potong Bebek AngsaBGMとしたエンドクレジットが醸し出すおそろしく不気味で不吉な雰囲気は、さながらインドネシア現代史の底知れぬ闇を暗示しているようでもある。

 

社会派首チョンパものとして目下最高峰の『そして、やがて霞立ち込めて』、未見の方はネットフリックスにすぐ加入して確認していただきたい。一度見ただけでは理解できない程度にはかなり丁寧に細部が作りこまれているので、見応えは十分あることを保証する。

 

なお、観終わってモヤモヤした方、あのラストの意味が理解できない方は、私まで連絡いただければDM等で解説いたします。

 

さて、最後に強力に推したいのは、時代劇アクションものの古典にして欧米のB級映画ファンの間で今なおカルト的な人気を誇る1981年の作品『勇者ジャカ・スンブン』( Jaka Sembung Sang Penakluk )

首チョンパものと一目でわかる公開当時のポスター。エクスプロイテーション(見世物小屋的)映画のお手本であり、インドネシア映画の黄金期1980年代を代表する作品。

 

『勇者ジャカ・スンブン』はジャンルとしては一応時代劇アクションに分類されるのだが、中身はかなりゴッタ煮状態だ。ポスターを見てのとおり、オカルト風味なのはもちろんだが、敵は憎き植民地主義者のオランダ人なのでナショナリズムものの要素も強い。(ただし演じているのはインドネシア人)と同時に、主人公は地元民の娘からも敵役の娘からも好意を寄せられているモテモテ状態。さすがにややこしい三角関係にまではもつれ込まないものの、双方が自らを犠牲にするメロドラマっぽい展開となる。また、激しいアクションの合間にはキリスト受難劇のような場面が挟まれたりもする。トランポリンやワイヤーを使いながらも、基本的には生身のアクションで押して押して押しまくるスタイルであり、派手なVFX技術を使った映画に見慣れたいまどきの観客にとっては、何ともチャチで安っぽい作品のように映るかもしれない。

 

しかし、である。観客を飽きさせないためなら、物語を面白くするためなら何でもやる、この野放図さと荒唐無稽さ、これこそ映画が本来備えていた特質ではなかったか?

 

デタラメで一体何が悪いのか?一体いつから映画はお行儀よく見なくてはいけない「ゲイジュツ」になってしまったのか?

 

ジョルジュ・メリエス監督主演の無声映画『幾つもの頭を持つ男』(1898)。映画とは首チョンパだ!

 

そう、映画はその誕生時から「首チョンパ」を売りにして発展してきたのだから、それをポスターに堂々と掲げる『勇者ジャカ・スンブン』こそは、その出自に最も忠実な、メリエスの正統な後継作品、まぎれもない映画の中の映画なのである。

 

残念ながら先に挙げた二作品と異なり、『勇者ジャカ・スンブン』のみは日本未公開、ビデオDVDでの販売は確認されていない。ただ、字幕なしではあるものの、以下の動画配信サイトでは無料で鑑賞可能だ。非常に聞き取りやすい正調インドネシア語を登場人物たちは話すので、インドネシア語学習者にはちょうどピッタリの教材になるだろう。首チョンパの驚異に瞠目しながら、是非あなたのインドネシア語能力を向上させて欲しいと思う。

https://dai.ly/x8r1d9x 

 

以上、首チョンパ映画天国インドネシアから魅惑の作品3本を厳選してみた。「それでも首チョンパ映画はちょっと...」という貴方には、ドロドロゲロゲロの怪奇映画、三益愛子も泣かせるイスラームメロメロドラマ映画などなど、その他もろもろのインドネシア映画を別の機会に紹介してさしあげよう。

 

(画像は全て映画データベースサイト imdb.com より引用)


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