Translate

2018年7月16日月曜日

第53回インドネシア語技能検定試験B級を受けました

 一昨日2018年7月16日の日曜日、前回と同じPasar Festival 内にあるバクリー大学の教室でインドネシア語技能検定試験(UKBI) 一次試験を受けました。
 
 今回は安全パイのB級のみ、A級はB級合格してからということで。

 我ながら呆れるくらい勉強してなかったので、案の定というべきか、回答見直しの時間はあまり残らなかったものの、自己採点では70点は確実といったところ。リスニングは前回よりもちゃんと聞き取れたので一安心。答えが合っているかはまだわかりませんけれど...


以下は問題文の中で気になってメモした単語や表現など。ことわざは苦手です...

terkunkung
kolot
landasan
terbelenggu
tersiksa
gigit jari
alot
diferensiasi
disposisi
divestasi
sakral
cuci tangan
terpatri
lubuk
terpaku
Telunjuk lurus belingking berkait.
Tak ada rotan akar pun jadi.
menuntaskan
menghilangkan
menafikan
menampar kesadaran
ampas
tempurung
cangkang
anarkis
bertebaran
limpahi


これで今回もし不合格だったら相当落ち込みそう。大丈夫かしらん?

前回面接では3問目で頭が真っ白になる失態を演じたので、今度はちゃんと復習していくよ!

2018年6月10日日曜日

リッポーグループ創設者モフタル・リアディの履歴書読み比べ


某メルマガ掲載予定の原稿。

私がインドネシアについて知っている二、三の事柄
8回 リッポーグループ会長モフタル・リアディの履歴書読み比べ

 前回までは三回にわたりインドネシア社会を読み解くキーワードとして怪奇映画やオバケについて語ってきました。今回からは去る3月に出版された論文集『東南アジアのポピュラーカルチャー アイデンティティ・国家・グローバル化』を元にインドネシア及び東南アジアの大衆文化についてより突っ込んだディープな話をするつもりでしたが、急遽予定を変更して、インドネシアを代表する華人財閥リッポー(力宝)グループ会長モフタル・リアディの履歴について簡単なメモを残したいと思います。

 本稿執筆のきっかけは、5月発行の本メルマガに日本経済新聞文化欄「私の履歴書」バックナンバーが添付されており、リッポー会長の自伝を日本語で読んだことです。この連載は第三者による公正で客観的な伝記とは違うものの、実に読み応えのある自伝だったと言えるでしょう。伝記作家ではない私には彼の自伝の記述がどこまで正確か検証することはできませんが、「私の履歴書」とは別のソースをいくつか挙げることで、本メルマガ読者に大企業経営者の自伝をどう読み解くべきか、考える材料を提供したいと思います。

 「私の履歴書」は全30回の連載でしたが、実はインドネシア語では2年前に既にモフタル・リアディの自伝がインドネシアを代表する高級日刊紙KOMPAS社から出版されています。リッポーグループの傘下にあるMatahari Hypermartのレジ置き場では一時期この自伝が必ず置いてあったので、中身を読んだことがなくても表紙に見覚えのある方は結構いるのではないでしょうか。




インドネシア語版




英語版 (目次を見る限りインドネシア語版とほぼ同じ内容の模様)

 トリビウムアパートにあるJapan Information center 図書館にも本書は置いてありますので、チカランにお住まいの読者の方は一度手にとってみては如何でしょうか。書棚の一番上にケースつきの豪華版が二冊あります。どうやらリッポー側からの寄贈のようです。 

 私自身はインドネシア語版を定価よりも安く入手する機会があって購入したものの、ほとんど読んでない積読状態だったのですが、今回「私の履歴書」連載を読むのと同時に改めて最初から本書を読んでみました。幼少期から青年期までのところは非常に読みやすく、極めて平易なインドネシア語だったのが意外で、当然ながら「私の履歴書」とほぼ変わらない文章と内容でした。中盤以降の銀行業の記述はやや専門的な内容も含むものの、文章そのものは必ずしも難解ではないように感じられました。

 よって、インドネシア語が少しでも分かる方は語学の勉強にもなりますので、「私の履歴書」と自伝を交互に読むことをお薦めいたします。とりわけ、日本軍政期、ビル・クリントンの印象、95年の銀行取り付け騒ぎなどの記述においては明らかに表現の相違が見られ、リッポー会長が日本人読者に伝えたいこと、或いは伝えたくないことが暗示されており実に興味深く読めるはずです。

 以下、連載回の内容に対しインドネシア語版自伝で対応している頁の一覧を作成しました。これから自伝を読まれる方のお役に立てればと思います。連載後半部は単語の拾い読みでどの頁か判断している箇所もあるため、読み落としや間違いについては大目に見ていただければ幸いです。

モフタル・リアディ 日経連載「私の履歴書」及び自伝 対照表  
  
掲載日       連載回   タイトル     インドネシア語版自伝頁数
201851日   1      独り立ち     書き下ろし
201852日   2      誕生        pp.3-4
201853日   3      幼年期      pp.4-5
201854日   4       帰郷        p.6, p.8
201855日   5      悲哀        pp.7-9
201856     6       占領下       pp.10-13
201858    7      闘争        pp.14-15
201859日   8      南京の大学    pp.15-17
2018510   9         奇跡            pp.18-19
2018511日  10       探訪            pp.23-25
2018512日  11         結婚             pp.25-28
2018513日  12         創業           pp.28-32
2018514日  13         破産の危機    pp.53-55, p.57
2018515日  14         大志           pp.33-42
2018516日  15         成長             pp.42-46
2018517日  16         出会い        pp.46-52, pp.67-68
2018518日  17         飛躍             pp.69-78, pp.84-88
2018519日  18         海外へ       pp.96-103,pp.108-109
2018520日  19         友情             pp.126-127, pp.177-178
2018521日  20         約束             pp.184-193
2018522日  21         力の宝       pp.114-115, p.165, pp.150-154
2018523日  22         独立              pp.156-160, pp.110-113
2018524日  23         事業拡大         pp.111-113
2018525日  24         危機              pp.206-208
2018526日  25         撤退             pp.229-235
2018527日  26         新たな挑戦      pp.237-242, pp.275-276
2018528日  27         2人の後継      pp.264-275, 一部書き下ろし
2018529日  28         戒め              一部書き下ろし、pp.123-125, pp.192-193
2018530日  29         私生活        ほぼ書き下ろし、pp.97-98
2018531日  30         未来              書き下ろし

 「私の履歴書」の連載が始まったと聞いて私が一番に気になったのは、1996年に米国で大問題となった民主党への献金スキャンダルと、自身のキリスト教信仰について、どこまで踏み込んで記述するのかという二点でした。ひょっとして全く触れることもなく連載終了するのかなと連載23回目の頃は危惧していたのですが、最終回直前にちゃんと触れていたのはなかなかフェアなことで素直に感心しました。ただ、記述に物足りなさがあるのは自伝という体裁上やむをえないところでしょうか。

米国での民主党献金スキャンダルはアメリカ事情に詳しい人なら聞いたことがあるかもしれませんが、何しろビル・クリントンが大統領二期目を目指して選挙運動をしていた頃、二十年も前の出来事なので、簡単におさらいしますと、ビル・クリントン及び民主党へのリッポーグループという外国企業からの巨額の献金が問題視された事件のことを指します。マスコミの過剰な報道があったにせよ、最終的には違法な献金と認定、リッポー側には選挙運動資金に絡む罰金では過去最高額が課せられ、モフタルの次男ジェームスは2009年まで米国入国を禁じられたと報じられました。この件にジェームズはほとほと懲りたようで、「カネと権力は共に祝福であり呪いであると私は学んだ」と、あるインタビューでは述懐しています。もっとも、このスキャンダルの余波によって当時のアジア系アメリカ人コミュニティは「怪しい外国企業の手先」というレッテルを貼られて相当なショックとダメージを被ったようです。(村上由見子『アジア系アメリカ人』pp.130-139参照)モフタルの自伝も「私の履歴書」も自分本位な回想にとどまっているとのアジア系アメリカ人からの非難があるとすれば、それは正当なように私には思えます


 もう一点のキリスト教信仰については、自伝ではほとんど触れてないものの、キリスト教信仰を核とした教育機関の設立と運営に熱心なこと、次男ジェームズが熱心な福音主義者である事実がずっと気になっていました。連載第29回の信仰についての箇所は文字通りの信仰告白で、あれほどの大実業家であり資産家にしてなおキリスト教を信仰することで心の平安を保っている様子がはっきり窺えます。ムスリムが多数派のこの国で、超富裕の華人財閥トップがキリスト教への信仰を赤裸々に語ることは場合によってはリスクは伴うかもしれず、日本経済新聞という日本語媒体ゆえに可能だったのかもしれません。


 さて、「私の履歴書」を読み解く補助線として、最後にもうひとつ文献を挙げておきます。インドネシア華人名士録とも言うべき事典『印尼華族名人集 Tokoh-Tokoh Etnis Tionghoa Di Indonesia 』です。前近代から現代まで、インドネシアで著名な華僑・華人の短い履歴をまとめた本で勿論モフタル・リアディの項目もありますが1頁程度の分量です。読んでみて気づいたのは、モフタルの父親がはじめの妻との死別後に後妻を娶ったこと、家具を扱う商人だったとの記述があること。また、ライオンズクラブの会長職にあったことや複数の有名大学で演説をおこなったり著作が自伝の前にも二冊あることにも触れてます。

 脱線しますが、この事典は華人といえば富裕な実業家や資産家を思い浮かべる多くの読者の思い込みを修正する、多種多彩な華人たちの経歴がコンパクトにまとまっている素晴らしい内容です。華人名とインドネシア人名、両方での検索が可能なので、この分野に関心のある方は是非探してみてください。





 今後ますます発展するリッポーチカランそしてメイカルタには現在の居住者人数以上の日本人が移り住むはずで、その開発を担うリッポーグループ会長の自伝と関連書籍を読んでおくことは、リッポーのビジネスモデルやビジョンを知る上でも有益ではないでしょうか。「私の履歴書」を未読の方に強くおススメする所以です。

 この稿を閉じるにあたり、「私の履歴書」バックナンバーをこのメルマガに提供していただいた小野俊信さん、そして編集責任者の宮島さんに深く感謝する次第です。有難うございました。

 次回は今回取り上げるはずだった論文集『東南アジアのポピュラーカルチャー』の紹介をしたいと思います。それではまた来月!

<参考文献>
Mochtar Riady, Otobiografi Manusia Ide, PT Kompas Media Nusantara, Januari 2016
Drs,Sam Setyautama, 印尼華族名人集 Tokoh-Tokoh Etnis Tionghoa Di Indonesia , KPG,Agustus 2008  
村上由見子 『アジア系アメリカ人 アメリカの新しい顔』 中公新書 1997725日発行

(2018年6月12日 誤字脱字訂正、一部改稿)

2018年5月29日火曜日

インドネシアのイスラーム復興現象はアーチェリー大国への道?!

「風が吹けば桶屋が儲かる」的な話ですが、先日近所のメスジッドの前を散歩していて、閃いた命題がタイトルです。まだ論証不十分ですが、近々別のメスジッドで見かけたポスターやメスジッド隣の空き地の利用方法、そして昨年末か今年初めにAFPが報じたインドネシアのある記事を元に後日投稿を追加予定。

イスラームとアーチェリーの関係は、素人の私なんかよりも研究者が既に指摘していることなんだろうけれど、今はバドミントン大国のインドネシアが十年後にはアーチェリー強国になっている可能性はゼロではないんじゃないかな。

ちなみに、インドネシアで初のオリンピックメダルは1988年ソウル大会での女子アーチェリーでした。3 Srikandi という題名で映画にもなっています。




劇場公開時に見逃しちゃいましたが、ひいきのレザとチェルシーとタラ姐さんが出ているので、何とか見たいものです。

2018年5月5日土曜日

境界を越える女妖怪、クンティラナック

某メルマガに掲載予定の原稿。
 
私がインドネシアについて知っている二、三の事柄
7回 境界を越える女妖怪、クンティラナック

 
前回はインドネシア怪奇映画の女王スザンナについて語り、最後は彼女の代表作Sundel Bolong の有名な場面を紹介しました。読者の方々はこの動画を見てゲラゲラ笑ったでしょうか?それともサテ屋の二人組のように、恐怖のあまり逃げ出したでしょうか?あるいはあまりの荒唐無稽さに馬鹿ばかしさに唖然(あぜん)とされたでしょうか?

深夜のサテ屋でスザンナはサテ200串を注文して一気食い、その正体は...


 さて、今回も前回に続きオバケの話ですが、特定の映画からは少し離れ、オバケや妖怪という魑魅魍魎(ちみもうりょう)が東南アジアにおいてどのように生まれ、発展し、さらに今後継承されていくのか、最近のニュースなども参考にしながら考察してみたいと思います。

 去る3月ボゴール交通警察は女妖怪「クンティラナック」Kuntilanakを広報動画に起用、こうした面白いネタに敏感なインドネシアのネット界では少し話題になりました。ヘルメット未着用のクンティラナックが交通警官に違反切符を切られ泣いて後悔するという内容です。





 妖怪にも交通ルールを遵守させようとする警察官、一方彼を偽紙幣で買収しようとするも逆に違反切符を切られるクンティラナック、この対比が可笑しいのですが、クンティラナックが誰でも知っているメジャーな妖怪であることもこの動画の面白さに寄与していると思います。
 
 ここで改めてクンティラナックという女妖怪について説明しておきましょう。クンティラナックは別名ポンティアナックpontianak とも呼ばれ、インドネシアだけでなくマレーシアでもきわめて知名度の高い妖怪です。西カリマンタンの州都はまさにそのポンティアナックという名前であり、その由来はスルタン(イスラームを奉じる王様)が王宮を造るさいにその地にいた女妖怪ポンティアナックを追払ったことにあると伝えられています。クンティラナックの特徴としては、①元は妊娠中あるいは出産直後に亡くなった女性、②青白い顔に長い黒髪を持ち白い衣服を着ている、③うなじ又は背中に穴があり釘や刃物でそこを塞がれると動けなくなる、④樹木の上に住み鳥のように空を浮遊する、などです。
 
 マレーシアではこの女妖怪はポンティアナックと呼ばれるのが一般的で、これはマレー語の perempuan mati beranak(出産時に死亡した女性)を短くしたものとの説があります。同様の女妖怪はバングラデシュやインドなどの南アジアにおいてはチュレルChurelと呼ばれ、日本の産女あるいは姑獲鳥(うぶめ)、タイのメー・ナーク・プラカノンとも親しい類縁関係にある妖怪と言えるでしょう。
 
 シンガポール繁栄の礎を築いた英国人ラッフルズの書記を務めたマレー人のアブドゥッラーはマレー半島で信じられている悪霊や妖怪について、自伝の中で以下のように書き記しています。マラッカに宣教師として赴任していたミルン氏の奥方とのやりとりです。

 彼女は一人の中国人の女性を雇っていて、彼女の服や子供たちの服を繕わせていた。ある日のこと、この中国人の女性がミルン夫人のところへやってきて言った。
「昨日、私の子供は家でプンティアナクとポロンに魅入られて死ぬところでした」
 ミルン夫人は、プンティアナクとポロンという言葉がわからなかった。中国人の女性は手振りや言葉でいろいろと説明しようとしたが、夫人は理解できない。そこで二人は、私が書きものをしている部屋にやって来て言った。
「プンティアナクやポロンというのは、どういう意味なの?」
 私は笑った。そしてミルン氏に、中国人やマレー人が信じている、愚にもつかない、役にも立たない、ありとあらゆる悪霊の名を、はっきりと説明した。それは我々の先祖の時代から受け継がれ、今日に至るまで続いているのである。私はそれらがおよそ幾つぐらいあるのか、その数をあげることも、また、その意味をはっきりさせることも出来ない。(後略)

アブドゥッラー著、中原道子訳『アブドゥッラー物語 あるマレー人の自伝』 平凡社東洋文庫 pp.108-109

 
プンティアナクとはポンティアナックを指し、訳注では「吸血鬼。産褥にある婦人とか子供を餌食にする悪霊」と解説されています。またポロンは使いの精で、遠隔地にいる誰かに取り憑く悪霊と言われます。この後アブドゥッラーは二十五にも及ぶ悪霊の種類や名前を挙げ、それらに対処するための悪魔祓いや魔術についても語っています。

 また、前世紀初頭にウォルター・スキートが著した『マレー魔術』には、死産した女性が化けたのがランスィールlangsuirであり、ふくろうの姿をして空中を浮遊するとの説明があります。そして彼女の子供がポンティアナックなのですが、年月を経るうちに両者は混同されるようになり、現在ではポンティアナックの方が子供を死産した女妖怪と認識されているようです。

首から下は内臓だけの女妖怪ペナンガランpenanggalanとランスィールlangsuirランスィールの長い爪が鳥を連想させる。
『マレー魔術』より

 このようにクンティラナック(ポンティアナック)はインドネシアやマレーシアという国家が誕生するよりも遥か昔から東南アジアに存在する伝統的なオバケなのですが、日本の妖怪の姿形が漫画家水木しげるの手によって明確なビジュアル化を施され多くの人々の共通認識となったように、クンティラナックもその姿形がはっきり定まったのは視覚メディアである映画を通してでした。マレーシアでのポンティアナック映画は1957年にキャセイ・クリス社によって製作された第一作を嚆矢(こうし)としてこれまでに15本以上が製作されており、一方インドネシアにおけるクンティラナック映画は1962年に喜劇色の強い第一作が公開、その後長い空白の期間を挟んで、2000年代にはほぼ毎年クンティラナックという名前を冠した作品が公開され人気を博しました。これらの中には怪奇ものというよりはコメディに分類すべき作品も含まれていますが、両者を合わせると30本前後の映画がこれまで作られてきました。

 なお、マレーシア初のポンティアナック映画主演女優はマリア・メナードといい、彼女はオランダ植民地時代に北スラウェシのマナドで生まれ、ジャカルタを経て戦後のマレー半島やシンガポールでモデルをしていたところ映画女優としてスカウトされたという経歴を持ちます。当時東南アジアで一番の美女と呼ばれた彼女が世にも恐ろしく醜い怪物ポンティアナックに変貌する場面が大いに観客に受け、映画は大ヒットを飛ばしシリーズ化されました。しかし残念なことに、彼女がパハン州のスルタンと結婚し引退した後、スルタンが彼女主演のオバケ映画の封印を望んだために、キャセイ・クリス社長のホー・アロクはフィルムを破棄、現在フィルムは完全な形では残っていないそうです。元々目に見えない霊的存在だったポンティアナックが彼女主演の映画によって視覚的存在として多くの人に認知されたのも束の間、フィルムが失われたことでポンティアナックは幻の存在に再び戻ったと言えるのかもしれません。

女優時代のマリア・メナード。現在86歳、スルタン妃として存命。
シリーズ第3作『ポンティアナックの呪い』(吸血人妖)中国語広告。右から読みます。
 これらの映画の粗筋紹介は割愛しますが、5060年代に製作された作品は当時の怪奇映画の常として、女妖怪が伝統的村落共同体を危機に陥れるものの、最終的にオバケは退治され共同体の秩序は回復される(ただしいつか怪物が復活することも暗示される)物語とまとめることが可能でしょう。一方、70年代から90年代にかけての急速な近代化と都市化の進展は怪奇映画にも影響を与え、かつての物語の型が観客には受容されなくなりました。具体的には、フェミニズムやメタ物語的な批評的視点が加わり、あるいはクンティラナックという超自然的存在を通して女性の自己同一性が問われる作品の出現です。夜な夜な男性たちを襲う恐ろしい女妖怪は一方で我が子を盲目的に愛する母親でもあり、怪奇映画というジャンルを通して母娘のメロドラマが語られていたのが旧作群であるとすれば、今世紀以降に製作された作品のメッセージは様々ながら、物語の女性たちが主体的に行動し、時に女妖怪に化けるように見えて実は多重人格の持ち主かもしれないと観客に錯覚を起こさせる、あるいは「信用できない語り手」によって観客を宙吊りの状態にする、一筋縄ではいかない作品が多い傾向が見られます。妊娠した女性に限らず全ての女性はクンティラナックという妖怪になる可能性があり、その怒りを完全に抑えることはイスラム導師を含め誰にもできない、そして女性と女妖怪は時として互換性を持ち、人間と異形のものという境界そのものを無効にしてしまう。これこそ怪奇映画のもっとも新しい主題であり、クンティラナックという女妖怪の最新モードと言えるでしょう。
 
奇しくも先日の米アカデミー賞で主要4部門を制したのは鬼才ギレルモ・デル・トロ監督の『シェイプ・オブ・ウォーター』でした。モチーフは『美女と野獣』のように見えて、実のところオリジナルは1954年ハリウッド製怪奇映画『大アマゾンの半魚人』。技術系部門の賞を除けばモンスターものやSF作品には極めて冷淡だったアカデミー賞の歴史において、『シェイプ・オブ・ウォーター』の受賞は画期的でした。映画内で女性主人公は文字通り境界を越え半魚人と一体化するのですが、実はこうした人間と異形のものの差異を無効化する視点は、インドネシアに限らず日本を含めたアジアの伝統的な物語の中にも見出されるものです。壁を築き境界を高くしようとする政治的動きは今世界各地で散見されますが、それに対する文化的カウンターもあちこちで聞こえてきます。いずれクンティラナックを主人公とした映画が権威ある映画祭の場で顕彰される日はそう遠くないのではないでしょうか。
  
  さて、最後は20172月に地元紙で話題になった以下の記事でこの稿をしめたいと思います。

 先述した西カリマンタンの州都ポンティアナックに女妖怪の巨大な彫像を建てる構想が観光局長の口から語られたとの内容です。マレーシアの都市クチンに猫の像が、シンガポールにマーライオンの像が、それぞれ存在することがヒントになったようで、街のシンボル及び観光名所としてカプアス河とランダック河が合流する地点に高さ100m(!)のポンティアナック像建設を考えているとのこと。あまりの荒唐無稽さに住民からは反対の声も出ているそうで、実現させるには多くのハードルが予想されますが、巨大オバケ像を使った町おこしというのはかなりユニークであることは間違いありません。はじめに紹介したクンティラナックに交通違反切符をきる警察官同様、恐ろしい妖怪ですらこうして手なずけて馴化させてしまうインドネシア人の想像力には脱帽です。

 さて、これまで三回続いたオバケの話は一応ここまでとし、次回からは先ごろ発売された大部の論文集『東南アジアのポピュラーカルチャー』を元本に、さらにディープな大衆文化を紹介していきたいと思います。それではまた次回!

<参考文献>
四方田犬彦 『怪奇映画天国アジア』 白水社 2009
 Walter William Skeat, Malay Magic  Being an introduction to the folklore and popular religion of the Malay Peninsula, 1900
アブドゥッラー著 中原道子訳『アブドゥッラー物語 あるマレー人の自伝』平凡社東洋文庫 1980




2018年4月2日月曜日

インドネシア語技能検定試験 B級落ちた...

2月に受けたインドネシア語技能検定試験B級二次試験の結果が届いた。予想通り、不合格。


全質問5問中、まともに答えられたのは3問だったから想定の範囲内。特に2問目の回答は酷くて、完全に頭の中が真っ白になりました。駄目だこりゃ...

今回のB級合格率が約7%なので、あんまり落ち込む必要はないのかもしれませんが、16年間住んでいてこの結果は恥ずかしいし、ともかく悔しいので、今年7月の第53回試験でリベンジすること決めました。

インドネシア語技能検定試験 受検データ

まじめに机に向かって基礎からやり直そうと思います。

2018年3月4日日曜日

「怪奇映画の女王」スザンナがスクリーンに蘇る時


私がインドネシアについて知っている二、三の事柄
6回 「怪奇映画の女王」スザンナがスクリーンに蘇る時

前回は昨年大ヒットした怪奇映画『悪魔の奴隷』(原題Pengabdi Setan)について語りました。反イスラーム的な内容の古風なスタイルのオバケ話が何故今のインドネシアで観客動員数が400万人を越えるほど大ヒットするのか、私なりに考えた仮説を提示してみましたが、実のところよくわからないなあというのが正直なところです。ただ、私にとってはこの「わからなさ」がインドネシアに長年住んでいて面白いと感じる部分でもあります。そんなわけで、前回参考文献として挙げた『怪奇映画天国アジア』を今回も参照して、インドネシアにおける怪奇映画の概略と、その際には必ず言及される女優スザンナ(1942年~2008年)について、今回は語ってみたいと思います。


表紙はタイ映画『幽霊の家』ポスター

インドネシアの地で劇映画が初めて製作上映されたのは1926年の無声映画『ルトゥン・カサルン』Lutung Kasarung 、西ジャワの民話の映画化でした。当時はまだオランダ植民地時代だったので、監督はオランダ人ヒューヘルドルプ、撮影はドイツ人クルーゲル、主演はバンドゥン県知事の子供。その後、既にアジアで映画先進国だった中国大陸からの映画人たちが到来し、中国の物語を映画化、その中には西遊記の猪八戒が主人公のものや、日本でも有名な白蛇伝がありました。これらは怪奇映画と呼べる内容ではないものの、現実の人間社会を活写したのではないファンタジーを扱っているため、そのさきがけと見なすことも可能なようです。

インドネシア独立後、映画産業は活況を呈しますが、幽霊を扱った作品はいくつかあったもののその多くは喜劇がほとんどだったらしく、本格的な怪奇映画の登場は映画産業が再び活性化する70年代を待たねばなりませんでした。1971年に至り、本格的怪奇映画『墓場での出産』が公開されます。主演は当時29歳のスザンナ。原作は70年代インドネシアで大ヒットしたアクション漫画『幽霊洞窟の盲目剣士』 Si buta dari gua hantu の作者ガネス・TH による漫画。脚本は後に大監督となるシュマンジャヤ。(ガネス・TH とシュマンジャヤについてはいずれ別項で論じる予定)映画全体の雰囲気としてはエドガー・アラン・ポーのゴシック小説を連想させる内容となっています。


映画『墓場での出産』Beranak dalam kubur ポスター

 この映画以降、スザンナは恋愛ドラマにも出演するものの、主に怪奇映画においては欠かせない女優として、文字通り怪奇映画の女王の座へと上っていきます。代表作としては『スンデル・ボロン』Sundel Bolong, 『黒魔術の女王』Ratu Ilmu Hitam, 『ニ・ブロロン』Nyi Blorong, 『サンテット』Santet など。



1963年、21歳当時のスザンナ
 
スザンナがどのようにして怪奇映画の女王と呼ばれるようになったのか、その背景と人気の秘密についてじっくり語ることは、数本の映画しか見ていない私にはやや荷が重いのですが、いくつか気づいた点を指摘しておきたいと思います。

まず第一に、彼女の出自が本名のSuzzanna Martha Frederika van Oschから分かるとおり、混血であったこと。両親共に混血だったので、彼女はオランダ、ドイツ、ジャワ、マナドの血を引いていました。先述したようにインドネシア映画史とはその黎明期から様々な民族や出自を持った人たちが作り上げてきた歴史であり、内容を含めて混血性こそがインドネシア映画の核ではないかと私は思っています。怪奇映画はその通俗性からインテリや外国人からは蔑まれ、まともに論じられてこなかったのですが、混血性をキーワードとして再検討するならば、スザンナこそはインドネシア映画のまごうことなき本流をゆく女優と位置づけることも可能でしょう。彼女が全盛期の映画でたびたび見せる、相手を射抜くような神秘的な眼差しが印象的です。

第二に、彼女の名声が怪奇映画の女王として定着したのは既に40歳を超えた80年代だったこと。子役として「インドネシア映画の父」ウスマル・イスマイルの『血と祈り』で映画デビューし、60年代には数本の映画で主演女優を務め、歌手としてアルバムを出したりもしましたが、それほどの人気は得られませんでした。遅咲きの大スターだったということです。

第三に、彼女が主演した怪奇映画のほとんどがモダンな都市ではなく伝統的な農村部や地方を舞台としていたこと。おどろおどろしい呪術やイスラーム到来以前の神話や民話が生きる伝統的な共同体において、彼女は幽霊や南海の女神の娘などを繰り返し演じてきました。

第四に、彼女がスクリーンで見せる妖艶さが実生活でも同様であると観客には信じられたこと。具体的には、彼女がいくつかの映画の中で見せる呪術的行為を実生活でも実践しているので、40代を過ぎても美しさを保っていると噂されたことです。映画内世界と現実の出来事が渾然一体となることで俳優の人気が上がることは珍しくありませんが、実際に呪術が存在し広く信じられているインドネシアにおいては単なるスキャンダルを超えた次元のように思えます。 

第五に、強権的な軍事独裁スハルト政権全盛期に彼女が出演した怪奇映画の妖花が咲き乱れたこと。前掲書『怪奇映画天国アジア』著者の四方田犬彦さんは、共産主義国家とイスラーム世界には怪奇映画はジャンルとして存在しない、それは世界を統一する原理がある地域や国においては幽霊や妖怪などという魑魅魍魎(ちみもうりょう)は存在が許されないためであると繰り返し述べています。ただしインドネシアは重要な例外で、なぜこの国でこれほど怪奇映画が製作されるかと言えば、外来宗教であるイスラーム到来以前の原始宗教や精霊信仰が根強く残っていることが背景にあると解説しています。

 そして、ここからは私の解釈となりますが、強権的で検閲も厳しかったスハルト政権下で何故怪奇映画のような荒唐無稽で非合理的な物語が許されしかも人気があったのか、それは最終的には秩序回復のハッピーエンドだったからと私は考えています。恐ろしい幽霊や怪物となったスザンナが自分を殺した男たちに復讐し、さらに暴れようとするも、イスラーム導師や自分よりも力の強い術者によって説伏され、混乱していた共同体は秩序は取り戻す。彼女が主演した怪奇映画の要約とはこのようなものです。

 これは旧体制と後に呼ばれたスカルノ政権時代の政治的経済的混乱を収拾し、その原因とされた共産主義を徹底的に弾圧し、秩序維持を第一としたスハルト政権のあり方と相似しています。混乱は必ず収まり、秩序は回復される、これがスハルト政権時代の怪奇ものに限らないインドネシア映画の基調でした。

 よって、スハルト政権崩壊後の今に続く改革時代の怪奇映画においては、共同体の混乱は解決されずハッピーエンドとならないことが常態となりました。もしスザンナが今も存命であれば、80年代に製作された怪奇映画以上の荒唐無稽ぶりをスクリーンで見せていたのではないかと想像されます。

最後に、彼女の代表作『スンデル・ボロン』 Sundel Bolong の有名な場面を以下に引用しておきます。日本の怪談を連想させる、恐怖と笑いが渾然となった名場面ではないかと思いますが、如何でしょうか?



サテ200串(!)を一気食いするスザンナ、その正体は...
 

 次回はオバケ話の続きか、あるいは荒唐無稽なジャンルとして繋がりのあるシラット小説やその映画化について語ってみたいと思います。それではまた来月!

<参考文献及びウェッブサイト>
四方田犬彦 『怪奇映画天国アジア』 白水社 2009
国際交流基金アジアセンター発行『カラフル!インドネシア2』パンフレット 2017
filmindonesia.co.id   ( インドネシア映画データベースサイト)          

2018年2月28日水曜日

インドネシア高速鉄道に絡む風刺画騒動

ツイートをまとめたので一応こちらにもリンクを貼っておきます。

中国が受注したジャカルタ-バンドゥン高速鉄道プロジェクトの遅延に絡みインドネシア大統領を乞食と表現した風刺画 


2年前の騒動の時には、実際に高速鉄道に乗るわけでもない多くの日本人が何故それほど熱くなるのか理解できず、何だかなあと思ったものです。インドネシア人の反中国意識には根強いものがあると常々思ってましたが、日本人の反中嫌中意識も相当なものです。

中国を批判するのはいいけれど、もう少し冷静になったらどうなの?




2018年2月23日金曜日

インドネシア語技能検定 一次試験結果発表

1ヶ月前に受検したインドネシア語技能検定の一次試験の結果が発表されたので、確認したところ、B級合格、A級不合格、でした。

B級は17年前(!)にもパスしているので当然として、A級不合格がかなりショック。受検直後の感触としては長文読解はほとんど理解できたので大丈夫だろうと甘く考えていたのですが、時間的には結構ギリギリだったし、その点B級は時間に余裕があったので妥当な結果と言えるのかも。あと5点が足りなかった!



B級はまだ二次試験が来月にあるし、A級は次回7月の試験でリベンジするので、もっと真剣にインドネシア語を勉強しようと思います。長女たちに教えを請いますかね...

2018年2月4日日曜日

映画『悪魔の奴隷』が描く恐怖とは何か?

2月の某メルマガ連載原稿。2017年版はもう一回見直したいなあ。iTUNE配信はいつからだろう。


私がインドネシアについて知っている二、三の事柄
第5回 『悪魔の奴隷』が描く恐怖とは何か?

 前回まではインドネシアの国家英雄であるチュッ・ニャ・ディン、カルティニ、タン・マラカについて映画や書籍を通して語ってきました。今回からはややお堅い国家英雄の話からは離れ、もう少し俗な話題を取り上げていきたいと思います。まずはインドネシア人が大好きなオバケに関連した話から。オバケと聞いて眉をひそめる方もいるかもしれませんが、オバケが分かればインドネシアのことも分かるはず!と信じてつらつら書いてみようと思います。

 ここ数年のインドネシア映画界が産業としても好調なことは、チカランやジャカルタの映画館へ最近行かれた方は肌で感じていると思います。年々増加するスクリーン数と映画鑑賞人口には海外投資家も注目し始めており、わずか15年前は古い映画館の閉鎖が続き、街中に海賊版DVDやVCDの露天商が溢れていたことが嘘のようです。多くのインドネシア人観客を集めている作品はティーン向けロマンス、あるいはイスラーム教風味のロマンス、またはコメディだったりするのですが、ジャンルとして強固に観客から支持されているものの一つとしてホラーものがあります。(以後、「怪奇映画」というやや古臭いながらもおどろどろしさを感じさせる用語を用います)

 驚くべきことに昨年2017年のインドネシア国産映画観客動員数ベスト10のうち5本が怪奇映画なのです。そして堂々観客動員数第一位となったのは、今回紹介する映画『悪魔の奴隷』(Pengabdi Setan) でした。100万人突破すればヒット作品と言われるインドネシア映画界でなんと420万人超の観客を集め、しかもここ10年間の中でも歴代第4位、怪奇映画としては空前の大ヒット作となりました。マレーシアやフィリピンなど近隣国でも上映されて好評を博し、マレーシアでは近年のインドネシア映画の中では最大のヒット作になったと報じられました。

Pengabdi Setan (2017) オリジナルポスター


Pengabdi Setan ( 2017) official trailer


 実は本作『悪魔の奴隷』は1980年に製作公開された同名作品のリメイクです。 80年代を代表する怪奇映画の名作と言われ、監督は怪奇映画の女王と呼ばれた女優スザンナと後に多くの作品でコンビを組んだシスウォロ・ガウタマ。日本では80年代のビデオブーム時代にB級ホラー作品として『夜霧のジョキジョキモンスター』の邦題でリリースされました。知る人ぞ知る映画と言ったところでしょうか。

Pengabdi Setan ( 1980 ) オリジナルチラシ

 ストーリーは新旧ともにそれほど複雑ではありません。タイトルとポスターが示しているように、死者の蘇りという脅威に対してある一家がどうたち向かうか、というものです。怪奇映画の定石として、観客をドキッとさせる思わせぶりな演出が何回も繰り返され、そしてクライマックスでは真の恐怖を観客に体験させる趣向がなされています。
 
 1980年の旧版を今見直してみると、特殊メイクが現在の水準からは古臭く、失笑してしまう観客も今日ではおそらく少なくないでしょう。いや、そもそもインドネシアにおいて怪奇映画がこれほど人気を呼ぶのは、「恐怖」と「笑い」を映画館で同時に体験したいという観客の欲望があるのかもしれません。
 
 一方、2017年の新版は観客に恐怖やショックを与える場面は何回もあるものの、描写そのものはやや控えめで、スプラッター映画のような血まみれ演出はほとんど皆無、肝心の死者も主役?「悪魔の奴隷」も最後まで直接姿を見せません。ライティングや衣装や小道具や音楽など画面全体に漂う古風な雰囲気でじわじわと怖がらせる手法は、特殊効果とCG全盛の現在では珍しいもので、それが逆に若い観客層には新鮮でウケたことが記録的な大ヒットに繋がったと私は捉えています。

 実のところ私自身はホラーも怪奇映画も今まで積極的に観てきたわけではないのですが、本作については劇場に駆けつけました。B級映画好きで小津安二郎のようなA級古典作品は苦手だとかつて監督のジョコ・アンワルがインタビューで答えていたことが非常に印象に残っていたからです。専門学校で映画演出や技術を学んだ経歴を持たず、B級作品が好きであると公言する彼こそ「インドネシアのクエンティン・タランティーノ」と呼ぶのが相応しいと常々思ってました。果たして、リメイク『悪魔の奴隷』はB級どころか堂々たるA級作品で良い意味で裏切られました。あえて設定を旧版と同じ1980年に設定し、衣装・小道具・ロケーション・音楽等には徹底的に凝り、俳優たちにはリアルな演技を要求、結果として完成したのは古典的なスタイルの怪奇映画でした。これまで批評家にはウケが良く、日本はじめ海外での上映も少なくなかったジョコ・アンワル作品ですが、国内興行成績は決して良くはなかっただけに、今回の大ヒットは彼自身にとって僥倖(ぎょうこう)であり、製作に関与した韓国CJグループも次の作品に繋がるとして歓迎していることでしょう。
 
 新版『悪魔の奴隷』がこれほどの大成功を収めた作品としての魅力は先述のとおりですが、指摘しなくてはならない点がもうひとつあります。深読みしすぎと一笑にふされることは承知の上で、旧版と新版の重要な相違を書き出し、新版の大ヒットが意味することを考えてみます。

 新旧両方を見比べた人であれば誰でも気づくこと、それは作品内におけるイスラーム教の位置づけです。新旧どちらでも主人公一家たちは明らかに世俗化された一家で、日々礼拝する様子は出てこず、礼拝しようとすると悪霊の邪魔が入る描写は共通しています。新版では3回にわたり葬式や埋葬がおこなわれますが、埋葬直後の集団祈祷において父親がなんとも居心地の悪そうな顔をしているのが印象的です。新版では主人公たちの近所にはウラマー(イスラーム導師)がいて、時折様子を見に来るものの、危機においては全く役に立たず、文字通り画面から消えてしまいます。しかし、旧版ではウラマーが全ての問題を解決してジ・エンドとなります。

 つまり端的に言って、旧版は「イスラーム宣教映画」であり、新版は「反イスラーム映画」なわけです。ここで旧新版が製作公開された時代背景を比較してみましょう。
 
 旧版が製作された80年はスハルト政権が磐石となった時期であり、政治的なイスラーム勢力は無力化されていった一方、反共主義の一環として宗教的敬虔さは推奨され始めた頃と重なります。ラストにおいて主人公一家がモスクから出てきて安心立命を得るのは政権イデオロギーとも重なるわけです。子供二人というのも家族計画を強力に推進していた当時の政策に則った設定かもしれません。しかし新版は1980年という設定ながら、子供は4人に増えており、なによりもウラマーは主人公一家と雑談するくらいで全く活躍しないのです。人知を超えた悪魔の所業にイスラームは無力であるというのが新版の結論で、これは旧版とは真逆の結末に他なりません。

 スハルト政権崩壊後のインドネシア社会における政治的イスラーム勢力の拡大と、主に新興中間層にイスラーム復興現象が顕著なことはつとに研究者によって指摘されるますが、新版の大ヒットをこうした文脈ではどう解釈すればいいのでしょうか?所詮荒唐無稽なオバケ話と多くの観客に思われているのか、敬虔なイスラーム信者たちはそもそも怪奇映画を見に行かないのか、あるいは社会に横たわっている目に見えない反イスラーム的な感情や欲求不満が大ヒットという形で視覚化されたのか。

 映画を政治的文脈からのみ批評することを私は好みませんが、ジョコ・アンワル監督が昨年のジャカルタ州知事選挙で元ジャカルタ州知事アホックを支持していたこと、彼自身がゲイであることを公言、そしてアホックが保守イスラーム勢力の推すアニス・バスウェダンに選挙で大敗し宗教侮辱罪で有罪となった事実と照らし合わせると、監督自身のモヤモヤをこの作品の中に込めたのではないかと解釈することは、あながち牽強付会とも言えないと思うのですが、如何でしょうか?

 ただし付記しておくと、スハルト政権時代に製作された映画はどんなジャンルでもある意味「宗教は最終的に勝つ」「混乱は収拾され秩序は回復される」物語であり、その反転した形がスハルト政権崩壊以降のインドネシア怪奇映画のパターンでもあります。宗教指導者の権威は失墜し、物語世界の混乱はなんら回収されず終わるという結末は必ずしも珍しくありません。私の深読みは的外れで、ジョコ・アンワル監督は定石にただ従っただけなのかもしれません。
 
 いずれにせよ、新版が描いた恐怖とは、世界を統べる原理がもはや権威を失い存在しえないという指摘に他なりません。折りよく本作は日本でも「未体験ゾーンの映画たち2018」の一本として、ヒューマントラストシネマ渋谷やシネ・リーブル梅田で間もなく上映されます。昨年見逃した方はこの機会にぜひどうぞ。そのスタイリッシュな画面構成と色彩、そして音響に五感を集中して、じわっとくる恐怖を感じていただきたいと思います。 



 次回はオバケ話の続きということで、80年代に一世を風靡した怪奇映画の女王スザンナと彼女の作品について語ってみたいと思います。それではまた来月!

<参考文献及びウェッブサイト>
四方田犬彦 『怪奇映画天国アジア』 白水社 2009年
filmindonesia.co.id   ( インドネシア映画データベースサイト)
https://www.cnnindonesia.com/hiburan/20170928023545-220-244507/ulasan-film-pengabdi-setan 
https://en.wikipedia.org/wiki/Pengabdi_Setan_(2017_film)